第42話 フロリア地方へ
『お前は一つの死体を担いでいる哀れな魂に過ぎない』
―――エピクテトス―――
◇◆◇
ソフィアに引っ叩かれて活を入れられたレナートは考える事を止めてやるべきことを一つ一つこなしていく事にした。
二人が『神の拳』を進んでいくと霧の向こうから鈍い音が聞こえてきた。
「何でしょう?」
「さあ」
レナートとソフィアの周囲にある元は高かったであろう城壁はあちこちに穴が開いて防衛塔も崩壊していた。
涸れ谷城は亡者と守備兵の戦いはあったが、彼らの戦いでは頑丈な近代要塞がこうも廃墟にはならないだろうと思われた。
廃墟の中でたまに現れる亡者はレナートによって即座に凍らされてしまう。
始末は出来ないが、これなら増殖もしない。
「思ったより少ないですね」
「そうねえ」
接近戦をする必要がないレナートには亡者はさしたる脅威ではないので彼らはそのまま音を確認に向かった。
すると、霧の中で巨大な亡者と誰かが戦っている。
戦っている男が素手で亡者を殴りつけると、亡者の体は柔らかく弾けて肉片が飛び散る。
他にも大量の肉片が飛び散っているが、それらは徐々に本体へ戻っていく。
たまに男が巨体に吹き飛ばされてダメージを負うが、男は他の亡者に食らいつき、それをごくごくと飲み込んで回復する。
「あっちの人も亡者だ」
二人ともどす黒い肌をしていた。
レナートが霊視しなくてもソフィアにも分かった。
「男の方はここの守備兵かしら」
帝都で研究記録をいくらか読んだ知識によれば、指示が無ければ生前の行動を繰り返すという。巨体の亡者の方はかなり肥満体の女性に見えた。
この亡者と亡者の戦いは永遠に決着が着きそうもない。
「あっちの大きな人、リボンつけてる」
「ほんとね。元はお嬢様かしら」
レナート達はこの戦いの均衡を崩す事を恐れて避ける事にした。
二人は一日かけて神の拳を通過して南側に辿り着いたが、そこは断崖絶壁で橋も落されていた。谷底に亡者の姿もなく、監視している兵士もいない。
レナートが巨大な氷を作って橋を作り、ソフィアと一緒に渡ってから砕いて二人で南のフロリア地方に辿り着いた。
◇◆◇
「天馬達はもう来てくれないのかな?」
亡者を監視する為に誰かしらはいるかと思ったが、近くには誰もおらずレナート達はこの先どうしようかと話し合う。
「まだ怯えているだけだと思う。落ち着いたらきっと来てくれるわ。どこか街を探しましょう。アテとかある?」
問われたレナートは首を振る。
「こっちの事はさっぱり。谷沿いを進んで街を探すか、内陸に入るか」
「内陸に入って街を探しましょう。谷沿いはどこに亡者が潜んでいるかわからないし」
「そうだね」
放棄された監視所で地図を発見し、それを頼りに旅をすることにした。
歩いても三日もあれば街につく筈だ。
「他のもっと大きな街道沿いに出てれば良かったわね」
「薄暗かったししょうがないよ」
”神の拳”の城塞施設が破壊されて、城下町も酷い有様だった為にゆっくり観察している余裕もなく亡者を避けながら徹夜で急いで南下したのでフロリア地方に渡る地点があまりよろしくなかった。
食料についてはレナートが岩陰の蛇を発見し冷気で動きを止めて頭を切断して手に入れた。
他に鼠なども発見し、焚火を熾してその日は暖を取りつつなんとかお腹も膨らませる事ができた。
天馬から落ちてしまったので寝袋も何もないが、監視所でみつけたぼろきれと倒木で屋根を作り、その中で二人でくっついて寝る事にした。
寝る準備をしていた所、レナートが外に出て蛇の皮でなにやらやっているのを見てソフィアは首を傾げる。レナートの体はお尻がきゅっとしまり肩幅も広くなっていくのをみてなんだろうと覗き込むとレナートは蛇の皮で作った袋におしっこをしていた。
「なにしてるの?」
「え・・・おしっこ」
「どうして、そんなところに?」
ソフィアは疑問に思ってレナートと袋に目をやる。
そこらですればいいだろうに、と。
「えと・・・ボクもちょっとは恥ずかしいのでテントで」
なかなかとまらないので動くに動けず顔を真っ赤にしながらソフィアに抗議した。
「あ、ああ、そうよね。ごめんなさいね!レンちゃんなら別にいっかって!」
◇◆◇
用が済んでからレナートは簡易テントに戻ってソフィアに説明する。
「男の子の状態の方が水袋に注ぎやすいし」
「水袋?あの蛇の皮が?」
「そうだよ。もし明日井戸とか川が見つからなかったら困るし、汚染されてるかもしれないし」
荒野の遊牧民だったオルス達の一族はさまざまな生存技術を磨いて子孫に伝授してきた。先ほどのもその一環だ。
「え・・・飲むの?」
「うん。おしっこくらい飲めないと大人になれないんだよ」
ウカミ村時代、レナート達、子供らは皆当然嫌がったが、大人の通過儀式のようなもので7歳を越えて街の外に出たければ荒野で遭難した時、生き延びる技術があると証明しなければならない。
「体に悪そうな気がするけど・・・」
「緊急避難用だから多少問題あっても仕方ないし。ソフィアさんの分の水袋用に明日も蛇狩ろうね」
「わ、私はいいわ」
「駄目だって。いざというときどうするの?ボクの飲ませちゃうよ」
「それはさすがに遠慮したいわね・・・」
牧場経営者でアウトドア生活にも慣れているとはいえソフィアは帝都近郊の恵まれた環境にある天馬の牧場の人間だったのでそこまで必死になってサバイバル訓練をしたことはない。
翌日、なかなか水源が見つからずレナートは見つけた蛇を喜々として狩り、器用に袋にして笑顔でソフィアに渡してきた。
夕方になっても水はみつからず川は干上がっていた。
レナートは仕方なく自分のものを飲んで多少むせたが元気は回復した。ソフィアは貧血気味になり簡易テントで先に休ませて貰った。
どうしても飲まなくてはならないのかと戦々恐々していたが。レナートが干上がった川底を掘るといくらか水が出てきてそれを少し口に含んだ。
翌日、元気の少ないソフィアを心配してレナートは発見したサボテンを割って水を絞り出し、毒見して問題無さそうだったのでそれをソフィアに全て飲ませた。
「ありがとう。レンちゃんは意外とたくましいのね」
見た目はまた普通の女性に戻っていて、着替えも天馬と一緒に無くしているので高貴な女性に雑用をさせているようでソフィアは申し訳なかった。
亡者が蠢く土地を潜り抜け、すっかり汚れてしまっているので野盗にでも発見されたら面倒な事になる。
「うん。みんなも贅沢なんか追い求めないでこうやって生きていられればいいのに」
少数の仲間で遊牧生活を送るのがレナート達の一族の本来の理想だった。
「みんな寂しくてもっともっと大きな繋がりを求めてしまうのよ」
「ずっと一緒だと面倒ばかりなのに」
「そうね。この先はみんなレンちゃん達みたいな生活を受け入れないと生き残れないかもね」
ヘルミアやマヤの方針に従ってフロリア地方にも大都市は放棄して貰う事になる。
拒絶されれば戦争しかない。
ソフィアには説得までしてやる義理はないのだが、この地方にはレナートの知り合いがいる。
「明日か、明後日には街につくわね。憧れの人に会えるといいわね」
「うん。でもパーシア様はもっと西のお城にいると思うから徒歩だと何週間か、何ヶ月もかかっちゃう」
「街で落ち着いたら材料を探して天馬達が好む香を焚くわ」
常備している革袋に秘薬が入っているので大きな都市であれば錬金術師から足りない材料を買えばソフィアがどうにか天馬を呼び寄せる事が出来る。
笛は聞こえなかったようで道中何度か吹いても来てくれなかった。




