第24話 地獄見聞録②
マクシミリアンを待たずに地獄の下層部へ降りようというレナート達にイザスネストアスはそこまで急がなくても良いのではないかと思った。
自分に近い実力を持つ魔術師であるアルコフリバスにそのことを相談した。
連絡役として優れているのだが、彼までいなくなるといよいよ身近に優れた魔術師が減る。
「メルセデスの術自体は見破れても、奴を捕える事はできなかった。レン君の祖父が肉親であり師であったが故に違和感に気が付いて、メルセデスを打ち破ったがあれは二度とできんそうだ」
”私がさっと行って戻ってこようか”
「単独行動も危険じゃ」
”メルセデス達がなんといおうがアイラクーンディアが想像した通りの邪神だったらな・・・”
「お嬢も浄化を躊躇わなかったのにのう」
唯一神の器に力を写して本人は仮初の人形に入っており、浄化することに意味が無くなっている。少なくともイルンスールはそう考えていた。
”アテが外れてしまったな。浄化すれば何かしら隠し事を吐かせることは出来るかもしれない。強制させることは出来ないのか?”
「無理じゃ。説得する手段がまったく思い浮かばん」
お互いほぼ同時に王手を仕掛けていたが、こちらは王を殺せず、あちらは未だに王を殺す力を残している。
”メルセデスにとって大事なもの。コンスタンツィアを人質に取るとかは有効か?”
「どうかな。彼女は己の母と兄以外についてはそこまで重視していないじゃろう。幼い孫娘を残して自殺したわけじゃし」
”孫娘も所詮、知識を得るための道具か”
才女のコンスタンツィアは母達の日記やメルセデスが手に入れたシャフナザロフの研究所から示唆を得て独自に死霊魔術の探究を深めたようではあるが、メルセデスのように百年近く人々を操って実験するほどの時間は無く短い人生だった。
二人とも善後策を巡って思案を巡らせていると「あら、悪だくみですか?」と涼やかな声がかけられた。
「む?」
魔術で周囲には防音効果をかけていたので少々油断があった。
敵地なのでいくら気にしても仕方ないという諦観もあった。どうせあちらもこちらが疑っているのは百も承知の筈。
そう思いながらやれやれと振り向いたイザスネストアスの前には懐かしい顔があった。
◇◆◇
「お久しぶりです、イザスネストアス」
控え目にほほ笑んだ女性はイザスネストアスが生まれ育った領地ツェレス島の女司祭アリシア・アンドールだった。
「あ、アリシア?君なのか?」
彼は気の毒なくらい狼狽していた。
アリシアは今から約130年ほど前に天爵家が断絶する事となったツェレス島の大爆発事件で、容疑をかけられて唯一信教徒達に処刑された慈愛の女神の司祭だ。
若き領主だったイザスネストアスの恋人であり、彼も爆破に巻き込まれて大怪我を負っている内に全ては終わってしまった。
「はい、わたくしです。まさかもう一度貴方に会う日が来るとは思いませんでした」
”おい、お前ともあろうものがそう簡単に動揺するな”
警戒を解いたイザスネストアスにアルコフリバスが注意を喚起する。
「う、うむ。ウェルスティアの司祭である君が地獄にいる筈がない」
「あら二人しか知らない事をお話しましょうか?貴方と来たら慈愛の心がどこまで持つかなんて子供の頃から悪戯ばかりで・・・」
子供の頃から魔術の才があり、一人息子だったイザスネストアスは増長して育ち、子供の悪ふざけも成人して領主になると冗談では済まない段階に至る。
多くの者が見放すか或いは取り入ろうとして女癖の悪い彼に立場の弱い女性を貢いだりもした。帝都の目と鼻の先のツェレス島領主の悪評が広まり、人身売買の噂が立ち、領地没収まで囁かれた。
父祖の代から仕えて来た家臣も逃げ出す中、アリシアは懸命に擁護した。
妹分だった彼女はそこまで酷い被害には遭わずに済み、女司祭として被害女性達を匿い、売買ルートを突き止め売人を告発し手柄を領主のものとした。
その人身売買組織の被害は帝都だけでなく世界各地に及び、イザスネストアス個人の罪が隠れてしまうほど大規模だった為、個人的な悪評はすぐに消えた。もともと帝国が愛の女神を守護神としている為、多少の女癖の悪さは気にされないお国柄だったこともある。
しかし、奴隷売買は厳重に禁止されていた。自由恋愛が前提の寛容さである。
「まあ、待て。儂にも面子というものがある。ほんとうにアリシアなら儂を貶めたりはしない筈じゃ」
「あらまあ『儂』ですって。あら、おかしい」
くすくすと上品に笑った。
彼女に頭が上がらないイザスネストアスは顔が真っ赤になる。
「ご結婚されたのに、まだわたくしに色目を使うなんて相変わらずですね」
「待て待て、地獄で君が生きているなど思わなかったのであって妻への愛情はしっかりとあるぞ」
「地獄で生きているというのも変な話ですが、わたくしは構いませんよ。わたくしも帝国人ですし」
”誘惑されるなよ、おい”
アルコフリバスがいなければデレデレになったイザスネストアスは役立たずになっていたであろう。
「こほん。改めて言うが君が地獄に落ちるわけがない。君が地獄に落ちるようなら冥福を得られる人間などこの世にいない」
「ではわたくしの審判の記録を閲覧致しますか?皆さんもそうしていらっしゃるのですし」
アリシアは書庫にある自分の審判が記されたページまで誘導した。
◇◆◇
「こんな理不尽な話があるか、信じられん」
約130年ほど前の唯一信教の乱において皇后さえも隠れ信教徒であり、皇帝も影響された。
旧教を貶める為に愛の女神や慈愛の女神の神殿は第二帝国期にみられたような売春婦の巣窟だとさかんに攻撃された。古代には神聖娼婦という職業があり、愛の女神の加護を授ける儀式的な役目もあったが現代には無い。
「君がこんな事をする筈が無い」
イザスネストアスは書かれた罪状と行いを否定する。
「いいえ、すべて事実です。記録には端的な事しか書かれませんので法廷では生前の行状を映し出す鏡に経緯も表示されました」
アリシアは少々恥ずかしそうに告白した。
「天爵様暗殺の容疑をかけられたわたくし達は自白を迫られました。もちろんわたくし共はそんな事はしておりませんからそこには載っておりません」
しかし殺生の罪が載っている。そして邪淫、神への呪詛、冒涜なども。
「目の前で口と目を縫い付けられ、皮を剥がれ、体中の骨を砕かれる拷問を受けた信徒を楽にしてやるよう要求されました。わたくしは法廷の場に引きずり出す為に、暴力を受けていなかったので信徒達から恨まれ呪いの言葉をかけられながらそれをみていました。死に瀕したまま治療もされず苦しむ彼らをわたくしは殺しました。法廷で無力な人々の殺害を告白しました」
地下にあった火薬はしかけられたものでアリシアはあずかり知らぬ事で天爵の件とも無関係だったが、法廷では都合のいい部分だけ切り取られ魔術でその部分だけ拡声されて集まった人々に告げられてしまった。
「あんな法廷は無効じゃ」
「本来であれば。でも領主様や法官達も重体で統治能力が無く、帝国法務省が認めてしまったことです」
「人界の法はそうかもしれんが、こんな強要された罪で神々が地獄に落とすなど・・・ありえんことだ」
「しかし、現にわたくしは地獄に落ちました」
殺人を認めさせてしまえば売春を認めさせるのも簡単な事だった。
信徒達を人質にされてしまえば、抵抗もできなかった。
大勢の前で神々を呪うよう強要された時、自分でも本気で呪ったかもしれないとアリシアは思う。その姿を見て慈愛の女神の治癒の奇跡を受けた人々も離れ始めた。
それでもまだ慈愛の女神とその信徒に恩を受け納得いかない者がいて、抗議活動も起こったが権力を握っている唯一信教徒達は慈愛の女神の司祭たちに篭絡された不埒な連中だと広報活動を行った。
政府だけでなく民間の新聞社にも信徒がいた為に、これはますます広がった。
古い神々の各神殿は巻き込まれまいと態度をはっきりさせなかった。
本来、各神殿勢力をまとめる帝国祭祀界の頂点に立つのはエイラシルヴァ天爵家なのだが、爆殺されて断絶した為にまとまりがなかった。
アリシアは古い神々を貶める為に徹底的に利用された。
色欲については緩い帝国でも眉を顰めるような行為を行わされ、処刑される前に怒った民衆に八つ裂きにされてから罪人として火炙りにされた。
意識が戻ってから状況を知ったイザスネストアスは後に宮廷魔術師長となり、皇帝と帝国政府に眼を光らせた。この時の大乱についてはメルセデスの実兄がダルムント方伯家が抱える聖堂騎士団を帝都に侵入させ半ばクーデターの形で収拾している。
「お分かりですか?全て事実なのです。『鏡』が残っていれば実際の行いを見る事が出来て判断が出来たのでしょうが、ある方が先日『見てられない』と割ってしまいました」
「それはそうじゃろうて」
見ようが見まいが、審判の結果は予め決められている。
「強要されたとしてもわたくしが地獄に落ちる行為を行った事は事実なのです。でもおかげでわたくしはあまりにも哀れだとアイラクーンディアに救われました。彼女の信徒となる事が条件ですが」
「都合よく利用されているだけではないのか?」
「はい。地上にあったわたくしの遺体は死霊魔術に利用されて勝手に活動しております」
「勝手に?」
「どうもエドヴァルド様のお兄様同様に制御出来なくなってしまったそうです。生前と同じように治療活動をしながら旅をしているようで『筋金入りね』と笑われました」
同じ記憶を持っているだけの別人です、と付け加える。
「何をもって本人としたらよいか分からなくなってきたな」
「あら、魔術の先生でもそんなことをおっしゃるんですのね」
”本当にな”
「ここにいるわたくしは泥の人形で作った偽物の体ですが。魂はわたくしだけのもの。今もわたくしの意志で傷ついた地上の方達の治療に行くところです。貴方の判断材料となればいいと思って会いに来たのですが惑わしてしまったでしょうか」
「いや、そんなことはない。嬉しいとも。あとでまたゆっくり話したい」
イザスネストアスは涙ぐんで幼馴染との再会を喜んだ。
もう彼女が別人だと疑う余地は無かった。




