第5話 沼地の霧
最初に異変に気付いたのはラターニャの護衛である竜騎士ブルクハルト・タクシス・コブルゴータだった。柄の金属の部分がぬるりとして違和感を感じた。
気が付くと地獄で遭遇したカイラス族の者達の体が溶け始めていた。
暗くて皆些細な変化には気付くのが遅れたのだ。
警告の声を上げようとした時、泥の塊がレナートを包み込み底なし沼へと引きずり込んだ。
沼地を偵察していた先遣隊も次々とうねる何かに呑み込まれていく。
ブルクハルトはラターニャを抱え、彼の特殊な鎧の飛翔機能を使って空中へと飛び上がり、ワイヤーを岩の柱に打ち込みながら沼地の前で待機していた残存部隊に合流した。
待っていたウィーグリフは「一体何が?」と問いかける。
「状況、ガス!撤収!」
ブルクハルトは短く答えてさらに遠くへと飛翔した。
霧は沼地から残りの部隊へと広がり、反応が遅れた者をさらに飲み込んでいく。
カルネアデスはタルトムードの戦いの教訓で咄嗟に魔術で風の防護壁を作り自分と周囲の者を守った。北方戦士団も魔術を使える者は多かったのだが反応が遅れた事、そして補助として使う突風くらいで持続的に身を守れる壁は作り出せず霧に飲み込まれてしまった。
距離を取って安全を確認した時、その場には3割ほどしか先遣隊は残っていなかった。
◇◆◇
「ドムン!レンは?」
ロスパーを抱いて戻ってきたドムンにスリクが怒鳴るようにして尋ねた。
「わからん。ナニカに飲まれた」
「何だよ、それ!あいつを守らないで何で戻ってきたんだ!?」
「やめんか。死んだと決まったわけでもなし」
ホルスは落ち着いて遠くに漂う霧を眺めた。
「あの雰囲気は前にも感じたことがある。お前はどう思う?」
「ヴェルハリルですか?確かに・・・。ところでウィーグリフ殿やカルネアデス老師は何処に?」
固まっていればそのうち合流出来るかと思ったが、いつまで経っても姿を現さなかった。
ようやくにして現れたのは体が半ば溶かされたエレンガッセン。
「カルネアデスは強力な噴射ガスに飲まれて消えてしまった」
皆を守ろうとしたのが怪物に気付かれたか、集中的な攻撃にあってしまった。
ウィーグリフもそうだ。
「私のようなものは相手にもならないと放置されたのだろう」
「先遣部隊の隊長と参謀役と最大戦力のレナートを優先的に抹殺した所を見るとかなり知性が高い怪物だ」
誰も地獄特有の自然現象とは考えていない。
「勝手に殺すな!レンが死ぬもんか」
「済まない。『抹殺しに動いた』と言いたかったのだ」
ブルクハルトが発言を訂正する。
「ラターニャ様、如何いたしましょうか。北方戦士団の副団長とも協議が必要ですがこういった事態には不慣れかと思います」
「ラマ族の戦士と人馬族を使って本隊に伝令を」
「はっ」
「それに魔術師、特に風の魔術が得意なもの。それと風神系統の神器の持ち主の増援を。他にもこの神器と・・・あぁついでに河原の泥も」
エレンガッセンは伝令が伝えるべき内容を追加する。
「彼の言う通りに。で、何か対策でも?」
「溶かされてしまったがカルネアデスの対策は有効だったと思う。集束されなければ私一人満足に溶かす事もできないのだから散らしてしまえば本体を叩けるのではないかな」
防御にも攻撃にも有効だろうと判断された。
「なるほど。他の神器は?」
山の神や鉱物神の神器で特定の鉱物に変換させて取り出す事が出来る。
「腐食ガスを吸着させる為のものだ。手持ちに薬品も何もないのでね。風神の力が通じなかった場合は科学の出番だ」
専用の設備がなくとも神器と魔術があれば中和剤はいくつか作り出せる。
「エレンガッセン。今の俺達にどうにかできる手段は無いのか?」
ドムンが問う。
「ない。レン君と同様、敵も周囲一帯の環境を変えることが出来る怪物だ。気体を剣でついてもどうにもならない。全滅するだけだ」
「くそっ」
「今は準備を整えよう。必ず機会は来る」
「何の?」
「もちろんレン君を取り戻す機会だ」




