第34話 理不尽な力
フォーンコルヌ王立学院の新学期が始まった。
レナートは早朝に犬の散歩を終え、それから生徒達の机の上にケイナン教授に頼まれた用紙を配布した。仕事が終わったので中庭に出て遊んでいた所、登校してきたパーシアを見かけたので彼女にパーカーのお礼を言いに近づこうとしたのだが、途中で一人の生徒にぶつかってしまった。
「あ、ごめんなさーい」
謝って、「パーシア様〜」とまた走り出したレナートの腕を男子生徒は掴んだ。
「おい、なんでこんな所に平民のクソガキが歩いてるんだ」
「え?」
「見ろ、汚れちまったじゃないか」
その生徒は胸についた服のシミを指した。
片手にコップを持った生徒は歩きながら飲んでいたようでレナートがぶつかったときに零してしまったようだ。
「だから謝って・・・」
「謝って済むか!」
レナートは何でそんなに怒っているんだろう?ときょとんとして見上げた。
男子生徒は手の甲で思いっきりレナートの頬を叩いた。それには軽いレナートの体が吹っ飛んでしまうほどの力が込められていた。
目の前で小さな子供が殴り飛ばされたのを見て、パーシアや取り巻きの女生徒たちが悲鳴を上げる。パーシアの取り巻きの中にグランディもおり、地面に倒れたままぴくりともしないレナートを抱き起こした。うつぶせに倒れているレナートを仰向けにして頭を持ち上げてみると口元から血が流れ、歯がぽろりと落ちてきた。
「まあ、折れているわ」
レナートは脳震盪を起しており、グランディに抱き起こされても視界が真っ白だったが徐々に意識を取り戻して自分に何が起こったのか、頬というより頭全体の痛みに耐えられず大声で泣き出した。
「まあ、本当に。小さな子供相手になんてことを」
パーシアや他の女生徒たちが一斉に非難するも男子生徒は怯まずに歯をむき出して威嚇する。
「あぁ!?何か文句でもあるのか!」
大柄な男性に怒鳴られると女生徒たちはひっと怯えてそれ以上何も言えなくなってしまった。唯一グランディは「こんな怪我をさせておいて」と抗議した。
「あぁ!?」
凄む男に対して勇敢に前に出たグランディだったが、さらに怒鳴られるとやはり怯えが出る。そこに彼女を励ますかのように校門近くに繋がれていた犬が鎖を引きちぎり、吠えて駆け出してきた。
「ジーン!?」
グランディが振り向くと、その犬はレナートと仲が良い子だった。
女生徒達が慌てて道を開けると犬はそのままレナートを殴り飛ばした生徒に向かって大きく跳躍して噛みつこうとする。
「んだぁ?このワンコロが!」
男子生徒は握りしめた拳でジーンの頭を刈るように薙ぎ、一撃でその小さな頭蓋骨を破壊した。彼は貴族だった。魔力が込められた一撃に犬は耐えられなかった。
ジーンはぴすぴすと鼻を鳴らしただけで、断末魔の声を上げる事もなく息絶えた。
「ジーン?ジーン?」
レナートは目の前のあまりにも酷い惨状に声を失った。
グランディは咄嗟にレナートの視線を遮ったが、もう遅かった。ジーンの頭が木っ端みじんに粉砕されて内容物が飛び散った所を見てしまった。
「うお、汚ねえ」
男子生徒は拳についた犬の体液をぶんと振って散らした。
女生徒達もレナートと同じく惨劇に声を失って何も言えなかったが、グランディだけは違った。
「こんな理不尽な暴力は許されませんよ!」
「へえ、じゃあどうするってんだ?お前に何が出来る」
男子生徒がグランディに凄む。今度はグランディも怯まずに立ち上がって向き直り、睨みつけたが男子生徒は汚れた腕で彼女の顎を掴もうとした。
「グランディ、下がって」
「ニキアス!」
グランディと男の間に若い学生がひとり割って入った。
「なんだてめえは?」
「マルーン公の封臣バントシェンナ男爵の子ニキアス。誰だか知らないがうちのお嬢様に危害を加えるつもりなら相手をしよう」
彼らが揉めていると次々人も集まってくる。
倒れて泣いている子供とそれをあやしている女生徒、そして番犬の死骸。
集まってきた人々は現場を見ておらずとも明らかに凄んでいる男子生徒の方が悪さをしたようだ、と察した。
そして新たにやってきた男子生徒の一人が暴行を振るっていた男子に話しかけた。
「何があった、アルメシオン」
「いやね。ガキが走ってぶつかってきたから跳ねのけただけですよ」
「そうか。ならいい。それよりさっさと俺の案内をしろ」
男子生徒たちは合流し立ち去ろうとしたが、また別の女生徒達がやってきておりグランディから事情を聞いたエンマが怒りの声と共に制止した。
「お待ちなさい。聞けばその男が子供を殴り飛ばしたそうじゃないの。いくら平民が相手でも立派な犯罪よ」
「なんだ。お前は」
レナートを殴った男子生徒の主人面をしていた男子がエンマに訊ねた。
「今年から入学することになったクールアッハ大公家の者よ」
「というとエンマか。大きくなったな。俺はアルキビアデスだ。覚えてないか?」
「・・・あぁ、貴方が」
厄介な奴に声をかけてしまった、とエンマは早速後悔した。
「そこの子供の方がぶつかってきたそうだぞ?自業自得だろう」
「いきなり殴り飛ばしたって聞いたわ。それに番犬を殺したって」
アルキビアデスはもう一度アルメシオンに確認したが、アルメシオンは言い分を変えなかった。犬については正当防衛なので非難されるいわれはなく、学院の管理責任を問うつもりだとさえ言い放った。
「でもこの子は歯が折れてるのよ。やりすぎでしょう」
「小さな子供だ、もともと脆かったんだろう。どうせまた生えるさ。パーシア、大公女サマを黙らせておいてくれ。授業に遅刻してしまう」
「仕方ないわね」
男子生徒達は立ち去ってしまい、後には女生徒とまだ泣いているレナートが残された。
◇◆◇
ジーンの死体を見て卒倒してしまう女生徒もおり、用務員が急いで処分に取り掛かった。
その作業を脇目で見ながらグランディはパーシアに詰問した。
「パーシア様。貴女は見ていたのにあの男たちを許されるのですか?」
「私に言われても困るわ。あとでもう一度アルキビアデスにアルメシオンをきつく注意するように言っておいてあげるけど。それ以上はね・・・。それともグランディは陪臣の領民の子の為に直接皇家の家臣を訴えてみる?」
殺されたならともかく、レナートにも非があった状況では領主達も君主側を訴えるのは難しい。
「・・・どうするレンちゃん?私は証言してあげてもいいけれど」
と、いわれてもレナートには彼らの人間関係や貴族達の力関係がよくわかっていない。
「止めておきなさい。争っても些細な慰謝料と引き換えに恨みを買うだけだわ」
エンマは客観的に考えてグランディを止めた。
「でも・・・近いうちにお父さんと会う事になるのに。怪我をさせてしまった事をお詫びしないと」
「そんな事よりもっと重大な問題があるでしょう?さあ、わたくし達も授業に行きましょう。あ、でもレナートを医務室に送ってやらないといけないわね」
「ううん、いいです。エンマ様」
レナートはようやく涙も止まって自力で立ち上がった。
「そう?一人で行ける?」
「行かない。お部屋帰るもん・・・。あ、パーシア様、これありがとうございました」
レナートは立ち去ろうとして最後に思い出したように向き直り、ウサ耳を両手で持ってひょこひょこさせながらパーシアに頭を下げ、それから一人ですたすたと歩き出して行った。
涙をこらえて走り去るレナートをグランディは気遣わしげに見送るもそれ以上は何も出来ず自分達も授業に向かうしかなかった。
◇◆◇
「ニキアス、先ほどは有難う」
忙しくて礼が言えなかったが、授業の休み時間にグランディはアルメシオンとの間に割って入ってくれた知人に礼をいった。ニキアスは幼馴染でもありそれなりに親しい。
「構わないが、もう中央の貴族に喧嘩を売るのは止めてくれ。君を守らなければ我が父が公から叱責を受けるだろうし。スタンはどうした?」
「市井で働いてるわ」
グランディを連れ出してしまった事で帰郷すると彼は処分を受けてしまう。仕方なく皇都で働き始めていた。
「護衛も無しに中央貴族相手に強気に出ないで貰えるかな?」
口調は丁寧だが彼の静かな怒りが伝わってくる。
「そうね。御免なさい。勇敢な家臣がいて下さって助かりましたと男爵に父から礼を伝えましょう」
「有り難いね。君を守って奴に撲殺されたとしてもきっと礼を言って下さるだろう」
「まあ、大げさな」
「そうかな。中央の貴族から見れば私など辺境の野良犬くらいにしか思っていないだろう。脳漿をぶちまけていたあの犬と同じ運命を辿るさ。そして犬と同じように誰にも顧みられず、父母は泣いて暮らすだろう」
「・・・ごめんなさい」
「君も正義感が強いのはいいが、不相応な真似はしないことだ」
「もっともな話ね。御免なさい。でも小さな子を見捨てるなんて出来なくて」
「それはいい。だが余計な一言を避けるくらいの処世術は身に着けて欲しい」
「・・・おっしゃる通りだわ。御免なさい」
グランディは家臣の子を巻き込んでしまったことに反省しきりだった。
◇◆◇
グランディはレナートが心配になって昼休みに一度寮に戻った。
心配した通り毛布に包まって泣いており、顎をちゃんと冷やしてもいなかったので管理人に申請して魔術を使わせて貰いレナートの顎を冷やしてやった。
「大丈夫?ペレスヴェータさんは守ってくれないの?こういうとき」
「お姉ちゃんは学院は安全だろうって昼間は寝てたり、どっか行っちゃってる。それに自分でやれって言われるもん」
のんびりした性格のレナートでも村にいたころは喧嘩のひとつや二つしたことはあるが、ペレスヴェータは介入してくれなかったとレナートは言った。
「そう・・・意外と役に立たないのね。何のために憑いてるのかしら・・・。それじゃ、どうしましょうか。公権力に訴えるのは難しいけど学院側とか男子生徒の自治会長に訴えるとかしてみましょうか」
「そんなのいいもん。自分であいつやっつけるもん」
グランディに慰められて少しは元気を取り戻したのか、今度は復讐心に燃え始めていた。
「やっつけるって・・・無理よ。アルメシオンは皇家の騎士の家系だそうだから」
魔力を持っているだけのそこらの貴族とは違う。
『やっつける』という言葉を本気にしていなかったグランディだったのだが、夕方に自分の判断の甘さを恨む事になった。




