第6話 真・腐竜ヴェルハリル
沼地の濁流に飲み込まれたレナートは咄嗟に自分を氷塊の中に閉じ込めた。
猛烈な勢いで溶かされていくが、周囲の泥に水分が大量にある為、即座に失った分を補う事ができた。
濁流に翻弄されながらも周囲にいた人間達が次々と溶かされていくのを感じた。
”スヴィータ!ハスティン!アエラ!”
ウィーグリフの断末魔の声も聞こえた。
彼らの肉体が溶かされ、魂が喰らわれる時の悲鳴が聞こえてくる。
死んだ。死なせてしまった。
喧嘩しながらもどうにか妻子と共に暮らす生活を楽しんでいたウィーグリフを死なせてしまった。地獄の審判も天界の祝福を受ける事も無く化け物に魂すら食われてしまった。
彼の名を呼んで嘆くレナートに対し怪物が心の底から満足したような愉悦の感情が伝わってくる。
”あぁ、生者の魂がこんなにも旨いものだとは久しく忘れていた”
”お前!あの時の”
地上では会話にならなかったが今ははっきりとその意志が伝わってくる。
”ヴェルハリル”
”そう。地上の絞りカスにすら何もできなかったお前はここでも無力だ。我が憎いか?なら止めて見るがいい”
必死に後退を指揮していたカルネアデスも一瞬で溶かされてしまった。
”どうしたそんな所に閉じこもっていても誰も助けられはしないぞ?”
氷の槍を作ってヴェルハリルを串刺しにしようと試みたが、気体の体をいくら貫いても効果は無かった。必死の抵抗をヴェルハリルは嘲笑う。
憎くてたまらなかったが、妙に冷静な自分もいた。
まだ北方戦士団は残っていてウィーグリフや自分の安否を心配している。
抵抗していれば彼らが逃げる時間を稼げる。
この世界は現象界と繋がった異世界で完全に地上の物理法則が通じないわけではない。
亡霊には泥の体が与えられる。
地上では腐肉のような体からガスのブレスを放って攻撃してきたが、ここではむしろガスの方が本体のようである。
取り込んだ物を腐らせ、溶かし、吸収している。その副産物として水が出る。
周囲の物が腐り落ちる前にレナートは全て凍らせ始めた。
”なにを”
”どっちの方が強いか勝負しようか”
魔術の戦いはその場の支配力だと教わった。
力任せに周囲の物を取り込んで凍らせていく。
お互いの力は拮抗し我慢比べとなった。
◇◆◇
ヴェルハリルはレナートの力を弱めようとさまざまな挑発をしてきた。
取り込んだ魂をちらつかせ、悲鳴を聞かせ、自分がいかに強大な存在であるか語った。
”大神イラートゥスさえも我には敵わなかった。神剣であろうといかなる武具であろうとこの体には通じぬ。お前がどんなに泥を凍らせようとすべては腐り落ちて我が一部となるのだ”
”耐えよ忍べよ腐り落ちるまで”
”?”
”知り合いのおねーさんちの家訓。耐えるのは得意なんだよねえ”
ヴェルハリルがどんなに腐らせても範囲には限度がある。
範囲を拡大しようとすれば己を大きくするためにガスに変換して水が出る。
レナートはそれを凍らせて自分の神域を拡大する。
お互い決め手が無かった。
”いつまで続けるつもりだ!”
”何年でも何十年でも”
北方の戦士達はいくらか逃げ延びたので、レナートの安否を気遣い力を寄こしてくれる。
かなり長い間膠着状態が続いたが、段々とヴェルハリルの力が弱まっていった。
”どうかした?もう力尽きちゃった?ボクはまだまだいけるよ?”
”・・・お前の仲間が近づいてきたから先にそっちを喰らっているだけだ。始末が終わればいよいよお前も終わりだ”
”へー”
”強がりをいっても動揺が伝わってくるぞ”
”ぷっ”
”何がおかしい”
”戻ってきた人は勝算があるから戻ってきたわけでしょ?キミってば大神にも負けなかったのにそこらの人間に負けちゃうんだ?そもそも誰かに負けちゃったからこんな腐ったゴミの吹き溜まりに押し込められてたんだよね?昔は誰に負けたの?やっぱり人間?どうやって負けたのか聞いてもいい?”
ヴェルハリルは小童が!と怒りの声をあげてレナートに対し溶かす力を注力した。
”あれえ?ムキになってもその程度?キミひょっとしてほんとにヤバイんじゃない?”
段々レナートに余裕が出て来た。
油断は良くないが、どうもヴェルハリルの声に必死さが滲む割にたいした力は感じない。
段々とヴェルハリルの意志が遠のいていくのを感じる。
”ねえ、何処行くの?”
”・・・ノ・・・・・・ガ”
遠いというかどうにも薄い。
”レン?ちょっと力を緩めて貰える?トドメを差したいのだけど貴女の力が強すぎて近づけない”
ラターニャの声が聞こえてきた。
騙されている可能性を考慮して、少しずつ力を緩めて神域を小さくすると周囲の状況が見え始めた。
氷床の上にラターニャやエレンガッセン、巨大な扇を持った者や妙な煙を吐いている壺を持った者達がいた。
そして小さな蜥蜴に対して槍を構えたホルスもいる。
「うーむ。儂の死に場所はここかと思ったんだがのう」
ヴェルハリルと相打ちを覚悟していたホルスは拍子抜けしている。
「吸着は終わったのでもう始末していいですよ」
禍々しい魔石を持ったエレンガッセンが促し、ホルスはヴェルハリルを始末した。
「え、もう終わったの?ひょっとしてまたボク役に立たなかった?」
「まさか。レンが抑え込んでくれなければ悠長に薬品を合成している暇はありませんでしたよ」
ラターニャが慰めてくれたが、自分の力で倒せなかったのを残念に思うレナートであった。
「北方戦士団を後方に下げて一度先遣隊は再編が必要になるでしょう」
軍人としてブルクハルトがラターニャに前線を下げた方がよいと告げた。
「そうですね。レン、本陣にレンでなければ対処が難しい怪物が現れました。一度後退しましょう。当面ここには偵察部隊だけ残します」
「はーい」
戻る最中、本陣から護衛を連れて離れていたイルンスールに遭遇する。
「助けて!おっかない蛇がいるの」




