第26話 アルハザードとパーシア
癒しの女神ウェルスティアの奇跡はアリシアが処刑されて魔女狩りが横行したのち百年間、イルンスールが現れるまで使い手は存在しなかった。慈愛の女神もさすがに怒って人間を見放したのだろうと囁かれた。
しかし今、再びアリシアはその奇跡を使い人々を癒し始めた。
「さすがじゃのう」
イザスネストアスはすっかり頬が緩んでいた。
「きもちわる」
マヤが呆れた様子で傍観している。
マヤの父はリーアン連合の上王であり、リーアンとフランデアンの戦争で殺害された。
その現場にイザスネストアスも居合わせたので長い付き合いになる。
「わたくしはウェルスティア様、今はレンさんの力を借りているだけですよ」
「レンがのう・・・」
ウェルスティアが去る時に力を移譲されただけで、本人に備わった神格ではなくいずれ消える力だ。ヴァイスラが薬師であり、レナートも習っているのでひょっとしたら定着するかもしれないが、今の所単に真似事も出来る、というレベルでしかないので現時点では望みは薄い。
地上と地獄の軍勢との対決で周囲にはまだまだ死傷者が散らばっていた。
再び赤黒い太陽が上がったとはいえ、辺りは薄暗く地元の女官や鬼達でなければ救助活動はなかなか進まない。
人間と人間の戦いでも四肢が切り飛ばされたり体の一部が潰れたりはするが、この戦いではそれを遥かに上回る惨状が見られた。
「これは本人確認をするのは厳しいな」
なにか強い酸でも浴びたのか鎧の一部も溶けて肉体と混ざってしまっていたり、人体も大幅に欠損しているものがみられる。
異様な速度で体が腐敗してガスがぼこぼこ泡立っているものもあり、地上人には未知の状態もあった。怪物が卵を植え付けたのか、小型の蜥蜴のような魔獣が何百匹も生まれて飛び出してきて女官も悲鳴を上げて護衛の鬼に守られたりもしている。
「悪鬼羅刹の類かと思ったが」
「皆さん遠い昔にここへ追いやられた一族の末裔で、人間と同じように愛情もありますよ。わたくし達は泥人形の体ですので子は産めませんが、女官の中には愛をはぐくんでいる者もいるようです」
「地獄に住む者すべてが死者ではないと言う事じゃな」
「そうです。気をつけなければならない者も多いですが、慣れれば暮らしていけます。いっそ地上の方も神々の争いが終わるまで地獄に避難されてはどうでしょうか」
「ふむ・・・」
寒冷化が進む地上と違って地獄は暖かい。蒸し暑いくらいだった。
不毛の荒野ばかりだが、そんなところでも育つ植物はある。フォーンコルヌ皇国の人間には慣れた環境だ。
「東方圏の人間はそれなりに生き残ってはいるが、中央大陸の地獄門付近で暮らしが厳しい者はそれもありかもしれんな」
◇◆◇
救助活動で中々歩みが進まない事に苛立ったアルハザードは自分は先に行くと一向に断りを入れた。
「レクサンデリや俺がいても助けにならないし、真面目に助けようとしてくれてることは分かった。俺が知るのはこれで十分だ」
レクサンデリも救助活動は女官達に任せていったんマクシミリアンの元へ急ぐことに同意した。
「そうだな。我々は別行動しようか。マヤも共に行くとしよう。ドルガスへの説明は君に任せたい」
「仕方あるまいな」
彼らはレクサンデリと共にマクシミリアンの司令部にやってきて早速、救助活動が始まっているので攻撃しないよう伝え、女神達の対談の結果も伝えた。
「私を待たずに行ったのか」
「地獄の女神とは和解して危険は無いと判断したようだ。魔術師の先生はメルセデスって奴の事を随分危険視してたが」
「むう、参ったな」
マクシミリアンの代理となれる者がいない連合軍の弱点で身動きが取れなかった。
アル・アシオン辺境伯の大将軍が副司令官となっているが、帝国軍や東方軍はまとめられても獣人はまとめられない。
そうそう都合よく全勢力との間で良好な関係が築ける者はいなかった。
「もう行っちまったもんは仕方ねえだろ。ここらには地下都市があってあんたらはそこから狙われていたようだ。動かせる怪我人はそっちに移動させて任せればいい。詳しい事はレクサンデリが話す。で、こっちの状況を教えて貰えるかね」
「死傷者の救助で9割が動けない。地上の残存部隊を全てこちらに寄こすよう命令を出した」
まだまだやれる所を見せる為にも戦力を出し惜しみせず全軍に集結を命じている。
地下都市で本格的な治療と介護が受けられるなら戦力は大分回復する。
アイラクーンディアに完全に服従していない怪物もいると聞くと戦える状態は維持しなくてはならない。
「全部か?ダカリスの連中の抑えは?」
「抑え?」
マクシミリアンとしてはフォーンコルヌ皇国の大公家の軍隊はアルヴェラグスと現在の大公であるエンマの指示に従っていると報告を受けている。
これまで特にトラブルも無く、疑う理由はない。
「特に根拠は無いんだが、主君を裏切ってる連中だからな」
「相応の理由があったと聞いているぞ。もとの主は暴君だったそうじゃないか」
「まあ、そうなんだが・・・。ところでうちのお姫様。パーシア様は無事ですかね」
「ああ、怪我一つない。怪我人の治療に従事してくれている」
実家にいたころは日々、奉仕活動として治療行為に携わっていたのでお手の者だった。
「へぇ、あのお姫さんがねえ」
「君達が寄こしてくれた護衛には悪い事をした。遺体は清めてあるが火葬する事になるだろう」
「ああ、俺はパーシア様に会ってくる。後はイザスネストアスの爺さんから聞いてくれ。今は昔の恋人に会って腑抜けになってるがな」
「?」
◇◆◇
「よう、パーシア様」
血の匂いを消し、負傷者の苦しみを和らげる薬香漂うテントの中にパーシアはいた。
近くにはアルヴェラグスもいて彼の本来の護衛対象である森の女神達が最下層へと降りて行った事を伝えた。
「あら、無事だったのね」
「まあな。ホルスの爺さんは使っちゃいけない技を使ったらしくて死にかけだが俺らは無事だ」
「そう、良かったわ。貴方もそろそろ子供が生まれてるだろうし無事で良かった」
「お、嬉しい事を言ってくれるねえ」
へっへっへと笑いながら抱き寄せる。
「今は遊んであげてる暇はないのよ」
そう言いながらも満更では無いようだ。
この地獄の重苦しい雰囲気の中でも軽薄さを維持出来る胆力は気に入っている。
「貴方はレンのおまけで相手してあげてるだけなのよ?」
「たまにはいいじゃねえか。どいつもこいつも暗くて真面目で嫌になるぜ」
「それもそうね」
◇◆◇
「で、何しに来たの?」
休憩が終わってから用件を尋ねた。
「地獄の女神の女官達が救援に来て治療の助けになってくれるってよ。地獄特有の症状も彼女らが詳しいみたいだ。地獄に落ちた女性達とはいえ、罪人とは違うらしい」
「そ。それは良かった」
「手打ちになったみたいだからこれ以上、ここで合戦は無いだろう。安全になった事だし、俺は姫さんをレンの所に護衛する為に来たんだがどうする?」
「そりゃあ会いたいけど、今はここですることがあるわ」
女神の城に駆け付けたところで今は不在なのだし、パーシアはここで医者達の手伝いを続ける事を選んだ。
「遊び人の割にはいい女だよな、あんた」
「盗賊上がりの癖にまともな騎士よね」
二人とも似た者同士な所はあった。
「主人の女に手を出すような騎士がか?へっへっへ」
また燃え上がってきて体をまさぐり始める。
「下卑た真似が出来る騎士というのも面白いわね。あんまり長々と遊んでるわけにもいかないしこれで終わりよ」
しばらくして服を着直してからアルハザードは改めて今後の予定を話した。
「姫さんがここに残るなら危険は無いだろうし、俺はちょっくら地上の様子見てくるわ」
「地上の?」
「ああ、マクシミリアンが全軍を集結させてるみたいだし地上に出てエンマにダカリスを掌握しておくよう提案するつもりだ」
「あら、貴方も気になるの?」
「あんたが気にしてるっていうから来たんだよ」
サイネリア達も死んじまったし、とぼやく。
「あらあら、やっぱり意外と真面目じゃない」
「そういうのとは違う。俺の生存本能が囁くんだよ。盗賊してる時もこんな時はなんとなくねぐらを変えるかっていう時があった」
で、生き残ってきた。
「だったら、危ない所に行く事無いわ」
不安になったのかパーシアは引き留め始めた。
「へっへっへ、可愛いねえ。俺に惚れたか?」
「少しはね。長い付き合いになってきたし」
「おお、嬉しい事言ってくれるじゃねえか」
パーシアは抱きついて唇を求め、本格的に誘惑を再開する。
しばらくしてテントの周囲が騒がしくなってきたので名残惜しそうに二人は分かれた。
「いやあ、生きてるといい事もあるもんだなあ。フォーンコルヌのお姫様に惚れられちまうなんてな」
「ならもっと長生きしなさいよ。不妊の呪いも解いてもらえるんでしょ?レンも子供欲しいっておねだりしてるじゃない」
「おう。せいぜい気を付けて行って来るさ」
「行かないでって言ってるのに。レンの所まで送ってくれるんでしょう?」
「気になって仕方ねえんだよ。レンの所へは叔父貴に送って貰いな」
どんなに止めても結局アルハザードは行ってしまった。




