第30話 秘密の花園②
レナートはびっくりした顔のまま浴室に設置してある鏡を見つめていた。
月の女神を彷彿させるような美しい銀髪。
のぼせて桜色になった頬。
赤い唇。
赤身がさした細く白い首。
田舎暮らしとは思えないすべすべとした美しい肌。
皮膚の表面は水を弾き玉になって流れていく。胸や腰つきはさすがにまだ幼児だが、股の間にあるべきものがやはりない。
「どどどどどど、どうしよう、ペレスヴェータ!ほんとに女の子になっちゃった!!」
レナートが突然虚空に向かってうわごとを叫ぶので女子たちはまだのぼせているのだろうかと心配し医務室に連れていくことを相談し始めた。
グランディーは主人の自分がといって連れて行った。
◇◆◇
「どういうことなの、レンちゃん?それにペレスヴェータって誰?」
「わかんない・・・。ダナランシュヴァラ様に祈ったから?」
「祈ったからって性別が変わるものかしら」
聞いた事もない現象にグランディーも困惑するしかない。
医務室に連れていき、常駐している女医にはのぼせて倒れてしまったと伝えた。
ベッドに寝かせて貰い、頭を打っていないか確認し冷やしてもらってしばらくしてレナートはぽつりと口にする。
「とりあえず別に困らないし、このままでいっか」
「え?そう?」
グランディーはオルスとヴォーリャに相談しようと思っていたが、レナートは今の境遇を受けれいたようだ。
「お母様の事を大事に思うのは立派だけど、無理に女の子になろうとしなくてもいいのよ?」
「うん。でもお母さんが女の子を生んで満足してくれたら、男の子に戻れればいいかなって」
「自分の意思で戻れるの?」
「うーん、さあ?たぶん?」
こういった超常現象にこんな子供が詳しい訳がない。
そう考えるとグランディーはひとつ気になっていたことがあり再度口にした。
「ペレスヴェータって人に言われたの?」
「あっ」
言っちゃいけないんだった、とレナートは口を押さえるがもう遅い。
「やっぱり・・・何か秘密があるのね」
◇◆◇
グランディーの部屋に戻り、レナートは秘密を口にし始めた。
「ほんとは喋っちゃいけないことだからないしょにしててくれる?」
「内容次第だけど、出来るだけ秘密は守ります」
別に悪いことをしているわけではないのできつく問いただすつもりはなかったのだが、グランディーは訳を聞いた。
「ペレスヴェータっていうのは精霊さんなの」
「精霊?本当に?」
グランディーの知識では精霊というのは別次元の存在で肉体を持たず、魔力の塊のようなものであるとされる。自然神に近い存在だ。魔力を認識出来る貴族でも実在は確認できず概念上の存在である。平民にとっては御伽噺と思われているような代物だ。
「信じられない?うんと小さいころ精霊さんがいるっていったらみんなに馬鹿にされちゃった」
「私はこれでも貴族ですから馬鹿になんかしませんよ。精霊は確かにいるらしいと聞いたが事があるけど、何故レンちゃんに認識出来るの?今もここにいるの?」
グランディーが言った途端に勝手に窓が開き、風がカーテンを揺らした。
どうやらいるらしい。
「ペレスヴェータはお母さんのお姉さんなの。体を捨てて精神だけの存在になって漂ってるんだって」
「・・・幽霊みたいなものかしら?」
「さあ」
高度な知識を持つ魔術師なら説明できるかもしれないが、レナートの自分の言葉では彼女の存在をうまく説明出来なかった。
「ボクには魔術とかわからないけどペレスヴェータはボクのオバ・・・」
言いかけた途端に突風が発生しレナートは壁にびたーんと貼り付けにされた。
「レンちゃん!?」
駆け寄ったグランディーが降ろしてやったが、どうも「オバさん」と言いかけた事がペレスヴェータのカンに触ったらしい。
「ご、ごめんなさい。お姉ちゃん」
レナートはぺこぺこと窓の方に浮かぶ月に謝っていた。
「ちょっと!ペレなんとかさん、子供相手に大人げない!!」
小さな子供への庇護欲が湧いてグランディーはレナートを抱きしめながらペレスヴェータに抗議した。返事は無く、静寂な夜にグランディーの言葉が木霊する。
たどたどしくレナートが語った所によるとペレスヴェータは肉体を捨てて妹を見守ってきた守護霊らしい。レナートが心配で旅についてきてくれているようだ。
「そういえばお母様は北方候に近い血筋の方でしたっけ」
北方圏の民族には貴族や平民という階級社会が無いので遥か遠い神の血はとうに薄れている。レナートもペレスヴェータという守護霊がついているだけで、本人に魔力の芽生えは無いようだ。
「それにしても私もエンマもブラヴァッキー伯爵夫人も一緒にいたのに見抜けなかったなんて、情けないわ」
「仕方ないよ。そういう認識から逃れる魔術の達人なんだってさ」
これまでもちょくちょくレナートの体に憑依して直接体を操っていた事もあるらしい。
「悪霊じゃないでしょうね?」
「優しくて美人のお姉ちゃんだよ?」
レナートがどこかビクビクしながら喋っているのでいまいち信用できない。
「女性化しちゃったのは本当にペレスヴェータさんのせいじゃないのね?」
「ボクもそう思ったんだけど。ダナランシュヴァラ様のところでどこからか声が聞こえてきてペレスヴェータのいたずらかなって思ったんだけど違ったみたい」
「え・・・まさか神様の声を聞いたの?」
「うーん。他に誰か悪戯した人がいるんじゃなければそうなんじゃないかなあ」
レナートも自信無さげだ。
いくら子供でも「神の声が聞こえる!」なんていったら狂人扱いされかねない。
もともと精霊がいるとかいって馬鹿にされてきたのだ。
「で、神様はなんて?」
「『女の子にしてあげてもいいけど苦労するよーって』『覚悟したらもう一度話しかけてね』だって」
随分フランクな話し方をする神だった。
「ひょっとしてさっきテルマたちに囲まれた時祈っちゃった?」
「・・・うん。びっくりさせちゃいけないって思って」
これはどうも当たりだろう。こんな奇怪な事象は魔術でも引き起こせない。
神術の類だ。
どうやらここに神の巫女がいるようだ、とグランディーは認識した。




