第61話 継往開来
「諸君、つい先ほど伝令が来たのだが・・・野盗の処分よりも重大な問題が起きた」
ショゴスは招集した議会でまずはこう切り出した。
「グラントムに預けた二十万の軍がそっくりそのまま敵の捕虜となった」
「どういうことです?」「そのまま?損害もなく?」「裏切りですか?」
順調に戦果を上げていた筈だったので、突然全軍が敵の捕虜になるなどとても信じられない。
「いや、偽情報だろう。ありえない」
敵の工作を疑う者もいた。
「まだ第一報だが同じ伝令が三つ来ている。情報によればニキアスは焦土戦術をとり、本隊同士が相対している間に難民に派遣軍の兵糧庫とダカリスへの輸送部隊を襲わせたようだ。その間に橋を落し要塞を確保し、敵地で孤立したグラントムは兵糧不足で投降せざるをえなくなった」
後に分かった事だが、クロタール軍が獣人の部隊を打ち負かし、分散していた敵部隊が合流して復讐戦を挑んできた。それさえも打ち負かし連戦連勝で士気も上がり、ニキアスが軍勢を率いて最前線にまで出てきた為、クロタールは増援を依頼し両軍は会戦の準備を行った。
一方でグラントムは仮設橋の破壊に向かわせた特殊工作部隊を失っていた。
獣人恐るるに足らずと主張するクロタールとツェリンに押され、クロタールもツェリンも連勝を重ねており、五倍以上の大軍と精鋭を抱えて強気になった。
しかしながら制御を外れた難民は与えられた情報から正確にグラントムの兵站を衝いた。
敵は難民の中に扇動者、魔術師を紛れ込ませた。これまで彼らを追い込んでいた軍隊は消え、無防備な兵糧庫と輸送部隊は彼らの獲物となった。
「もし、本当にグラントムが敗れて全軍が捕虜になったのであればその返還を条件に休戦を受けようと思う」
どうか、と議員達の反応を伺った。
議員達の多くは王の片腕であるフィネガン公の返事を待ったが、彼は何も言わない。
「軍の状態によらず、休戦を受ける事は構わないと思います。エンマ殿は既に応じられたとのことですし」
まだ三十代の議員の一人が最初にそう口に出した。
若手の有力者で何度もフィネガン公に異を唱えてきた人物である。
「しかし、条件の移住など受けられない。実質降伏で領土の献上ではないか」
反獣人急進派の一人がそう言った。
「先ほどの裁判の通り、エニプスのような街は我が国の領土ではない。くれてやればいい。扱いに困った犯罪者達には元の住居に戻り獣人と共に暮らすか、運河建設の作業員になるかを選択させる。それで現在我々が抱えている問題の多くが解決する」
「詭弁だ」
裏切りを許さないという脅しの為に方便として帝国追放刑に倣っただけで建国宣言ではフロリア地方全域が国家の領土だ。
「君は休戦の使者と何度か会っていたそうだが獣人から何か賄賂の提供でも受けたか」
「侮辱するか!」
実際その議員とレナートは何度か面会していた。
「王妃殿下と親しい彼女の頼みを聞く事で繋がりを持とうとしたか」
「いい加減にしろ。耐えがたい屈辱だ!」
今にも決闘を申し込まんばかりにいきりたって立ち上がるとショゴスが止めに入る。
「その辺にしておけ。彼の提案はもっともな話だ。侮辱的な物言いはよせ」
「もっとも?陛下は獣人の支配下に入るとおっしゃられるのか」
「お前はそういう言い方しかできないのか?」
ショゴスは呆れた視線を向けた。
「フィネガン公。何もおっしゃられないが、貴方も陛下と同じお気持ちか」
「二十万の兵が本当に失われたのならどうせ選択肢は無い」
「貴方の子飼いの将軍の責任ではないか」
「そうだな。それはそれとして君もツェリンの救出に少しは貢献しておかないと後に恨まれるかもしれないぞ」
強硬派もその背景となる軍事力とトップが失われれば今後分裂することは必至だった。
「して、陛下のお考えは?」
一同が注目する。
「そのうちニキアスから捕虜の処遇について使者が来るだろうさ。正直お手上げだ。諸君に何か妙案があれば使者が来る前に教えてくれ」
そんな都合のいい案は誰も提案できなかった。
「さて、もう一つ諸君に伝える事がある。我が妻パーシアが長年後継ぎを産めない事を苦にして王妃を降りると申し出てきた。さんざん引き留めたが決心は変わらないそうだ」
「謎の不妊の病は各地に広がっております。妃殿下が苦になさらずともよろしいのでは?」
フロリア地方ではまだ全域に広がっているわけでは無かったが、パーシアの件はもっと昔からの問題で医者にもこの先も望めないと言われている。
「そうはいったが、昔からの個人的な問題だから、と拒絶された。養子を迎えると言ったが、彼女にもフィネガン公にも反対された」
「それはそうでしょう」
ショゴスは嘆息し、今後の方針についての思いを吐露した。
「さまざまなものに抗い続けてきたが、ここらが潮時ではないかなと思う。エンマの離脱、不妊の病、亡者の蔓延、自然災害。レナート君がもたらしてくれた地獄門の存在。神が実在するように地獄も実在しその脅威が迫っていると判断するしかない」
「もはや休戦やむなし、と」
「そうだ。それを言い出す責任から逃げ続け諸侯に混乱をもたらした事を詫びなければならないな。そして我々にまだ希望を託してくれていた民衆にも彼らを裏切るような結果になり申し訳ない」
度重なる問題に大軍の喪失でついに彼も抵抗を断念した。
「とんでもありません、陛下。我々こそ力不足をお詫びするしかありません」
フィネガン公が率先して詫び、有力議員達も続いてようやく彼らも現実を受け入れ始めた。
「こうなった以上、一人でも多くの兵士を生きて連れ戻す為にニキアスを交渉を行う。そして新時代に命を繋ぐ為に労働力の転換を強権をもって行う。諸君は至急法案を検討し奏上せよ」
「こんな時にまで手続きを?」
「そうだ。それこそが我らが守るべき誇りであり、誓約だ」
諸侯が持つ軍勢を供出させ派遣軍とした為、国内では王が最も強大な軍勢を手元に残している。
単に命じるだけでも皆従わざるを得ないのだが、それでも事務手続きを優先した。
「私は王位に就く時、王国と法を守ると神に誓い、諸君は私に忠誠を誓った」
「忘れておりません」
「混乱なく速やかに事を運ぶにはこれが一番いい」
「強権を発動しようというのに事務手続きを?」
矛盾しているようにも聞こえるが、ショゴスは拘った。
「父祖が代々引き継ぎ五千年かけて築き上げてきた社会を円滑に運営し生きる知恵だ。学者達からも今後について厳しい予想が出されている。帝国は1457年前に一度滅び、その後さらに強く、素早く立ち上がった。これが二度目だ。そして最後ではない」
彼らには備えがある。
旧帝国は亡者によって一度滅んだ。
しかし、彼らには備えがある。
「獣人に屈するとしても、父祖が残してくれた誇り、知恵、伝統を失う事はできない。土地も財産も失い敗北の屈辱に塗れても、これは譲れない。老いた帝国は滅んだが、精神的支柱さえ残しておけば再び立ち上がる事は出来る。私は次の千年紀の為にこれだけは何としても残す。諸君も同様であることを願う」




