第7話 蛇神ナルガ・トウジャ
イルンスールはエドヴァルドや人馬族の護衛と共にやってきた。
「へび?」
「そうそう。数十人くらいまとめて呑み込めるくらい大きな蛇」
河の近くに布陣している本隊はどうしてもこの蛇を倒しておきたいので氷神グラキエースの力がいる。
「たしかにレン君なら相性は良さそうだ」
「うわあ!エレンガッセンさん?」
河原の泥を持ってきてもらったが、うまく固まらずにどろどろに溶けてかなり気持ち悪い見た目になっている。
「安静にしてた方がいいんじゃない?」
「別に痛くもなんともない。何か布でも貸してくれ」
正視に堪えないありさまだったので布で隠して会話を続けた。
「いくら神に近い力を持っていようと蛇の姿をしているなら蛇同様の弱点はあるだろう」
本隊の所に戻るまでみちみちどんな怪物なのかを聞いた。
巨体の動きに巻き込まれて数十人が戦死しているそうだ。
「鱗の表面はぬめりがあって、攻撃は効きづらい。鱗自体は固く、胴体の筋肉は弾力もあって神剣といえど弾かれてしまった者達もいた」
「今はみんなどうしているんです?」
「今は魔術師達が河を堰き止めようとしている」
「あれを?無理じゃないですか?」
いくつも支流がある大河だ。隠れる場所は多数あり、追い詰めるのは難しいように思えた。
「難しい事は分かっているが、動いてみないと打開策も見えてこない」
「きっとみんな殺されちゃいますよ」
話を聞く限り、皆が勝てるような相手ではない。
地形も相手に有利過ぎる。
「そんなことは折り込み済みだ。敵の弱体な箇所を少しずつ探る。我々軍人は皆勝利の礎となる事を覚悟して戦場に臨んでいる」
「魔術師さん達がろくに抵抗も出来ないと思うんですけど、無駄死にじゃないんですか」
本陣にいる世界で最も強力な魔導騎士達にも、神獣にも手に負えなかった怪物の前に魔術師を出すなんて、とレナートは思う。
「他人にどう見えようと戦いに望む者は無駄とは思っていない。我々が無駄にはさせない。帝国は我々の十倍もの軍事力、何百倍の経済力があったが我々は倒した。敵がどれだけ強大であっても必ず勝機はある」
「まあまあお義父様。そうはいってもこうしてレンさんの助けを借りに来たわけですし。彼女は軍人じゃないんですから」
ちょっと熱くなり始めたエドヴァルドをイルンスールが止める。
「あれ?」
「みんなはあれこれやろうとしてたけど、わたしはレンさんに頼むのが一番いいと思って来たの」
「君は蛇が嫌いだから離れたかっただけだろう」
呆れたようにエドヴァルドが言う。
「そうなの?」
「そうなの」
ちょこちょこと歩いてきてレナートの裾に掴まった。
「わたし蛇だけはどうしても駄目なの。倒さなくてもいいけど終わるまで氷漬けにしておいてくれないかな?」
「いいよ」
しばらく黙って聞いていたエレンガッセンがそろそろ口を挟んでもいいかと近寄ってきた。
「何か?」
「レン君でも水に流れがある状態では凍らせるのは難しいだろう。堰き止めるのはいい判断だと思う。それに剣や槍で戦うような相手ではないだろう。大勢で戦っても強力な神器で味方を巻き込んでしまうだろうから少数の部隊で決行するしかないのではないかな」
「まあ、そういうことだ」
「ふーん」
言っている事は大差ないのにエレンガッセンの言葉は素直に受け止められてしまうのはやはり身内意識が強いせいだろう。
「ところでその蛇とは話せた?」
「話す?」
「神様として信仰されるほどの生き物なら結構知性高いんじゃない?ヴェルハリルは話せたよ。ムカつく奴だったけど」
「話す、とは考えなかったな」
「こんな所に閉じ込められて怒ってるだけかもしれないし。まずは会話してみようよ」
「向こうは問答無用で襲ってきたんだがな」
「だからってアイラクーンディアの手下とは限らないでしょ」
棲み処を荒らされて怒っているのかもしれないし、戦わずに済むのならその方がいいと考えた。
◇◆◇
魔術の明かりで照らされた本陣近くまで来て周囲も大分明るくなった。
天井方向にも明かりを撃ちだしているが、高空には雲が出来ているので見通せない。
「蛇は砂に埋もれて待ち伏せをすることもある」
全員が上を警戒することにエレンガッセンは警笛を鳴らした。
「この周辺の土地は柔らかい。気を付けた方がいい」
「うーん。じゃあこの辺からもう冷やしちゃおうか」
狩人の本能か、そろそろ本陣が近いと気を抜きそうになった時にこそ狩猟者が狙っている気がした。
「どうぞどうぞ」
周囲の護衛は通常装備だがイルンスールは予め防寒具を着て来ている。
「じゃあ」
あっという間に氷原が広がった。
「我々の動きが鈍くならない程度に頼む」
吹雪を起こしてさらに気温を低下させると剣を抜くのもままならなくなる。
「じゃあ、このくらいで。地下に何かいればすぐ気付けるよ」
「さすが」
「ではアドニス殿。上の方を頼む」
「わかりました」
呼ばれて出て来たのは美中年の騎士だった。
彼は部下達と共に渦巻く風を紋章とした旗や扇を持ち出してきた。
「あれは?」
「ヴェルハリルだったか?奴のガスを吹き飛ばした神器だ。彼らは神聖ピトリヴァータ王国の騎士達だ」
ピトリヴァータは東方の三大王国の一つリーアン連合王国西部諸侯が独立して出来た国で、帝国によって一度解体されたが、先の戦争で再び建国して帝国打倒に加わった。
今はクロリス小王が選挙で神聖ピトリヴァータ王に選ばれている。
アドニスはその王である。
彼らが上空を晴らすと青い魔力の煌めきが星のように広がった。
「昔から地脈とか霊脈などと呼ばれているものだろうな」
時折放電現象のような魔力の光が走っている。
「現れたらボクがやるからみんなは離れててね。サイネリアさん達はイルンスールさんをお願い」
「はい」
「俺達は側にいるぜ」
アルハザードやエンリルは氷神の影響を受けにくいので引き続き護衛を務める。
「俺も、お守りを貰ってるから平気だ」
「うん・・・」
ドムンも護衛に加わった。
「話を聞く限りみんながどうにか出来る相手でも無さそうだからアルハザードさん達も少し離れててね」
「おう」
警戒しながら歩みを続けると、レナートの感覚にピンと来るものがあった。
「き・・・うわぁ!」
斜め後ろから猛然と突っ込んで来た。
あまりの速さで振り返った時にはもう目の前で大口を開けていた。
レナートは自分を氷塊の閉じ込めて身を守ったが、周囲の護衛は剣を抜く暇も無かった。
エドヴァルドはさすがに反応して槍を突き立てたが、装甲のような鱗に弾かれてしまう。
イルンスールを背に乗せていたクーシャントは飛び跳ねて距離を取ろうとしたが、間に合わずに足に噛みつかれた。
次の瞬間トウジャは激しく体をうねらせて回転し、クーシャントの前足を千切り取った。
クーシャントは悲鳴を上げながら後ろ足で蹴って大きく距離を取った。
四方八方から矢や魔術が飛ぶがトウジャの鱗には傷一つ与えられていない。
アドニスが巨大な軍団旗のような神器をかざすと竜巻が起き、それを殴りつけるようにして叩きつけた。トウジャは氷床に叩きつけられ、体をうねらせる。
最初はつるつると滑っていたが、そのうち解けて周囲が水浸しになってしまった。
アドニスに対抗して水の竜巻を作り何人も巻き込んでいく。
「全員下がって!」
神域を浸食された。
全力でやらないと凍結を維持できない。
しかしやれば皆を巻き込んでしまう。
「しかしな!」
呑み込まれそうになったエドヴァルドが口の中で槍を突き立てて辛くも回避する。
飛び降りた先にプッと槍を吐かれ、自らの槍に貫かれそうになったが、アドニスが風で逸らしてくれたおかげでぎりぎり外れた。
距離を取っていた者は水の竜巻に巻き込まれ空高く吹き飛ばされていった。
近くにいたエンリルがとりついて爪を立てようが牙で噛みつこうがまったく通用していない。
アルハザードの剣も弾かれ、古代神の圧倒的な力に翻弄され、皆逃げる暇も無い。
”お前!ちょっと待て”
待てといわれて待つ馬鹿はいないだろうとアルハザードは思ったが、意外にも注意を引けた。
”ナルガ?”
イルンスールが逃げた方向に向いていた頭がレナートの方に向く。
”違うけど”
”ソノヨウダ、デハ、食ッタナ”
周囲の水の竜巻が全てレナートに向かってきた。
”このっ”
レナートは水面下に沈み周囲を凍結させて竜巻をやり過ごした。
それからさらに凍結範囲を拡大し、氷の槍を何百本も作ってトウジャを襲う。
激しく体を回転させてそれらは弾き飛ばされたが、レナートは攻撃を止めなかった。
”まだまだいくよ”
トウジャの周囲に球形の氷の結界を作って取り込む。
そこから雨あられと氷の槍を降り注がせる。
トウジャが回転を続けて弾き、粉砕しても欠片がまとわりつき、徐々に巨体を凍らせていった。
後編を書いていた時に、気分転換したくなって20話ほどの短編を書きました。
あまり細かい事気にせず、さくっと書きたかったので設定や固有名詞を流用しています。
『スロースターター』
https://ncode.syosetu.com/n0710ij/
本作に関わるキャラクターは一切出てない気楽な息抜き作品です。




