第46話 泉の女神エーゲリーエ
スリクはレナートが当分ドムンにべったりしているかと思ったが、意外にも喧嘩したようでレナートはしばらくドムンと口を利かずにいた。
一行はケルダンド近くまで来てから、天馬や飛行能力を持つ者が先行して城の上空へやってきた。あちこちに祭壇があって相変わらず火神への信仰は続いているようだった。
「雨を降らせるね」
水神達は世界を去る時、己の力を出来る限り分け与えグラキエースの力を回復させ、神格も移譲していった。神に与えられた火は永遠に燃え続ける筈だったが、その神が既に消滅している為、雨の女神の力で瞬く間に消えた。
信者たちがパニックになっている間に、彼らは城内に入った。
アルヴェラグスは造反者と共に内部に入り指導者を探した。
「フィネガン公。どうしたことだその姿は」
火神の信徒の真っ赤な神官服を着ている。
「アルヴェラグス様。クロタール、これはいったい?火神達は何処へ?」
「全て始末した。もう従う必要はない」
「なんという罰当たりなことを!我らの救いは無くなった!もう終わりだ!」
彼らは強制的に信者にさせられたわけではない。
この世界に絶望し、火神によって己の罪を浄化して貰える事を期待していたのだ。
「黙れ、大公爵たるものが恥をさらすな」
気をしっかり持ち、民を統べよと叱咤した。
「この都にはもはや数えるほどしか人は残っておりません。郊外の農民は皆、鼠や亡者に食われてしまった。ほぼ全滅です。畑を耕す者もいない。土地は腐って、浄化してくれる筈の神も消えた」
「農民がいなくなったのなら自分で耕せ。土地が使えなくなったのなら移れ。清めたければ、我らと共に邪神と戦え!」
公はすぐには気力を回復しなかったが、アルヴェラグスは次々と命令を出した。
「ダフニアは何処にいる。出産は終わったのか?」
「ええ、こちらへ」
◇◆◇
連れていかれたのは霊廟だった。
ショゴスと並んでダフニアの墓も作られていた。
「死産だったのか?」
「いいえ、子供は無事生まれました。次期国王です。お会いになりますか?」
「ああ」
そしてまた城内に戻り、離れに案内される。
「ここは?」
レナートも違和感を感じた。グランディが幽閉されていた場所に似ている。
扉を開けるとそこには特殊鋼の鎖でしばられた小さな子供がいた。
細い手足に歪に大きな腹、頭髪は無く、歯には大きな犬歯がある。
「怪物ではないか」
「いいえ、間違いなくダフニア様の腹から生まれ落ちたものです。次期国王陛下に相違ありません」
唖然としてアルヴェラグスはフィネガン公を凝視した。
「狂っているのか?」
「・・・狂えたらどれだけ良かったか」
彼は絶望していたが思考は正常だった。
「ダフニア様が人知れず怪物とまぐわっていたのか・・・」
「ありえん」
「では邪悪な霊が無垢な赤子に宿り、変質させたのです。お分かりですか。この世界にもう救いは無いのです」
世界が不安定になり各地で異界の化け物が確認された。
獣人との間に出来た子供を奇形と勘違いして処分している場合もあれば、ダフニアの子のように他の『何か』のケースも報告された。
フィネガン公は疲れ切りもはや生ける屍、幽鬼のようだった。
それでも長年王を補佐し、大領地を治めてきた彼は未だ思考に正常な部分を残し義務を全うしようとしている。
「黙れ。絶望するなら我らが失敗してからにしろ。それまではお前がこの国を統治するんだ。ヤミス教団と協力して生き残っている人間を探し、食糧を運び出し、分け与えろ」
アルヴェラグスは彼を叱咤し、励ましてしばらくこの国に残る事になった。
◇◆◇
「エドヴァルド、レナート。私は落ち着いたら天馬ですぐにそちらに向かう」
「エンマ様に改めて援軍を貰う必要もあるし、数か月くらいは時間が出来たかもしれません」
地上から援軍で来ていた者達も予定地へ移動する必要があり、計画は遅れる事になる。
「うむ。また後で会おう」
レナート達はまっすぐエンマの所に行こうとしたが、スヴェトラーナが先行させていた伝令が戻ってきたマルーン公とバントシェンナ王の調停の為、自らガル判事領に向かっている事を知らされてそこで合流する事にした。
エンマと合流した時、彼女は泣き崩れているグランディを慰めていた。
「どうしたんです?」
「間に合わなかった。カートリーは反逆罪でニキアスに処刑されてしまっていたわ」
首はさらされた後に犯罪者として火葬され骨も砕かれた。
灰も野に撒かれ遺体からは何も回収できなかった。
「そう、可哀そうに・・・」
レナートも一緒にグランディを慰めた。
悲嘆に暮れるグランディを泉の女神も慰めて、しばらく面倒を見てくれることになった。
レナート達はエンマと今後の方針を話し合う。
「これからどうします?」
「何も変わらないわ。ニキアスは反逆者を処刑しただけ。エッゲルトに与した者達の鎮圧も終わった。予定通り進めましょう。フロリアは?」
「アルヴェラグスさんがしばらく状況を治めるのに残ってるけど、ほどほどにしてこっちに来るって。お姉ちゃんはどうするのかな」
「離婚するそうよ。休ませてあげましょう」
いち早く反乱者達を鎮圧しガル判事領も抑えた為、フォーン地方ではクールアッハ大公が再び最大勢力となった。
「レン、出来ればあの舟で会談を行いたいのだけど今の主は誰なのかしら」
「エーゲリーエって女神様らしいよ。エドヴァルドさんも畏まってた」
「じゃあ、ちょっとお願いしてみてくれる?」
「はーい」
◇◆◇
グランディの様子も見たいので早速、彼女達の部屋へ向かった。
「あのー」
部屋を覗くと、エーゲリーエはソファーで未だに嗚咽しているグランディを抱いて優しく背中を撫でていた。泉の女神はふわっとした金色の髪で緩い衣服を身にまとっていた。何かの植物を意匠化したような腕輪をつけている以外は森の女神らしい所は無い。
「な、なに?」
レナートが近づくと顔を引きつらせる。後ずさろうにもソファーの上だった。
「ボクそんなに怖いかな?」
「い、いやあ。これはなんていうか性質的なものだからキミが悪いんじゃないよ」
気さくで優しそうな神なのでレナートもちょっと甘えて抱き着いてみたかったのだが、いつも避けられてしまっていた。
「人間の言葉お上手なんですね」
「妹がね。ヒトの出身だから」
「神様から見るとおサルさんなんですよね?」
「そ。キミ達も獣の民と同族の獣人。ばっかみたいでしょ」
「そうですねえ」
何千年も獣人を差別して人類圏から排除してきた。
ツェリンのような人間は帝国人は特に神に愛された特別な種族だと誇りを持っていた。
「知らないまま死んで良かった。どうせ認めないし、苦しむだけだから」
「無知から来る何の根拠も無い差別意識が何億もの死を招いて自滅したなんてね」
多くの人間が生き残っていたフォーンコルヌ皇国もこれでまた一地方がほぼ全滅した。獣の民を受け入れたフォーン地方だけが残った。
「ところでうちのエンマ様があの舟を会談に使わせて欲しいんですって」
「いいよ」
「あ、どうも」
気さくに許してくれたので言葉がなかなか続かなかった。
「えーと、火の神様達を追い払ったから森の女神様達が来てくれるんですよね」
「うん」
「せっかくだから呼んでもらってもいいですか?」
「たぶんもう来てると思うよ」
「え、何処に?どうやって?」
アルヴェラグス達は月の舟で東方からやってきた。
森の女神も同じようにこの舟で来るのかと思っていた。
「あの子は世界樹の化石が残っている所ならどこにでも行ける。シェンスクにマヤって子が転移陣置いたでしょ?だったらもう来てると思うよ」
「おー、やった。会ってみたかったんだ」
エンマを舟に乗せて、さっそくシェンスクに行こうとした。
「あー、キミ」
「なんです?」
「うちの妹には手を出さないでね?」
「出しませんよ」
人をなんだと思ってるんだと憤慨したが、他の人間は誰も同意しないだろう。
「ほんとかなあ。滅茶苦茶かわいー子でもほんとに手を出さない?」
「うーん」
味見くらいは出した範囲に入らないよね?向こうが気に入ってくれれば別に大丈夫かな?とか勝手な理屈が脳裏に浮かんだ。
「うちの妹の義理の妹がこっちのサルに何をされたか思い出してね。冗談じゃ済まないから」
「あ、はい」




