第44話 救援②
”何処から出てきた”
レナートが作り出した氷の城には大穴が開き、その向こうに水面に立つ女神が見えた。
”水のあるところなら何処からでも。それが泉の女神ってものさ”
泉の女神エーゲリーエ。
恋多き女神であり、しばしば神々が争う原因になってきたトラブルメーカーの女神である。
”今の一撃は回避出来てもお前では話にならん。失せろ”
”い・や”
生命力を司る女神は人間達の体力を回復させていく。
ここに湖がある限り、無限の回復力が与えられた。
”私がお前を殺さないと思っているのなら考えが甘い。最後の警告だ。失せろ”
”うーん、ここにはうちの妹が大事に思っているおサルさんがいるからそういうわけにはいかないんだな。そっちが引いてよ”
”そうか、ではもはや是非も無し”
オーティウムはさらに力を引き出した。
湖周辺はグラキエースの神域だったが、それが火神の力に浸食され逆転していく。
氷の城も湖も全体が蒸発し始めた。
”しっかりしなよ、キミ”
エーゲリーエはレナートを叱り飛ばす。
”う、うん”
力を振り絞ろうとしても無くなった右腕から流出していくようでなかなか対抗できる力が集まらない。
”しょうがないなあ”
エーゲリーエも力を貸すが、蒸発速度は止まらない。オーティウムはもはやその姿の輪郭も分からないくらい発光していた。
”あ、駄目だ。あいつ自爆する気だ。逃げちゃおう”
エーゲリーエはレナートだけ掴んで水面に引き込もうとした。
水を通じて他の聖泉に転移できる彼女はオーティウムが自爆しても逃げ切れるのだ。
”ちょっ、困るって”
勝手に転移されそうになったレナートは抵抗する。
”え?ちょっと暴れないでよ”
全滅するよりマシだと割り切ったエーゲリーエだったが、彼女と違ってここの人々に未練があるレナートは抵抗した。
”もうみんな死んじゃうって”
”そうはさせない”
流出してしまう力に構わず、レナートは出力を上げた。
”駄目だってば”
オーティウムに対抗しようとしてグラキエースも存在が崩壊し始めた。
エーゲリーエが力を補充して押しとどめるも、このままでは自滅が間近である。
その時、雨が降り始め精霊達も逃げ去り、オーティウムの力も弱まった。
”ウェルスティアだけならともかくドゥローレメ。お前まで降りて来たのか。何故だ。禁忌と知っていて、お前達が何故”
水の大神だけでなく他の女神達もやってきていた。下半身が蛇で上半身が女性の女神もいた。
”彼女を死なせる訳にはいきませんからね”
ドゥローレメは優しく、そして哀しそうに微笑んだ。
”こうなるのも天命。共に参りましょう”
”禁忌を犯すのは我だけでいいというに!”
火神は火の雨を降らせたが、突然空中に激流が現れて人々を守り、眷属や下級の火神も押し流された。
”ナルガめ”
沈静の雨により萎んでいく闘志をオーティウムは再び燃え上がらせる。
”消えよ!失せよ!魂すらも砕く我が力を見るがいい!”
愛する水の女神達に情が移る心を叱咤するかのようにオーティウムは怒りの声を上げ、惰弱な魂を己ごと消し去ろうとした。
最後の光を放とうとする火神にドゥローレメは哀しみの眼差しを向けて合図を送る。
神鳥スィールの羽で作ったマントを羽織る三人の神兵が現れてオーティウムに槍を投じ、その息の根を止めた。
「スヴェトラーナさん。コルヒーダさん」
「遅くなりました、我が神よ」
北方人達も精鋭を送り込んできてくれていた。
主要な部隊はゴーラ族の戦士達で彼女達は来ていない筈だった。
”お姉様・・・の魂を持つ者よ。少々強引に連れてきました。貴女には助けが必要でしたから”
”あ、どうも”
ドゥローレメとは初対面だったのでレナートは畏まった。
”オーティウムはあれで死んだんですか?”
”ええ。彼ももう限界でした。アナヴィスィーケが亡くなったので当分はこの世界に揺蕩い、いつか貴女のように転生するでしょう”
レナートは海に行った事も無く、波打ち際に立った事も無かったがいま同じような感覚に襲われていた。まっすぐ立っているのにどこかに引きずり込まされそうな不思議な感覚だった。
”そう・・・助けてくれてありがとう”
”私達に出来るのはここまでです。私も彼の後を追う事になるでしょう”
”一緒に地獄の女神と戦ってくれないの?”
”わたくしは彼の自殺を止めに来たのです。最後にひとつだけ”
促されたウェルスティアがドムンの髪を強引に引き抜き、レナートの腕をくっつけて治療する。
”これからどうするんです?”
”彼が死んだのに私達が生き残っていては世界の調和は乱れます。全ての世界から去る事になるでしょう”
”それは自殺と違うの?”
”貴女のように転生するだけです”
魂の姉妹なのに言葉少なに去ろうとするドゥローレメを哀し気に見つめた。
”貴女はグラキエースであって、そうではない。傷つく事を恐れて誰も近づけなかった姉とは”
レナートには親しい人間は多い。
”・・・でも少しだけ似ている”
ドゥローレメはレナートの背中をとん、と押して、現れた時のように静かに消え、しばらくは暖かい雨が降り注いだ。そしていつの間にか渦に巻き込まれるような感覚も消えていた。




