第34話 地獄語り
ロスパーとヴェスパー姉妹は地竜から逃れる為に門の奥へと入らざるを得なかった。
扉の奥には地下水が流れる河があり橋がかかっていた。
「誰が橋をかけた人のかしら」
まだそんなに古そうには見えない欄干を撫で、ロスパーは不思議がる。
「そんなことよりこっちには追ってこないかな?」
ヴェスパーの声に振り返ると扉が閉まっていた。
「ねえ、これどうやって戻ればいいの?」
「え、さあ?」
「さあじゃないよ!私を引っ張っておいて」
「だって岩に潰されそうだったんだから仕方ないじゃない」
「この先どうするのよ」
「イヤなら振りほどけばよかったでしょ!」
姉妹の喧嘩を止めるものは誰もいなかった。
二人は不毛な争いに疲れて、他に誰かいないか声を張り上げて探したが返事がない。
「蒸し暑いし、喉渇いた」
「水ならいくらでも流れてるでしょ」
「飲んでも大丈夫だと思う?」
「地下水は大抵濾過されて綺麗なものよ」
ヴェスパーは姉の言葉に安心して少しばかり水を飲んだ。
「満足した?じゃあ行くよ」
「行く?何処へ?」
「他にも駆け込んだ人たちがいたし、探さないと」
「そうなんだ」
ロスパーはぼんやりした様子の妹の手を引いて地下を探索する。
地竜がいた大空洞よりもさらに広い。
「ねえ、お姉ちゃん。お腹すいた」
「仕方ない子ね。いつも非常食は携帯しておくようにいわれたのに。ファノだって守ってるのよ?」
大人でも地下で迷う事はあるし、子供達も襲撃に備えた避難訓練をしている。非常時の備えは常にしていたが、全員がきっちり守っているわけではない。ファノも面倒がるがいつもポーチに保存食を入れて持たせている。ロスパーは仕方なく妹に自分のものを少し分けてやった。しばらく探索しているとようやく人影を見かけた。
「あ、ねえ!」
「まって」
「どうしたの」
大声を出して人を呼ぼうとしたヴェスパーをロスパーは止めた。
「よく見て、あれ・・・顔がない」
人影はローブを羽織っていた。顔には暗い影があるだけ。
よく見れば顔以外の部分もすべて影の塊のようでしかない。
他にもふらふらとした人影がどこからともなくすっと現れたが、皆同じように顔が無かった。
「何処に行くのかな」
人影はふらふらとさらに斜面の下のほうへと歩いている。
「わからないけど・・・何かおかしいよ。ここ。引き返そう」
不気味に思った姉妹は来た道を引き返して再び門の近くまで来た。
そこには人影がたくさん集まっていて、門をすうっとすり抜けて行く。
「どういうこと?」
「さあ」
人影の一団が消えた後、思い切って門に体当たりしてみたが彼女達は抜けられなかった。
何度も試しているとまた別の人影の一団が来たので彼女達は隠れた。人影の列はそのうち絶え間なく続いて、いつまで待っても途切れなかった。
仕方なく最初に見た人影が向かっていた方角に歩いていくと、そこには溶岩が流れる河があり、とても蒸し暑かった。河の中には中州があり、青銅の壁に覆われた部屋が点在している。
「牢獄みたい」
彼女達が見下ろしている崖からは部屋に捕らわれた人が見えた。
影ではなく肉体がある。
しかしその姿は異様だった。
遠いので遠近感が狂うがかなりの巨体に見えるし、複数の首が生えていたり、手も複数生えていたりする。目が八つあったり、掌に目がついていたりとどう見ても怪物だ。
話に聞く獣人も異様な風体の者が多いと聞くが、人間や動物の範囲を逸脱はしていない。
四足歩行か二足歩行の違いは有っても、腕が八本も生えているという事はない。
溶岩の河には監視者なのかさらなる怪物が巡回していた。
女の姿の上半身に鱗が生え、蛇のような髪が特徴だった。溶岩の中を何故泳げるのか、彼女達の理解を超えている。
それに見つからないようにに大きな岩の柱の陰に姉妹は隠れた。
そこで首筋に風を感じて振り返ったロスパーは「ひっ」と息をのむ。
「どうしたの?」
ロスパーは怯えた顔のまま妹の手を掴み、後ずさりながらその場を離れた。
ヴェスパーの後ろにあった岩はいくつもの眼がついていて、それが二人を見つめていたのだった。彼女達が離れると岩の中からのっそりと人型が出てきて、のびをする。
小石がパラパラと落ちてきて、振るい落した後、人型はしばらくその場で佇んでいた。
体のあちこちに目がついていて、それらが溶岩の河の中にある牢獄を見つめる。
視線の先の牢獄には巨大な手や足がバラバラに収まっていた。
それに満足したのか人型はまた岩の中に戻っていき、一つの眼を除いて他の目は閉じられ、寝息を立て始めた。風かと思ったものはこの人型の怪物の呼吸だった。
「ここはたぶん・・・本当に地獄なんだわ。戻りましょう」
ロスパーは妹の手を引いて再び門まで戻ろうとしたが道が分からなくなってしまった。
必死に記憶を思い出して地形を確認していたら、また妹が何か食べている。
「ちょっと人の物を勝手にこれ以上食べないで」
「取ってないよ、そこに生えてたし」
ヴェスパーは小さな果実を食べてはぷっと種を吐き出している。
「なんてことを・・・。地獄の物を食べちゃいけないのよ」
「そうなの?」
「長老達が伝承をさんざん語ってくれたでしょうに。忘れたの?」
神話では原初の巨人が死んだとき、その体からさまざまな世界が作られた。
創造神や秩序の神々が天地を分け、三界を作り、水の神々が境界線を定義した。
生者と死者を明確にする為に、死者は生前の物を全て失い、死後の世界で与えられたものだけで審判を待つ。
地獄で手に入れたものは生者の世界に持ち帰れない。
故に地獄で何かを食べてしまっては二度と生者の世界には帰れない。
「吐き出しなさい!」
「やだあ」
「何を言ってるの?帰りたくないの?」
先ほどからヴェスパーの様子がおかしかった。
幼児退行しているかのようだった。
「まさか、あの河が忘却の川なの?ねえヴェスパー、私の名前を言ってごらんなさい」
「お姉ちゃんはお姉ちゃんだよ?」
「名前をいうのよ!」
ヴェスパーは言えなかった。
彼女は地上の事も忘れつつある。
「巧妙な、これが地獄の女神の仕業なの。私の妹になんていう仕打ちをしてくれたのよ!」
大量の死者を裁く為に、死者を従順にさせる為に、狡猾な罠が仕組まれている。
ロスパーは怨嗟の声をあげた。
誰も答える者はいないと思ったのに、彼女の声に答える者がいた。
「ひどいひどいひどーい。濡れ衣だよ!」
「え?」
その声に振り返ると、中性的な少年がいた。
「だれ?」
「ボクはダナランシュヴァラ。よろしくね、威勢のいいお嬢さん達」




