第7話 腐竜ヴェルハリル②
”耐えよ、忍べよ、腐り落ちるまで”
──────旧帝国皇家フリギア家の家訓──────
◇◆◇
レナートは母にパーシアとファノを託して退避させて貰い、溶解状態の竜と対峙したがしばらくは様子見に徹した。
臆病な天馬は既に逃げ去っており、母達が安全圏に達するまで刺激するわけにはいかない。
巨大な体に思い出のある家、子供の頃遊んだ広場は潰されてしまったが、この竜の上に住んでいた自分達が彼に怒りを覚えるのは理不尽かと思った。
それに向こうは単に眠りから覚めて起き上がってきただけであり、攻撃的な個体かどうかは不明である。
(初見の魔獣には要注意)
だよね、お父さんと心の中で話しかける。
「くさっ」
大蛇に飲み込まれて半ば消火された動物のような体からは腐臭が漂ってくる。
”キミ、言葉は分かる?”
神代の生物なので古代神聖語で話しかけてみた。
”ゥガ・・・レ”
喉から顎にかけての肉が溶けて垂れ下がっており、空気が抜ける音がして意味をなしていない。
しかし反応する意志はあるようだ。
”うーん、脳も足りてないみたい?”
現象界の肉体が完成していなくても意志は通じる筈だが、反応が言葉となっていない。
レナートの言葉を侮辱と受け取ったか、眼球がぎょろりとこちらを向いた。
”侮辱したわけじゃないよ?ちゃんと肉体が戻るまで待つし、平和に行かない?”
腐竜はレナートの言葉に対して返事はせず、足元の薬草園を踏み潰すことで答えた。
”・・・キミ。今、わざとやったよね?”
母の薬草園が巻き込まれないように気をやっていたレナートの動きが察知されたのだ。
”ナ・・・ク・・・ロ”
何らかの言葉と共に、フシューと竜の体からガスが吹き出し村全体を覆いつくした。
”わかった。仲良くする気がないのなら地獄に送り返す”
レナートはガスを避けるために空中のマナを硬化させて飛び上がった。
村が丘の上にあり、これ以上後退しては戦い辛い。
レナートは神域を展開して村を竜ごと取り込んだ。
周囲の畑や果樹園まで腐り落ちては今後、皆の生活に支障が出る。
現象界と神域の気象状態に差がある為、自然の気象に影響を与えてしまうがそれは仕方ないと割り切った。
◇◆◇
腐竜はレナートを強敵と認め、さきほどは周辺全体に放ったガスをブレスとして口から放射した。
レナートは氷で自分の周囲を覆い、その一撃をやり過ごす。
その後しばらくは一進一退の攻防となった。
竜の体全体を凍らせようとしたが、表面が凍っても内部から腐った肉体が液状化して流れだして氷が押し出されてしまう。一瞬で深部まで凍らせる事は出来ず、巨大な氷の槍を作って投じたが、その部分が飛散するだけで槍は竜を縫い留める事が出来ない。
流れ出した腐竜の肉体は大地と一体化し、また腐竜に戻ってしまう。
竜の動きは遅く、翼も穴だらけで飛ぶことも出来ず動きの早いレナートを捕える事は出来なかった。
腐食ガスや体液を浴びて致命傷になる事を恐れたレナートは慎重で、お互い手詰まりだった。
だが、腐竜は大地を取り込み少しずつ体を大きくしていった。
レナートは出力を上げ、雹を降らせたがこれも表面に穴を穿つだけに留まった。
仕方なく地域一体に吹雪を引き起こし、さらに極低温化する事に決めた。
だが、そこへファノを乗せたホルスが槍を持って突撃してくる。
少し遅れてラターニャとマリア、護衛のブルクハルトも乗馬して近づいてきた。
「ちょっと!なにやってるんだよ!」
せっかく凍結し始めた竜がホルス達に関心を持って身じろぎしていた。
急降下してレナートは抗議した。
「ファノまで連れてくるなんて!」
「ふん、苦戦しとるじゃないか。氷神だかなんだか知らんが大した事ないのう。儂に任せておけ!」
「お爺ちゃんじゃ無理でしょ。っていうかその槍・・・止めてよね」
魂を捧げなければ真価を発揮できない槍など自殺行為も同じだ。
祖父との思い出が無いとはいえ、死んで欲しくない。
「心配するな。こんな半端な竜モドキに使ったりはせん。お前はファノを連れてさっさと空へ戻れ」
「はあ?」
「ホルスさんのおっしゃる通りに」
ラターニャも焦った様子で指示してくるのでレナートはファノを抱えたまま宙に飛んだ。
◇◆◇
「どういうことなの?」
皆がいるのでこれ以上気温は下げられない。
竜の注意を引いたままこれまで通り逃げ回りながら時折攻撃しつつファノに事情を聞いた。
「あの竜の本体はまだ地下にある。だからいくら削っても終わらないの」
「そうなの?」
「そうなの」
視力を失って長いファノの方がレナートより霊視が得意で本質を見極める力がある。
「でもそれを伝えるだけならファノが来なくても良かったのに」
ファノも既に12歳になり、大分大きくなったが、視力が無いので鍛錬もしたことは無く、自分の身は守れない。
「あいつがラターニャさんを攻撃すると不味いから」
「どういうこと?」
「これで注意を惹くの」
ファノはフードを外して頭の角を出した。
昔、魔獣に取り込まれた際に餌を呼び寄せる為の機能を取り込んでおり、それが外部に露出したものだ。
「ラターニャさんは?おっと」
ガスのブレスが来たので周辺を氷で覆った。
「いくらあいつを削ってもどんどん亡霊が集まってきちゃうから」
ラターニャの神器で亡霊達を制御する。
ホルスとマリアはその護衛だ。
ラターニャは亡霊を散らしながら魔術で大地を操ってヴェルハリルの本体を引きずりだした。
十分弱った所でマリアが核を魔剣で破壊してトドメを刺した。
◇◆◇
「うう、ボク。囮になっただけだった」
腐竜を倒せたのは良かったが、神霊的な力には自信があったので少し残念だった。
「レンがあいつを弱らせてくれたからですよ。私達だけでは近づくことも出来ませんでした」
ガスを放出したり体液で汚染される危険が無くなるまで弱らせて、凍らせたのはレナートなのでマリアはトドメを刺しただけだった。
「ラターニャさんも巫女さんなのに凄い度胸だね」
大地を操る強力な魔術と亡霊を退散させる神術を同時に行使してみせた。
「多少は荒事に慣れましたし、竜騎士が護衛についていましたから」
「そういえば」
護衛の騎士がいたな、と思ったが傍に控えていただけだった。時折飛んでくる流れ弾を盾で防ぎはしたが、ラターニャは大地を自在に操れるので自分を岩で作った人間で守ってもおり必要では無かった。
「面目ない」
「相性が悪かったですね」
接近戦のリスクが大きい相手だったので騎士にはどうしようもなかった。
「空を飛ぶ相手なら私にお任せを」
「そういう竜がいたらね」
地竜エラムも空を飛ぶタイプでは無かったし、腐竜もそうだった。
「誠に面目ない。竜騎士が我が国にしか残っていないのも当然です」
「まあうちのお爺ちゃんもうろうろしてるだけだったし」
「失礼なガキじゃな!」
憤然としているホルスに苦笑しラターニャがフォローする。
「レンも地獄に勇士を送り込む話は聞いていると思いますが、皆それぞれ得意分野というものがあります。地獄には様々な環境があり、怪物もいる筈です。時には今回のような闘い方も必要でしょう。勝機が無ければ好機が訪れるまで耐え忍ぶ事も必要です」
短気になってヴェルハリルに全力を注ぎ込まずによく観察して戦ったとラターニャは褒めた。
「ラターニャさんは大人だなあ」
肉体的には弱いのに落ち着いて戦いを指揮した。
「ブルクハルト殿が傍に控えていたので落ち着いていられたのです。それに子供の頃からさんざん家訓を叩きこまれましたからね。さて、マリア」
「はい」
族長のマリアとラターニャは今後について話し合った。
「これほどの怪物は初めてですが、各地で同様の怪物騒ぎがあります。ここの畑は無事でしたが、本当に食べても大丈夫なのかどうかはしばらく待った方がいいでしょう」
「何か懸念が?」
「ええ、フロリア地方で騒ぎがあったようです。一度ここは離れてカイラス山や山岳民達の所に退避して様子見した方がいいと思います。外部からの亡者の侵入は防げましたが、こんな怪物が各地に沸けば対処しきれません」
急激な人口減には歯止めがかかると思われたが、再び状況は変化し始めた。
※腐竜ヴェルハリル
神代で大地母神と眷属達を苦しめた邪竜。
中央大陸南部(フリギア領)を腐らせて、中央高原にまでやってきた。
大地を繁栄させる女神達に対してそれを腐らせる竜は拮抗した闘いを繰り広げていたが、ホルスの祖先が命と引き換えに倒す事に成功した。
現在のヴェルハリルは物理的には同一個体だが、霊的には同株だが別個体でホルスに近い。
マナス本体は神代から現在に至るまで地獄に封印されている。




