第32話 禁忌
広大な熟成用地下倉庫に吊り下げられた肉はどれも半ば凍っていた。
火神達の力は地下にまでは及んでいないようだった。
松明を用意し、同行した魔術師が明かりをばら撒いてそれを確認した。
スリクが軽く叩くとコンコンと小気味いい音が返ってくる。
「腐って無さそうだ。いくつか持ち帰ろう」
「ええ、食べる気?」
「こんなとこ置いといても仕方ないだろ」
山で狩りをして暮らしているレナートと違って都市部では食糧が無く、人間は勿論獣人同士ですら奪い合っている世の中だ。人知れず余ってるものをそのままにしておく理由はない。
スリクは手近なものを掴んで降ろし、上階に担いでいく。
レナートは一応誰かいないか声を出しながらうろうろと倉庫内を歩いて探していたものの、スリクが行ってしまったので自分も適当な肉を掴んで引き下ろそうとした。
「なんだろ、これ。牛?豚?」
暗闇の中で松明に照らされるシルエットが何なのかすぐにはわからず、適当にそれを掴んだ。その瞬間、足首にワイヤーが絡まり、自分も同じように吊り下げられてしまった。
「わっ、なにこれ」
これが罠であるとすぐには気付かずに混乱していた。
レナートが混乱から冷めぬうちに隠れていた人間が飛び出してきて手斧を振るう。
がつん、という音がして斧はレナートに当たる直前に弾かれた。
「いったあ!」
胴体に思いっきり斧の一撃を受けたレナートはさすがに面食らった。
斧を振るった男は、不自然な感触に驚いたがすぐにもう一撃を振るう。
他にも隠れていた男達が出てきて後に続いてレナートを滅多打ちにする。
「いたいいたいいたい!」
「この化け物めっ!」
いくら斧を振るっても体を割る事が出来ないので男達の方が逆に混乱して狂乱状態で斧を振るった。誰もいないと思って油断していたエンリルが慌てて駆けつけて暴徒を蹴散らし、レナートの悲鳴を聞いたスリク達も上階から再び降りてきた。
◇◆◇
ワイヤーを切ってレナートを降ろしてやってからスリクは襲撃者の生き残りを建物から出して通りに連れ出した。
「なんだこいつら・・・」
顔は凝固した血や泥で汚れている。
妙なペイントを全身にして、瞳も常人のそれではない。
「盗人どもめ!」
ひたすら罵倒の言葉を繰り返し、縛り付けておかないと暴れてろくに話も出来なかった。
暴れようとする男の顔を蹴り飛ばしてからスリクはレナートの体を確認する。
「大丈夫か?」
「まあなんとか」
油断していたのでワイヤーは肌に食い込んだが、体を丸めて庇ったので斧の刃は通らなかった。肉体的な強度の問題ではなく、展開した魔力の結界が刃を阻んだのだ。
「なんで死なない。化け物がっ!」「殺せっ」「戦えっ」
魔術師が確認した所、捕虜にした人間達は平民でとくに魔力は感じられなかった。
「強い力を感じなかったから油断してた。ちょっと危なかったね」
地上は肉の焦げた匂いが充満していて鼻がやられていたエンリルも生き残りの人間がいることに気付かなかった。
「アルハザードとエンリルはボクの傍に」
「ああ」
火神に対しては特攻能力を持つレナートだが、神力の結界を突破しうる力を持つ神剣を持った相手がいたらさっき殺されていた。
「ところで運び出したコレ・・・そこらの動物じゃねえな」
エンリルが明るい所で確認した熟成肉の塊を見て不審に思い、若干解凍が進んでいたものを口に含んで確認した。
「え、なに?」
「普通の人間や、俺らの同胞のものもあるな」
「うげっ」
エンリルは人間を食らった事もあるのですぐにわかった。
続々と運び出されてきた肉の中には処理済みだが、原型がわかるものもあった。
エンリルに言われてまさかと思っていたものが現実だと確定する。
「確かに書類にもそれらしき記述があります。家畜ではなく人間の名前としか思えないものが」
名前と住所、いつから熟成を開始したのかという記述が発見された。
「じゃあ、この人たちは共食いしてたってこと?」
「そのようです」
アルハザードはそれを聞いて、捕虜の顔を蹴り飛ばした。
「ゲスどもが」
「飢えてたんだよ、きっと。周りはどこも黒焦げだし」
抵抗できない人間に暴力を振るうのを嫌ってレナートは取りなした。
「いえ、これは何ヶ月、何年も前から始まっています。火神達の降臨前から彼らは共食いをしています」
記録を確認していた魔術師が保管が始まった日時を確認した。
「なんでそんなことを・・・」
比較的落ち着いていた者に尋問した所、戦乱の最中、領主の税が重くなったり野盗が蔓延って略奪され食べるものが無くなって行き倒れになった人を食べたのが始まりだという。
「アルハザードさんは知ってる?」
「いや、俺らがいた時はそんなことは無かったがやってる奴がいてもおかしくはねえな」
「何もかも奪われて食べるもの無くなっちゃったんじゃ仕方ないかもね」
「だが、治安が回復してもそんな事を続ける理由はない筈だ」
尋問を進めると、不妊に悩んだ女達の間で他人の命を取り込む事で妊娠出来るという邪教が流行り始めた。人肉食は形を変えて続いた。
獣の民に王が屈服して以降は畜産業が衰退し、肉を食べたい人に人肉を騙して販売し、市場は段々と大きくなっていった。女達は子宮や精巣を欲しがり、余った肉は解体して市場に流れた。かつてアルハザード達が拠点にしていたこの街は王領に復帰した後、廃墟から闇市場として復活して急速に発展した。
「藁にでも縋りたい気持ちは分かるけど」
レナートも飼っている山猫がお乳をあげている光景をいつも羨ましく見つめている。
さすがに飢えても共食いをする気にはなれないが、そうしなければ子供が授かれないと洗脳されたらどうだろうか。
「真に渇望したことが無い者が知った風な口を聞くな!」
「黙れ」
歯が折れて喋られなくなるようにアルハザードは鉄の軍靴で蹴り砕いた。
「そこまでしなくても」
「狂人の言葉に耳を貸すな、もう十分だ」
護衛に来てくれた部隊の長アルピアサル将軍も同意した。
「哀れみの心は尊いが、引きずられないように」
「うん・・・この人達はどうしよう」
「尋問は我々が行う。君は万全の状態で戦えるようにしていてくれ」
レナートはスリク達とその場を離れて体を休めた。
その間に街の捜索を済ませた部隊が他にも生き残っていた人々を確認した。
◇◆◇
アルヴェラグスやパーシアら舟に残っていた人々と合流して集めた情報を整理する。
ヴァイスラはレナートの護衛を全う出来なかったアルハザードやエンリルを睨みながら手当してやった。
「大まかにいうと今のフロリアは三つの勢力に分かれてるみたい」
フィネガン公やヴォルジュ伯といった火神を信仰し協力する勢力、獣の民の生き残りと亡者を制御した大精霊ヤクの集団、そして終末教徒の邪教集団。
「終末教徒か」
アルヴェラグスは苦々しくその言葉を噛みしめた。
「どんな連中か知ってます?」
「今世を諦めて来世に望みを託している連中だ。宗派はさまざまで地獄の女神を主神にしていたり、逆に太陽神だったり、追放された唯一信教が隠れ蓑にしていたりする。表向きは今世で徳を積めば来世で報われると勤労を説いていたりするので取り締まれなかった」
街にいた人食い族は火神を信仰する終末教徒だった。
正確には火神が降臨したのを見て終末教徒達が鞍替えした。
「フィネガン公の集団とは違うの?」
この地で数年過ごしていたパーシアは守護神を捨てて火神を信仰したという公爵たちに疑問を持った。
「違うみたい。邪教集団には獣の民も混じってるし、公爵や伯爵は獣の民も敵としている従来の方針は変えて無くて正義の名の下に敵を片っ端から焼き払ってるんだって。戦おうとしないものは女も子供も老人もみんな邪悪だって断じてるから街の人も誰にも頼れず隠れていたんだって」
ヴォルジュ伯ツェリンは街という街に祭壇を作り、徴兵を拒否した者を火あぶりにして回っている。
「街の人みたいに逃げ回っている非戦派の人達が第四勢力だね。ヤミス教団っていうんだって。何の力もない人達を勢力とは言い難いけど」
整理した情報からアルヴェラグスは方針を決めた。
「オーティウムは全滅した南方圏の人々の代わりにフロリアの人間を己の信徒として力を増したようだ。窮地に陥った場合、フィネガン公らから力を吸い上げる可能性がある。先に連中を始末しよう。少数ながら精鋭の援軍が既にフロリアに到着した。彼らにフィネガン公らを始末させ、オーティウムの位置を突き止め、それからレナート。君に火神と対決して貰う」
「わかりました」




