第20話 方伯家の遺産
レナート達はシェンスクに辿り着き、マヤと合流した。
ビサームチャリオットはいったんここで預かって貰い、近くに住んでいるノエムの診療所に行こうとしたら今日はシェンスクの市内にいるとマヤに言われた。
「あれ?そうなんだ?」
「人虎族が怪我人を量産しているようでな」
マヤは凶暴な種族がこの地にやってきて制御が難しい事を告げた。
「とりあえずダカリス地方攻略に追い出して落ち着いたところじゃ」
「ツィリアさんにも協力して貰わないと不味いんじゃないの?」
「こっちに着いてざっと調べたが、ダカリス女王とやらは猜疑心が強くてとても交渉にならんらしいぞ。屈服させてしまった方が早い」
マヤが入手した情報ではツィリアはバントシェンナ王の内応工作を察知するや否や大粛清を行い、信頼できる直臣以外の領主達を何百も処断していた。
この結果、女王の勢力は半減したがバントシェンナ王の付け入る余地も無くなった。
「あー、なんか病的な人だったからねえ・・・」
幼い頃のレナートも本能的にこの人は不味いと避けていた。
「あのね、獣人さん達の事情は分かっているけどパーシア様やエンマ様はボクが説得するからあんまり酷い事はしないで欲しいの。もう十分生きていくのに必要な土地は得たでしょう?」
「ふむ・・・お主はなかなか残酷な事をいうな」
「?」
「まあ、よい。儂としても知らん人間の事などどうでもいいし手間が省けるならそれに越したことは無い」
細かい条件は後で詰める事として獣人と各人間勢力間で休戦、亡者、寒冷化対策の会合を持つ意向を知らせる使者を出す事にした。
「では明日にでもバントシェンナ王の所に行くとしよう。呼び出しても良いが、遅くなるしの」
「そうだね。カルロさんも奥さんの所に寄る時間がいるし、明日でもいっか」
「ああ、だがゲルドが待ちきれなくなって先にバントシェンナ王の所に行ってしまった」
「そうなの?」
「うむ。神器返却の事以外は先触れで意向を伝えるだけと約束させたから問題はあるまい」
◇◆◇
その後、マヤも一緒にノエムの診療所までやってきた。
真っ先にカルロがその家の扉を開ける。
「ノエム!」
「あら、カルロさんじゃないですか」
ノエムの診療所は拡張されて大きくなり、小柄な猫や兎の獣人達が助手として働いていた。
助手が増えて彼女も楽になり、のんびりとした感じでカルロに返事をした。
「ヴィターシャがここにいるって聞いて迎えに来た」
「あー、いますよ。ただちょっと・・・」
「なんだ?」
「言い辛い事ですが、薬物を使われて廃人状態です。ある程度反応はあるので旦那さんが来てくれてよかったです」
病室に彼女はいて、間違いなくカルロの妻だと確認できた。
しかし声をかけても反応がない。
「どうなってる?」
「意志を薄弱にさせて、言いなりにさせてしまうような薬物です。カルロさんの方が心当たりがあるんじゃないですか?」
獣医のノエムには専門外だった。
フラリンガムで彼女を発見して他の医者に相談したが、薬物の特定は出来ても元に戻すのは無理だった。
「一緒にポーターという男はいなかったか?」
「さあ」
「あのやろう・・・ずっと父親のように思っていたのに!」
暗殺者として裏街道を歩んできたカルロでも、その道を舗装し彼らの手を引いてきた男の憎悪と執念の深さは図り切れなかった。
「何はともあれノエム、ヴィーを見つけて保護してくれた事に感謝する」
「いいってことですよ。ヴィターシャさんは私の友人ですから」
ノエムとヴィターシャは帝国貴族の子女として自由を求めて一時期危ない仕事に手を出したことがある。ノエムはすぐに手を引いて堅実な道を歩んだが、ヴィターシャには大望があり、どうしても資金が必要だった。
「わたしはずっと後悔してたんです。あの時ヴィターシャさんを止められていればって」
「それをいうなら俺だ。俺は復讐の為にヴィーを後押ししてしまった」
ノエムとカルロはひとしきり不毛な後悔をした。それから間をおいてマヤがノエムに告げる。
「ついでだからお前にも相談がある」
「なんでしょう?」
「コンスタンツィアの事じゃ」
「コニー様が何か?」
「この国の西部で大量発生した亡者の事はお前も知っていると思うが、亡者はこの国だけでなく中央大陸の西部、南部に広がっている。それを何とかする為に死霊魔術の専門家を集めているのじゃが、恐らくコンスタンツィア以上の実力者はいまい」
「・・・・・・」
「お前もわかっとるじゃろ?コンスタンツィアの屋敷をラキシタ家の兵が襲った時、何百何千という死者が起き上がって同士討ちを始めた件。あれは集団幻覚ではなくコンスタンツィアがやったことじゃ、と」
「だったらなんです?コニー様は二十年も前に亡くなりました。今さら名誉を貶めて何になるんです?」
魔術など洗濯用に少し学んだだけでしかないノエムには相談されても迷惑だった。
とうの昔に亡くなった友人のことをとやかく言われても不愉快だ。
「儂もあやつには恩義がある。帝国貴族の中であやつだけが儂を助けようとしてくれた」
「だったらなぜ」
「藁にも縋る思いなのじゃ。このままでは帝国人も獣人も全滅するしかない。コンスタンツィアがその知識を残してくれていたら何かの役に立つかもしれん。あやつの祖母は死霊魔術師と何か関係があったのかもしれんのじゃ」
「そうですね」
ノエムはあっさりと頷いた。
「おぬし、知っとったのか?」
「コニー様は巡礼の遭難から戻ってきた後にお婆様のメルセデス様が結界を張った屋敷に移り住みましたから。そこでシャフナザロフの研究記録を発見しました」
コンスタンツィアが遭難中に彼女の母は亡くなり、遺言書がアウラとエミスの大神殿に収められた。それを受け取ったコンスタンツィアが呆然として悪所に入り込んでしまったのをノエムは助けたことがある。その後もしばしばノエムはコンスタンツィアの祖母達の遺産とメルセデスの屋敷にあった研究記録の発見に関わった事がある。
「それは何処にある?何が記されていた?」
「わたしがそこまで知るわけないじゃないですか」
魔術に詳しくないノエムには悪趣味で不気味な記録としか思えなかった。
「なんとか思い出してくれ」
「知りませんって!コニー様はそんな事に関わっていません」
学院理事、帝国議員として多忙な日々を送りながらもノエムと共に孤児院の世話をしたり、誰がみても非の打ちどころがない帝国貴族だった。ノエムはその思い出を汚して欲しくない。
「コンスタンツィアがエドヴァルドと結婚して下町で生活を始めた後でもそなたは付き合いがあったじゃろう?遺産とか、何かないのか?」
「コニー様の資産は夫のエドヴァルドさんと孤児院などに配分するという遺書がありました」
「じゃが、方伯が資産は掠め取っておった。そうじゃろ?そこまでは知っておる。じゃが私物などはどうじゃ?」
「私物についてはエドヴァルドさんが受け取る筈でしたが、しばらく廃人状態だったので放置されていました」
「それはどうなった?」
ノエムはそこでヴィターシャを気まずそうにみやった。
「遺言状では遺産の相続順位は夫のエドヴァルド様が第一位で受け取れない場合、友人に委ねるとありました。ヴァネッサさん、ソフィーさん、そしてヴィターシャさんです。特に換金可能なものはすべてヴィターシャさんに委ねて欲しい、と」
ノエムは帝都でコンスタンツィアと知り合っただけの友人だが、ヴィターシャの家はダルムント方伯家の家臣であり、彼女は方伯家の令嬢であるコンスタンツィアにお友達としてあてがわれた関係だった。
主君から政略結婚を命じられればそれに従わざるをえない立場だ。ヴィターシャはそれを嫌い、家を出て困窮していた。
ある程度自由があったヴァネッサやソフィーとは違う。自分のせいで苦労を強いられたヴィターシャの事をコンスタンツィアは常に心配して遺産も託していた。
だが、ヴィターシャはこの帝国の貴族社会を破壊し革命を起こす為にコンスタンツィアを利用し追い詰めた。
その結果、コンスタンツィアは彼女を恨む暴漢に殺された。
その暴漢は昔、ノエムとコンスタンツィアが遭遇した悪所で絡み、反撃で殺された男達の生き残りだった。
「遺産をこやつにか・・・。まだ残っておるのか?」
「知りませんよ。ですけど換金可能な資産なんてこの話に関係あります?」
「ふむ・・・ないな」
マヤもこの件の追及を諦めようとしていたが、呆けていたヴィターシャが口を開いた。
「あります・・・」
「うん?」
マヤ達が視線を向けるとヴィターシャが涙を流していた。
「ヴィターシャさん?」
「ヴィー!?」
ノエムも救出以来、口を開くところを初めて見た。
「コンスタンツィア様の遺産、私物は今もアウラの大神殿に・・・。ですが換金可能なものは方伯に奪われています」
虚ろな眼差しのままだが必要な情報は提供した。
役に立たない。皆そう思った。
「換金可能なもの以外の遺産があるのか?」
完全に部外者のようだった鷹の騎士が問う。
「・・・方伯でも持ち出せなかった物が、シャフナザロフの研究書と方伯家の女性達の日記が金庫にあります」
「ヴィターシャさん!」
ノエムがそれは言うな、と止めたがもう遅かった。
「コニー様の日記を世に出すなんて許しませんよ」
「ごめんなさい」
項垂れるヴィターシャと怒るノエムにマヤが心配するな、と口を挟んだ。
「コンスタンツィアの日記を世に出したりはせん。欲しいのはメルセデスとシャフナザロフの研究書じゃ。その金庫はまだそこにあるのか?中身を確認したか?」
「私も無理でした」
「それは誰なら開けられる?」
「封印は二つあります。アウラとエミスの大神殿の地下倉庫に続く階段を塞ぐ扉を開けられるのはエイレーネ様のような大神官、アウラとエミスの血筋を引く方だけ」
エイレーネは選帝選挙の際に、政敵に逮捕されて処刑されている。
アウラとエミスの血筋については帝国貴族のほとんどが死に絶えた今、元フォーンコルヌ皇国の貴族しか残っていない。
「ナグレブにツィリアを殺すなと命令を出さなくては」
マヤは舌打ちする。今から追いつくのは難しいが、まだ殺していないのなら聞いてもらわなければならない。他にも候補者はいるが、血筋の確かな大貴族は少ない。
「書類が入った金庫は?」
「私には・・・」
ヴィターシャには開けられなかった。
「ノエム、頼む。教えてくれ」
「お断りします。無理なんですよ」
「どうしてじゃ」
「あの日記は方伯家の女性達の苦しみの日記です。常に優雅さを失わなかったコニー様があれを読んだ時だけは我を忘れてしまった。封印されていた箱はコニー様が壊してしまったので新たに作り直して収められました。それを開くことが出来るのは方伯家の直系女性だけ」
遺言の保管庫と金庫は帝国祭祀界の頂点にいた祭司長エイレーネの神術で護られており、それは死後も有効だった。皇帝に次ぐ地位の方伯ですら破る事は出来ずそのまま放置されている。そこを突破しても、金庫の鍵である方伯の長女コンスタンツィアは暴漢に襲われて死亡した。
「なんだ。それではどうにもならんではないか」
「いや、どうかな」
マヤは諦めかけたがレベッカには思うところがあった。
エドヴァルドとコンスタンツィアの子供達がまだ生きているのを彼女は知っていた。
「なんじゃ?」
「イルンがこの世界を去る前にアルベルドが言ってた。エーヴェリーンがアルシア王国のどこかで生きている、と」




