第35話 地獄語り②
竜顕洞最深部にあった門の奥に進み、忘却の川の水を飲んでしまったヴェスパーを連れたロスパーは途方に暮れていた。神の仕打ちに怨嗟の声を上げた時、ダナランシュヴァラ神が現れた。
「生きたままこんな所にきちゃ駄目だよ~」
「好きで来たわけじゃない。地上に帰してよ」
「それは無理」
「どうして?ここは地獄なんでしょう?私達はここにいちゃいけない筈」
「といわれてもボクらはここに閉じ込められてるから好きに出ていけないし」
ロスパーは地獄から追い出して欲しかったのだが、それは神にも出来ない相談だった。
「さきほどダナランシュヴァラと名乗られましたが、神様本人なのですか?」
「おや?今度は下手に出てみたのかな?」
あまり神様らしい神々しさを感じなかったのと、つい誰かに不満をぶつけたかったロスパーは態度が悪かったと反省して改めたのだが、変化があからさま過ぎた。
「本当にどうにかなりませんか?態度が悪かったのはお詫びしますから」
「意地悪で言ってるわけじゃなくてボクには何の力も無いから本当に無理なの」
「じゃあどうしたら・・・」
「まあ、みんなで相談してみよっか。ついてきて」
「どこへ・・・?」
「そりゃあ地獄に来たら地獄の裁断者に会わないとね」
広大な地獄は道に迷うとそのうち地獄の鬼達に捕まってしまう。
運が良ければ連行されるだけで済むが、悪ければ彼らの玩具になるという。
「今は地獄の女神様が一人は去っちゃって、もう一人は食当たり起して倒れてるの。だからみんな勝手し始めちゃって危ないよ」
「わかりました。ご親切に有難うございます」
ロスパーはみちみち地獄の神々について尋ねた。
ダナランシュヴァラ神は地獄に封じられた二柱の女神を哀れんで地獄に花園を作り女神達を慰めた哀れみ深い神だ。神話や伝承については祖母から聞いているので他の村人達より詳しい。
「ほんとうにご本人なのですか?」
「正確にいうと『ダナランシュヴァラだったもの』かな~」
「どういうことです?」
「天の神々と一緒に過ごすのもイヤになって人間に転生したの」
「神々も仲がお悪いのですか?」
「だってねー、争いを引き起こした元凶だからって皆が嫌がる仕事を女神二人に押し付けて自分達は天上界で毎日気楽に過ごしてるんだもの。自分達だって世界樹の支配権求めて争い拡大させたくせにさ」
「人間に転生したのに今は地獄にいるんですか?」
「いやー、転生繰り返し続けて来たんだけど最後の人間が自殺しちゃってさ。知ってるかな?自殺すると強制的に地獄送りになるって」
「いちおうそう聞いてます」
自殺を選んだ人間の魂は汚れているので天の神々は受け取らない。
地獄で浄化される必要があると昔から語り継がれてきた。
自殺を戒める為にそういう話が作られたと思っていたが、神が自ら語るところによると事実らしい。
「神も地獄で苦しまなければならないのですか?」
「そういうわけじゃないけどね。死者を蘇らせた罰として地獄送りになったクレアスピオスくらいかな」
ダナランシュヴァラは四肢を分断され別々に封じられた牢獄にいるクレアスピオスを指し示した。
「ボクも人の部分は地獄の責め苦を受けないといけないんだけど一応神だから、ここの管理者側に加わってる。カーマのおかげだね」
「カーマ?」
地獄の女神の名前はアイラカーラとアイラクーンディアだったはずとロスパーは首をひねる。
「大地母神シレッジェンカーマとノリッティンジェンシェーレが地獄の女神アイラクーンディアとアイラカーラとして括られたんだよ。ようするに帝国人の守護神だね。天の神々だけじゃなくて自分達の下僕の人間にも裏切られて地獄の女神として貶められたから、帝国人は結構恨まれてるよ」
そんなの自分達の知った事じゃない、と言いたいところだがロスパーは声には出さなかった。どこで地獄の神が聞いているかわかったものじゃない。
「ま、君らはエミスの土地の子だから平気かな?」
「わかるんですね」
見ただけで出自がわかるとはさすが神だとロスパーは感心した。
「死んで地獄に来てからは生前の人間としてじゃなくてダナランシュヴァラに戻ったからね」
地獄の管理者になった以上、訪れる者の素性はダナランシュヴァラには明らかだった。
「さて、せっかくだから地獄の観光名所でも覗いてく?」
「いえ、私達は早く地上に戻りたいんです」
「そう?ざーんねん」
ダナランシュヴァラは二人を先導し先ほどロスパー達が行ったり戻ったりしていた所を通過してさらに地下へ、地の底へと降りて行った。
「ね?あれ見た?竜の魂が封じられている牢獄」
「牢獄らしきところは見ましたけど」
「捕えた魂ごとに適した階層があってね。神にも匹敵する竜の牢獄は見物だよ。もうすぐ逃げられちゃうかもしれないし。今が見納めかも」
「逃げられる?」
「地獄の女神は二人ともやる気なかったし、その分は鬼達が頑張ってたんだけどシェーレが去ってからみんなも仕事投げ出し始めちゃってね」
魂の束縛が緩み、竜の復活が近づいているという。
「地竜エラムならうちのお婆ちゃん達が復活させてしまいましたけど・・・」
「あの子はいいんだよ。番犬代わりだったから」
「はあ、そうなんですか?」
石像の状態だったのに番犬の役目が果たせるんだろうかとロスパーは首を傾げた。
「霊体としてあの子が地獄門に鎮座してるだけで亡者は近づけなかったからね」
「もの凄く暴れてましたよ」
「覚醒状態で地の底にじっとしているのは可哀そうだから眠らせて石化してたのに起されて怒ったのかな?」
迷惑な事をしてくれた、とダナランシュヴァラは腕を組んで怒ったフリをしていたが、可愛らしい顔立ちなのであまり迫力が無い。
「火竜は凍結地獄にいるんだけど、上から溶岩が落ちてきて凍結地獄が溶け始めちゃってるんだ。火竜の復活も近いね。これは」
「この妙な揺れはそのせいですか?」
「火竜だけじゃないけどね。暴れてるのは」
地獄の秩序が崩壊したので様々な怪物が脱出を試み始めていた。
「逃げられたらどうなってしまうんですか?」
「そこらへんの怪物は地上で一番元の自分の姿に近い生き物の死体に乗り移って動き出すだろうけど、竜の場合は霊体が本体みたいなものだから完全に復活しちゃうかもねえ」
「復活したらどうなっちゃうんです?」
「みーんな昔神に逆らって地獄に封じられたから、また天の神々と敵対するんじゃないかなー」
ダナランシュヴァラは他人事のように言った。
「でも、地上が滅茶苦茶になってしまうじゃないですか」
「しょうがないね。落ち着いた時代に転生出来るといいね」
争いはいつか終わり、新時代の秩序が来るだろうとダナランシュヴァラは予言する。
「怪物が支配する世界に秩序なんてあるんですか?」
「今キミが考えている秩序とは違う新しい概念の秩序だよ。法が支配する秩序ではなくて暴力と恐怖かもしれないけどみんなが受け入れざるを得ない状態。それも秩序さ」
「そんな世界じゃ弱い人間は生きていけないじゃないですか」
「そもそも人間の時代は第二の時代、中つ時代だけだからねえ・・・。人の存在する価値が無くなって新たな強者の時代が来るのならそれを受け入れるしかないんじゃないかな」
「ダナランシュヴァラ様は人間の味方ってわけじゃないんですね」
彼のせいではないのだが、つい恨み事を言ってしまう。
「親近感はあるよー。親戚みたいな種族だからね」
「・・・・・・」
ロスパーは途方に暮れていた時に優し気な神が現れ、道案内をしてくれたので期待したが、助けにはなってくれそうもない。地上に戻っても地上が地獄のような世界になるのなら戻る意味も無い。
「まあ、そう気落ちしないで。人の世界だって法に縋っても守って貰えなかった人はいたでしょう?強者が法を支配して自分で運用してるんだから何とでもいえる。あんなところに戻るより地獄で一緒に楽しく暮らそうよ。ボクもね、罪人とは親しく出来ないしキミ達みたいな罪のない生者が来てくれて嬉しいんだ」
それもいいか・・・、ぼんやりしたままついてくる妹を見てロスパーは地獄で暮らす事を考え始めた。が、その時、雷が落ちた。
「こら!人を唆すものじゃありません!」
「わ、メーチェさん」
俯いていたロスパーが視線を上げると宙に浮いた人形のように可愛らしい少女がいた。
「誰?」
「私はメルセデス。地獄の管理者の一人。とにかくさっさといらっしゃい。ここにいたら溶岩が降ってくるわよ」
そういってメルセデスは傘を掲げた。
そこにはそこらの炎の河から吹き出してくる溶岩のつぶてが降りかかってくる。
「おっと危ない危ない。話に夢中になっちゃったね。さ、行こう行こう」




