第36話 グランディとペレスヴェータ
レナートは重傷だったが、骨が折れたと思われた音は蹴り砕かれた物干し竿の音だった。
それでも肋骨をかなり痛めているようで医務室から近くの病院に運ばれてその日だけ入院することになった。エンマのおかげで個室を貰い、グランディは心配なので付き添いで一緒に泊めさせて貰うことができた。
その晩、レナートが苦しみながら眠りについたころグランディは試しに声をかけてみた。
「ペレスヴェータさん?いるんでしょう?私とは直接話せないのかしら?」
グランディはしばらくそっと返事を待つと眠ったままのレナートの口から返事があった。
「・・・私に何か?」
声自体はレナートのままだが、濃厚な魔力の気配が漂うと同時に室温が急激に下がった。
「わかる?貴女にも理解できるように無駄に発散しているのだけれど」
「え、ええ」
その言葉でレナートがふざけているのではなく確かに別人が乗り移っているとグランディは確信した。グランディが認識した途端、魔力の気配は消えた。
「どうしてレンちゃんを守ってあげないんですか?それが貴女の役割なのでは?」
「自分で首を突っ込んだからよ。幼くても男の子なんだから自分で始めた事は自分で始末をつけないとね」
ペレスヴェータは自分で責任を取ればいいという態度のようだった。
「でも、一歩間違えたら死んでいたかもしれないんですよ?」
「子供は死ぬものよ」
ペレスヴェータは達観していた。
「それにしても息苦しいわね」
そういってペレスヴェータが一度息を吸い込んだ後、呼吸で上下していたレナートの胸は少し穏やかになった。
「何かされたんですか?」
「体の不調を少し戻しただけ」
「治癒の奇跡を使えるのですか?」
「人の体にはもともと元に戻ろうとする力が備わっているものよ。・・・それに私が信じる神は唯一つだけ」
「一神教の方ですか・・・」
帝国にも他国にも多くの神々がおり、その神々には付き従う眷属神もいる。
大勢の国からの移民を受け入れ、複数の国、民族を従える帝国は信仰を押し付けずお互いを認め合い、尊重することは国是である。だが、唯一の絶対神しか信仰せず他の神々を否定する唯一信教だけは別だった。
「お前が想像した唯一神ではない、お前たち帝国人に歴史から抹消された、今となっては名も無き神よ」
「そんなことはありません。帝国は全ての国家の神々を尊重しています」
「今はね」
ペレスヴェータは若干小馬鹿にするように笑った。
グランディは不服だったが、今は信仰について言い争っている場合ではない。
「それで?何が望みなの?あの男を捻りつぶしてレナートを犯罪者にしたい?この国では勝手な復讐は許されないのでしょう?それがお前たちが作り上げた法律でしょう?」
自分に文句をいうな、とペレスヴェータは突き放す。
「でも、このままじゃ可哀そうじゃありませんか」
「じゃあ、お前が私に体を貸す?友人ならあの男に悪夢でも見せてやることが出来たのだけれど私はそういう術は得意ではないから」
「・・・何をするつもりですか?」
「そう警戒しないで。ただの嫌がらせ。貴女の望み通り可愛い妹の子供を傷つけた報いを受けさせてあげるわ」
ペレスヴェータはグランディと違って魔術の痕跡を残さずに行使できるから学院にバレて怒られることもないと保証した。
◇◆◇
”貴女、帝国人にしては意外に貧相な体よね”
ペレスヴェータの精神体を受け入れたグランディの体にちょっと変化があった。
少しばかり豊満な体つきになり、グランディはその体を見下ろしている。
「何故、こんな変化が?レンちゃんの体には影響ないのに」
”普段はレナートの周辺を漂っているだけだけど、今は完全に憑依して肉体を操作しているからかしら”
「でも精神の力が現実の体に影響を及ぼすものでしょうか」
”普段から魔術で現象界を書き換えている帝国貴族が今さら何を”
「それはそうですが・・・」
グランディはいまいち納得できない。
”もしかしたら憑依されているから貴女の目にそう見えるだけで錯覚かも」
グランディも六歳の頃、魔力に目覚めたがそのころはうまく制御が出来ず魔力の視界で見る目では現実の境界線が区別できず眩暈がすることが多々あった。
人がより大きく見えたり、逆に小さくなったり、人工物がほとんど視界に入らなくなったりと弊害が多く、日常生活ではあまり魔力を意識しないように心がけなくてはならなかった。
「完全に物理的に体型が変化している気がしますが、貴女はもともと・・・こんな体つきだったのですか?」
”お腹周りはもう少し細かったわね”
「反映してくださいよ!!」
豊穣の女神を信仰する帝国人は大抵、骨太で豊満である。
ありていにいえば古代では太っているほど神の子として祝福を受けているという価値観だったので恥じる事なく富裕層は肥え太り、平民が痩せているのは不信心だから貧しい階級に生まれたのだと信じられた。
古代神聖期から数千年が過ぎて、少しずつ信仰は薄れていったが価値観は今も残っている。
他国との交流が増え、近年は特に痩身体型の東方人が流入し他国人の目を気にするようになった帝国ではちょっとしたダイエットブームがあった。
ぷりぷりしながらグランディは夜間に人目を忍んで男子寮に近づき、そこでペレスヴェータが魔術を使った。
◇◆◇
それからしばらくアルメシオンは朝、目が覚めると風邪を引いたり、何もない所で転ぶとかの不運に見舞われたがしばらくするとそれも止んだ。
「・・・わざわざ体を貸してこれだけですか?」
”レナートの為にしたわけじゃなくてあの子の面倒を見てくれたお前へのお礼だもの”
小さな子供の面倒をみた対価はこの程度だということだった。
「やりたければ自分でやれっていうお叱りですか?」
”ふふ。お前が可愛い事をいうから満足するまで付き合っただけ”
この時は意味が分かっていなかったがグランディーは後に北方人の暮らしぶり、特にパヴェータ族の事をヴォーリャに聞いてペレスヴェータを警戒するようになった。




