第1話 広がる病
『太陽の光はひとつである。たとえそれが壁や山、幾多のものに分断されようと普遍的な物質はひとつである。生命の息吹はひとつである。叡智ある魂はひとつである。たとえそれが分かたれているように見えても』
──────マルクス・アウレリウス・アントニヌス──────
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五千年間の長きに渡り世界を支配してきた帝国が滅んで七年が過ぎた。
七年間の間に中央大陸では実に八割の人間が死亡した。
内乱、外敵の侵入、疫病の蔓延、飢餓、地震、津波、相次ぐ災害に加えて破局的噴火によって世界全体が寒冷化することになった。
寒冷化は飢餓と争いを促進させ人々はさらに数を減らした。
八割もの人口を失ってようやく指導者達は争いを収拾し、手を取り合って諸問題の対策を始めた。全ての勢力との和解は出来なかったが、停戦と流通の回復で人口の低下は辛うじて止まった。不妊の病については豊穣の女神達の加護を得る事で出生率もやや回復した。
これほど急激に大量の人口を失った最大の原因は亡者の侵攻だった。
生きている間に感染し、死後起き上がって生者を襲う為、感染者を隔離、特定できず死亡者は加速度的に増えていった。
人間以外にも一部の種類の鼠にも人々を亡者化させる寄生虫は感染し、人々が逃げるより早く感染を拡大させた。
亡者は大陸西部で発生し、それが山岳地帯を避け沿岸沿いに南端部を通過し東海岸に到達したわけだが、彼らは知性が薄い割に戦略的に大都市を襲撃しているかのようにみえた。
人々が詳細な情報を得る前に大都市を襲い、爆発的に仲間を増やした。それから地方都市へ、そして亡者を信じていなかった村々を襲った。
大砲を撃ち込もうが銃弾を撃ち込もうが、雪崩のように押し寄せる亡者は止まらなかった。
が、これも東方からもたらされた秘薬により亡者の源となっている蟲が体内で繁殖する前に駆除できるようになった。知らず知らずのうちに都市内で感染が拡大し内側から滅びる事はなくなった。
かつて帝都と呼ばれたヴェーナにも何百万もの亡者の大群がやってきたが、人々の方が打つ手が早く、人々は二つの大河にかけられた橋を落して自らを隔離した。
亡者の軍団は境界線の守り神の加護が宿る大河を渡れずに手をこまねいて囲むのみ。
道に迷って現世に現れた亡者達には意志をもって境界線を渡る事が出来ない。
人々は投石機でヴェーナを囲む亡者の中に天敵となる病原体を投擲した。亡者達はばたばたと倒れて数を減らし、迂回する為に北部の山々に踏み込んだ。
亡者と共に歩んで来た鼠たちは病にかかり自ら河に飛び込んで溺死してしまった。
◇◆◇
亡者達には繋がりがあった。
家族、師弟、同僚、君臣などの関係が。
繋がりを束ねる地獄の女神は封じられていて地上に直接出てきて指揮出来ないため、代理人に力が与えられた。
彼らは地獄と現世に同時に存在し、永遠の恐怖と苦しみから逃れる為に女神に従った。
皇子ファスティオンもまたそうした亡者の一人だった。
地獄に捕らわれたもう一人の自分、そして家族達を解放する為に女神の望みを果たさなくてはならない。
知性が芽生えた後、一度燃やされてしまったが何年もかけて体内の蟲が体を修復させ再び意識を取り戻した。
「まだ働けというのか」
何十万ものかつての臣下、民達が亡者となって彼に従っている。
他にも多くの集団がヴェーナを襲ったが撃退され、ファスティオンはそれを見てこれ以上沿岸都市を
襲うのは無理と判断し内陸の山々へ踏み込んだ。
山岳地帯にはもう何年も人の往来が無く、かつて街道があった場所も既に草に埋もれ、木々が倒れて道を隠し、かつての賑わいはなく自然に戻っている。
動物達の中には零下40度でも耐える野牛などの生物もおり、こんな環境でも命を繋いでいた。
そこへ再び人々が戻ってきた。
体内に様々な醜い蟲を抱えて。




