第26話 フロリア炎上②
ショゴスの死から数週間で事態は目まぐるしく変わった。
王位は空席となり相談役だった高位貴族達からなる議会はショゴスの種が宿ったダフニアが出産次第、女の子だろうが次期王座につくものとし、成人するまで摂政女王を議会が補佐し国家を運営すると決めた。それまではフィネガン公が宰相となって最高指揮権を得る。
王殺しの罪を許す訳にはいかなかったが、フィネガン公はツェリンに獣人と亡者の駆逐を指示した。
獣人の駆逐はほぼ完了し、亡者を分断して少しずつ処分すると連絡があったのにそれ以降続報が無く、代わりに亡者の大群が王都に攻めよせてきた。
「閣下は判断を間違えた!」
軍を率いるグラントムは主に不満をぶつけた。
兵士達は城壁上で恐怖と絶望の表情を顔に浮かべている。
何十万、何百万という亡者はいずれ王都の城壁を乗り越えて市街地へ入り、そして城内に侵入する。ここは平野に作られた都市で逃げ場はない。
包囲する亡者の先頭には数人の獣人がいて交渉は拒否された。
水の女神の守護がかけられていた河には獣人が橋を架けた。生者と亡者の入り混じった軍団は従来の対抗策が通じなかった。
「せめて獣人に退去を許してやっていればこんなことには!」
「今更遅い」
一か八か市外に脱出した者は隙間なく平原を埋め尽くす亡者を見て引き返して来た。
「亡者を完全に制御しているな。最初から連中は亡者を利用していたのだろう」
「そうは思えません」
「そうか?共通の敵に対抗する為だとかいって我々が武装を放棄しバラバラになるのを待つつもりだったのだ」
フィネガン公はどうにかしてグラントムや慌てふためく防衛指揮官達を宥め、指揮下に収まるよう説得しなければならなかったがそれはうまくいかなかった。
「アルヴェラグス様もいらっしゃったのをお忘れか。我々を陥れる意味がない」
「そんな方もいたな。妹君にも関心を持っていなかった。本当は偽物だったのではないか」
「馬鹿げたことを。神に遣わされた空飛ぶ舟をお持ちの方がそんな嘘をつくものか」
話している間に城壁が大きな音を立てて崩れ始めた。
「きたぞ!」
グラントムは主に敬語を使うのも止め、地下から現れつつある巨大な怪物に視線をやった。
周辺都市からの伝令は地下から巨大な怪物が現れて城壁を崩したと告げていたが、彼らもそれをみた。一日も持たずに次々と城が落ちた理由を語っていたがその巨大な怪物というのを彼らも肉眼で確認した。
土台を崩された城壁が崩壊して土煙が市街地を覆う。
亡者が侵入しあちこちから悲鳴が響き渡った。
「騎士達にダフニア様を守らせて落ち延びさせる。構いませんな」
「王妃殿下は妊娠中だ。動かせない」
「堕胎したとしても仕方ない」
市民を助けるのは無理だが、精鋭を集めれば一点突破で少数は脱出できるかもしれない。
グラントムはそれに賭ける事にした。
「待てというに。我々は殿下にあの若者に全責任を押し付けてしまった。彼が残した種だけでも守らねば」
「ダフニア様だけでも守ればアルヴェラグス様の印象がよくなる。我々は彼女を連れて退避する」
争う上官に呆れて防衛指揮官達は持ち場に戻って行くが、その時皆が一様に上空を眺めるのを見て、フィネガン公も気付いて視線をやる。
「む、待て」
「何か」
「あれを見ろ」
フィネガン公は上空を差した。
牛に引かれた戦車が火と煙を吹き上げながらこちらに近寄ってきていた。
怪物のようであるが、亡者の軍団に入り混じっている異形の存在とは違って神聖な力を感じる。
”人の子よ”
戦車を引く異形の男は彼らの上空で止まり、語りかけてきた。
「古代神聖語?」
「そのようだ」
”あなたは?”
”火のオーティウム”
オーティウムと名乗る褐色の肌をした男は六本の腕で手綱を引き、複数の槍を持って彼らを見下ろしている。
”神だとおっしゃる?”
火の神オーティウムは軍神であり、南方圏の守護神である。
戦車の発明者であり、太陽神モレスを乗せて運ぶ御者である。
神像も絵画でも二本の腕で神牛を制御する姿が描かれる。
揺らめく炎の様な髪と褐色の肌はその通りなのだが、顔が蜥蜴の獣人のようであり、腕が何本も生えている姿ではない。
”そうだ。汝らに今世に救いは無い。せめて誇りを持って死ね”
オーティウムは燃え盛る槍を怪物に投げて穴だらけにし、炎上させたがそこから瘴気が吹き出して市街の人々も巻き添えにしていく。
続いて火の鳥が空中に現れて市街地の上空を舞ってさらに火を広げていった。
「何てことを」
”あれはかつて去りしもの。本来この地の住人であり、愛の女神シレッジェンカーマに仕えた蚯蚓。カーマが捕えられた為に離反した神獣であり、呪われしもの”
神獣が死んでもなお人々や街ごとその体を焼いていた天神の使徒たちに対して兵士達は散発的に火の鳥や、天馬によく似た空飛ぶ馬に跨った男達に攻撃を加えた。
しかし、効果は無い。
防衛指揮官達は部下の統率を取り効果的な反撃を行う為に散っていく。
”この地は汚れている。全て燃やし尽くすしかない。哀れだが受け入れろ”
「例え神でも黙って死を受け入れたりしない」
神を畏れ敬い抗弁しないフィネガン公と違ってグラントムにはまだ戦意があった。
”それならそれでも良い。勇敢な戦士に救いを与えよう”
オーティウムは揺れる炎の中から自身の剣を引き出した。
巨大な炎の剣を持って下降し、グラントムは相打ち覚悟で剣を振り下ろしたが、傷一つつけられずに弾き返された。
グラントムは真っ二つに引き裂かれ、彼の肉体はあっという間に神の炎で灰となって消えた。肉体だけでなくその魂までも焼き尽くされ、天に登っていくのをフィネガン公は幻視する。
”真火”
”そうだ。この炎に焼き尽くされる事だけが汝らの救いだ”
竜に腕を噛みちぎられ、武器を溶かされても、獣に姿を変じて牙を生やして戦ったと言われる猛々しい軍神だが目には深い哀れみがあった。
”汝らは不浄である。地獄に落ちぬよう我が直接冥界に送ってやろう”
戦車が走り回り、包囲していた亡者ごと王都を炎の壁で囲い、市民全てに聞こえる神の声をもたらした。
”抵抗するのも黙って受け入れるのも良い。だが自殺はするな。どんなに絶望しようとも”
”どうか私にも真火の救いを”
フィネガン公は両手をオーティウムに向かって差し出した。
”自ら与えるのは戦って死んだ者のみ”
”私は神に剣を向ける事など出来ません。汚れた亡者と戦っても救いを与えて頂けますか?”
”約束しよう。この地の勇敢な民、全てに救いを与えると。決して亡者になどさせぬ”
”感謝します、神よ”
絶望し生きる気力を失っていたフィネガン公だが、真っ当に死ぬ為の奇妙な気力を得て、家臣を集め戦いを始めた。
※蚯蚓の神
蚯蚓の姿だが愛の女神シレッジェンカーマの子である。
神代末期に争いの元となった母が捕えられて地獄に封じられると絶望して北の地に去った。
獣人達の神となり、新帝国歴1436年ブリアルモンの戦い(※誓約の騎士と霧の女王)にて要塞守備兵を道連れにして死んだ。
かつては大地母神の眷属として土地を潤した神だが、母を奪われて地獄に封じられた恨みで反転している。汚れた魂は転生することが出来ず、死霊魔術師の手によって肉体が蘇るとその体に戻りヤクの頼みを聞いて再び世に現れた。




