第12話 二ヶ月前 ~慈愛の女神の巡礼者~
芸術や平和を愛する水の女神の中でも特に徳の高い慈愛の女神ウェルスティアの信徒達は古来からたとえ獣人であっても怪我をしているのを見れば治療行為を行った為、帝国政府から迫害を受けてきた。その為、魔女狩りに遭う事もしばしばで百年以上前には大規模な虐殺がツェレス島で起きた。
帝国が滅んだ後に信徒達は獣人から移動の自由を得て昔のように巡礼を再開し、獣人の天下となった中央大陸でも人々を助ける為の活動を続けている。
巡礼者達は聖地を巡りながら医療活動を行う為、皆に歓迎されていた。
その黒衣の巡礼者の一団はフロリア地方とフォーン地方の間にある関所で足止めを受けた。
「わたくし共でも通行出来ないのですか?」
「ええと・・・」
関所の衛兵は身分証明書を確認した。
「アリシア・・・アリシア・アンドール様ですか」
彼女はスパーニア、アル・アシオン辺境伯、ヴェーナ、シェンスク、フロリア自治領など各地から通行許可を得ていた。
「通行は勿論問題ありません。ですが、大領地間を渡るには亡者に感染していないかどうか死霊魔術師の先生が確認する必要があるんです」
「ふふ、わたくしが亡者に見えますか?」
黒衣で頭から足まですっぽり覆ってはいるが、まっすぐ立ち、血色も良く、健康的でとても亡者には見えない。ヴェールを少しあげて覗く清楚な顔立ちに衛兵はすっかり参ってしまった。
「いやあ、申し訳ない。体の中に寄生虫みたいな奴がいるとかで魔術の先生じゃないとわからんのですよ。優先して検査して貰えるよう頼んできますので少々お待ちください」
「あ、そんな特別扱いは・・・・・・」
アリシアは止めようとしたが衛兵は待ってて下さいと言い残してすぐに魔術師を引っ張ってきた。
巡礼者達は一通り検査を受け、問題なく通行出来る事になった。
「こちら検査証明書です。通行証と一緒にしてお持ちください」
「ご親切にありがとう存じます」
「ご一緒の方々の幾人かは通行証の発行者が違うようですが?それに一人足りない」
アリシアの一団の中にはフロリア地方の身分証明書、通行証だけしか持っていない者がいた。
「ウェルスティアに仕えるわたくし共とは違いますが、志を同じくする方々で共に旅をしております。彼らは特定の神には仕えませんが、争いを嫌い獣の民との融和を説く姿勢は同じです」
ウェルスティアの信徒は北方圏に集中しているが、東方圏北部や帝国内にも一定数いる。
アリシアも帝国人の特徴を備えており、先祖代々からの信徒ではない事が伺える。
「一人足りないようですが」
個人の通行証とは別に領主が承認した団体名は確かにアリシア達とは違うもので名簿がある。
「奥様が亡くなったそうで参加を見合わせるとのことでした」
「左様でしたか、こちら側はフロリアと違って荒野には危険な獣人も多数おりますのでお気をつけ下さい。あっ、一度は通行しているのでしたよね。無用かもしれませんが、状況は日々変わっております」
「何かご懸念でも?」
「主だった騎士が何処かに集結しているようで、その隙をついて過激派が獣人や融和派のヤミス教団を襲っているんです」
アリシアが同行者として受け入れた人の中に確かにその教団の人物がいた。
「ご心配ありがとう存じます」
「巡礼とは違うのでしたら早々に別れた方がよろしいかと」
ウェルスティアの信徒は分け隔てなく愛を解くが獣人との融和自体は主目標ではない。
傷ついた人々を癒すのが目的だ。
「公都でお別れする予定です。ところで荷物の確認はされないのですか?」
巡礼の旅といっても実質的には医療活動が主体なので馬車の積み荷は医療用の物資と食糧だ。
「人馬族が引いているならそれで十分ですよ」
衛兵はちらっと中を覗いただけで監査を終わりにした。
彼らに獣人に干渉する権限は無かった。
人馬族の男はかつてアリシアの治療で命を救われたので積み荷を引く馬の代わりとして彼女に奉仕していた。シェンスクに住む獣人の代表者が許可証を出している以上、木っ端役人が口を挟む必要は無かった。
「年寄りには昔の偏見もありますからお気をつけて」
「ありがとう存じます」
◇◆◇
「さすがに公都は人が多いですね。おかげさまで何事もなく辿り着けました」
道中、見目麗しいアリシアに色目を使う男は多かったがフロリア地方から旅を共にしている教団の男達のおかげで無事に都まで着いた。
「こちらこそ。今後はどうされますか?」
「予定通り大公殿下に活動の許可を頂きます。よろしければご紹介します」
「いえ、我々はもともと活動許可を頂いておりますので不要です。支部の者達に新種の苗を渡して早くこちらでも農法を広めないとなりません」
「頑張って下さいね。もしわたしたちにお手伝いできることがあればなんでもおっしゃって下さい」
アリシアはクールアッハ大公にも会い、直接活動の許可を貰った。
名目上ニキアスが王ではあるが、クールアッハ大公領も実質的には独立国家である。
大公の許可があるのでその家臣達の領地でも大抵は自由に移動し活動が出来る事になった。
◇◆◇
黒衣の巡礼者、アリシア・アンドールの癒しの奇跡の噂は公都にまたたく間に広まり、各地から人が集まってこようとしたのでエンマは都への治療目的での人の立ち入りを制限し、アリシアを追い出さなくてはならなくなった。
「大変残念ですが貴女には他の街に移動して貰わなくてはなりません」
難病の人間が奇跡を信じて無理に公都まで来ようとしても途中で亡くなってしまう事故が多発し、領主が移動を禁じても、関所を違法に抜けてやってこようとする為に、取り締まりでさらに不幸な結末が増えた。
亡者の蟲に感染していないか検査もしなければならないのに、余りにも多くの人が移動しようと申請し数万人もの人間が公都にやってこようとして業務が滞っている。
「貴女の善意、善行は有難いのですが被害が増えているのです」
皆、治療の為と本当の理由で申請せず偽りの申請を行う為、流通や納税、巡礼、通常の医療目的、建設業その他の部署でも審査に余計な手間をかけなければならなくなった。
「ご迷惑をおかけして大変申し訳ございません。もしお許しいただけるのでしたら数人、引継ぎの為に残していきたく思いますが」
「それは大変有難いお申し出です。ところでよろしければ別のお名前で通行証を再発行しましょうか。貴方のお名前は有名になり過ぎました」
「お心遣い有難う存じます。厚意に甘えさせて頂きます」
偽名になるので本来は許されないが、領主自ら身分証明書と通行証を発行し、我が民に必要な援助を与えるようにと書き添えてくれているので正規のものとなる。
「ところで『アリシア・アンドール』というのはそもそも本名ですか?」
「ええ、勿論。何故でしょうか?」
「百年前に奇跡の聖女と言われた方と同じ名前でしたので」
人々も聖女の再来だと喜んでいた。
治癒の奇跡である神術が行使可能になったという事は神々がまだ人を見捨ててはいない事の証左である。獣人には魔術は出来ても神術をよくする者はいない。やはり人は特別な種族なのである。
人々の誇りをくすぐり、自尊心が回復していた。
「曾祖母達も迫害を逃れて辺境伯領に逃れていましたが、かの地は水の女神の信徒には優しい土地なので『アリシア』にあやかった名を授かる者は多くわたくしも迫害は受けずに済みました」
黒は水の女神の貴色であり、雪国で黒衣に身を包んだ慈母神の信徒達は遠目にも目立つ。
エンマの勧めでその黒衣を止め、噂が落ち着くまでしばらく名と見た目を変えて奉仕活動を再開した。
※慈愛の女神の信徒達
治癒の奇跡を可能とする慈愛の女神の信徒達は昔、旅する売春婦の集団だという偏見を受けて宗教戦争の際に血祭りにあげられた。彼女達は偏見から襲われても犯人を告発せず、許してしまった為に偏見はさらに拡大してしまった。敵対していた唯一信教側が流布した噂でそれを信じてさらに襲撃が頻発した。魔女狩りで信徒は大きく減り、彼女達が行っていた奉仕活動は中央大陸から無くなって大地母神の信徒や市民団体が引き継いでいた。




