第16話 六ヶ月前 ~地獄への道~
フロリア地方のとある村で男は妻の為に食糧を調達した。
常に太陽に靄がかかり気温が急降下し、作物もあまり実らなくなったが友人が働いている実験農場からいくつか苗を仕入れる事が出来た。
糖度が高く、ぶ厚い葉に覆われて、氷点下でも凍結することが無い。
深く根を張り、荒地でも育つ。
年に三回も収穫出来て栄養価が高い。
夢のような植物だった。
横流しされた品なので税として納める事は出来ないが、こっそり小さな畑を作って自分と妻は重税下でも食べていけるだけの食糧を確保出来た。
余裕が出来てくると欲が生まれる。
小作人を雇って自分は陰田の面倒を見て、余ったものを闇市で売り払うようになった。
国がかねてから建設していた運河や大きな壁の建設が終わり、労働者が余っていたので好都合だった。
陰田を承知していただろうが、領主も黙認してくれた。
領主は王から実験農場を提供するように言われ、国から召し上げられる税も重くなり、領民にも辛い思いをさせている事を憂いてくれていた。
妻とは結婚してから五年も経つが子はいない。
噂では地獄の女神の呪いでどこもかしこも子供が生まれないらしい。
だが、彼はそんな迷信を馬鹿にしていた。
妻の兄の家では実際に妊娠していたし、学生時代の恩師も否定していた。
だが、妻の気が晴れるならと女達のカウンセリング集会に参加することを許した。
義兄から体が悪い時は同じ部位を食べると良いと勧められたので、闇市の肉屋で動物の内臓、子宮を買い、精力剤も買って夫婦と小作人達で分け合って食べた。
その甲斐もあってか妻は妊娠し、皆も健康になって生活はますます豊かになった。
◇◆◇
「やあ、義兄さん。そろそろ子供が生まれる頃ですよね。贈り物は何がいいですか」
余った作物を売りに闇市に来た時、彼は義兄にそう切り出した。
義兄の所にも苗を横流ししたので食べ物には余裕があるはずだが、市場では衣服や毛布が高騰している。綿花農場を潰して麦や他の植物を育てるようになり、糸や綿が足りていない。
新生児の為に服を送ってやりたかった。
「あ、ああ。いや、いいんだ」
「そう遠慮せずに。平気ですから」
尚も固辞する義兄は何処か様子がおかしかった。
「どうかしたんですか?」
問い詰めると観念したように義兄は告げた。
「実は流れてしまったんだ。妹には言わないでくれ。不安にさせてはよくない」
「ああ、お気の毒に。なんてことだ」
彼は気の毒な義兄の為に市場で必要なものをすべて買って贈った。
「悪いな」
「いいんですよ。それにしても塩漬け肉が高くなりましたね。もっと精力のつくものを食べられていたら奥さんも無事に産めていたかもしれないのに」
「ああ、そうだな・・・・・・」
「ほら、遠慮せずに。うちは余裕がありますから」
「だが、この市場の肉は・・・」
「なんです?」
「いや、それより・・・」
彼は荷台を退く人馬族に苦々しい視線を送る。
「馬も使えないし、そんなには要らないよ。背負えるものだけで十分だ」
義兄の村は遠く、あまり買っても荷物になってしまう。
流通は獣人に掌握されており、一般市民は家畜の扱いを制限されている。
「まったくあの連中ときたら」
「その目を止めろ。難癖つけられたらどうする」
「すみません、どうしても。領主様も不憫で仕方ありません」
彼らの領主は獣人を嫌っていたが領民を守る為に、王の命令を受け入れた。
初めは一部の地域だけという約束だったのに今や全土を獣人が掌握している。
「連中はすぐに酒を飲んで暴れる。暴力しか取り柄が無い連中だ。いずれボロを出す。今は耐えるしかない」
「あんな連中を食わせる為に働くのが馬鹿馬鹿しくて」
気候変動もあったが、草食系の獣人を食べさせる為にも彼らは働かなくてはならない。
綿花は水を大量に必要とするので畑を潰して作物を変えるしかなかった。
「そうだな。だが他の領地よりはマシだ。うちのご領主様は連中の犯罪はきっちり裁いてくれるからな」
彼らの領主ヴォルジュ伯ツェリンは蛮族との争いを恐れず協定違反があれば蛮族を捕えて、犯罪に相応しい報いを執行している。殺人があれば処刑し、窃盗があれば罰金を課し、罪から逃れて他領まで逃げられれば指名手配を王にも要求している。
「今度なにかお偉いさん達が集まって会議を開くんですよね?」
「ああ、そうだ。ガル判事が主導して下さる。噂じゃずっと行方不明だった皇家の嫡男がお戻りになったとか」
「じゃあ・・・ひょっとして」
「そうだ。うちらの軟弱な自称国王もこれで終わりだ。あとちょっとの辛抱だからお前も戸締りをしっかりして妹を守ってくれ。最近大規模な盗賊団が出没してるって噂だぞ」
「そうなんですか?」
「ああ、西の方から来た。お前の村のあたりにもそのうち噂が広まるだろう」
「まったくなんてこった。ご領主様が不在の時に」
「最近は空に不気味な赤い星が輝いているのが見える。なんだか不吉だ、戸締りをしっかりとな」
「赤い星?お月様も見えなくなって久しいのにですか?」
空にはずっと薄い靄がかかり月もろくに見えない。
稀に星が雲の切れ目から見える事もあったが、夜間は蛮族が興奮していたり、盗賊の件もあって外出自粛令が出ているので一般人が用も無く出歩いていると衛視に咎められる。
「ちょっと近所におすそ分けがあって、たまたま出歩いたんだ」
「そうですか。まあとにかく注意します」
彼は義兄の忠告に従い、家の扉や窓を補強する材料を注文して市場を後にした。




