第19話 ニキアスの苦悩②
ニキアスの苦悩は終わらない。
この日はちんまい女性が面会を求めて来ていた。
「陛下、シェンスクからの使いでゲルドという方がいらっしゃいました」
「いつもの連絡役ではないな?」
「はい」
ニキアスは獣人達からフォーンコルヌ皇国の征服を命じられており、連絡役に定期的に報告を求められている。
「理由は聞いているか?」
「シェンスクに新たにいらっしゃったマヤ様の特使だと伺っています」
「おお、あの方か」
グランディがナグレブに食われる寸前だったのを救ってくれた半獣人であり、今後シェンスクとの協力関係を強化しなくてはならないニキアスにとってもっとも重要な人物だ。
残虐なナグレブでさえマヤには遠慮していた。
「少し待たせておいてくれ」
「承知しました」
「それとシーラとセラを呼んでその特使の確認を」
シェンスクの使い、と言われただけで全面的に信用するわけにはいかないのでヴェニメロメス城付きの獣人達に使者の事を確認することにした。
◇◆◇
「アッテキタ」
「シェンスクの正式な使者で間違いないか?」
「間違イナイ」
「用向きは?」
「ジンギ、ヘンキャクスル」
「神器を献上しろということか?」
神器の力を借りないと諸侯を従わせられず、今後の征服は難しい。
征服が完了し、自分の力を強化し諸侯が完全に屈服するまでは待ってもらわないと困る。
「ソウ言ッテル」
「なんとか断れないか?」
「ソレハアナタシダイ」
獣人のシーラとセラは何かと協力してくれているが、本分は監視役なので上位の獣人からの特命が来ればそちらを優先する。便宜を図ってはくれない。
「仕方ない。どうにか理解してもらうとしよう。それでどんな獣人なんだ?」
「獣人ジャナイ」
「ヨウセイ」
「ヨウセイとはなんだ?」
「シラナイ」
「マヤノ友人。適当ニアシラウト不味イ」
「マヤ殿はどういう方なんだ?」
「大精霊ヘルミアノ直系ノ娘、マッサリア獣人ノ王」
「ナグレブと比べてどうだ?」
「ナグレブハ、ドルガスノブカ。ヘルミア、ドルガスヨリフルクテツヨイ」
となるとマヤの特使の関心を買うのはナグレブより優先する。
「分かった。会おう。連れて来てくれ」
◇◆◇
そしてやってきたのがゲルド。
ヨウセイというのは半獣人なのかほとんどは人に見えるが瞳や耳の形が違う。
耳にはかなり毛が生えていて獣人らしい特徴もある。
しかし革鎧を着て、剣や弓も持参しているあたり半獣人ともどこか違う文化圏出身に見える。
「君はマヤ殿の特使と聞いた。妻のグランディを助けてくれた事に礼を言う」
「カイラス山で発掘した神器をいますぐ返却して貰いたい」
ゲルドはグランディの件に無関係なので礼を無視して要求だけを伝えた。
「その件だが、我々はシェンスクから旧フォーンコルヌ皇国領を征服しろと命じられている。神器が無ければ征服は遅れてしまう。マヤ殿は最近シェンスクにやってきたやんごとなきお方と聞いているが二重の命令を出されては困る」
「シェンスクは関係ない。これは大精霊の勅命。私達は大精霊の同盟者。返却を拒否するなら考えがある」
「返却といわれてもカイラス族の話では旧帝国のサガが彼らに寄贈したものと聞いている」
「違う。それは第一帝国期の旧帝国が全世界から収奪したもの。ヘルミアは同盟国への返却を決定した」
フォーンコルヌ皇国の一男爵でしかなかったニキアスは世界情勢に疎い。
家臣に加えた難民からはある程度情報を得たが、獣人の同盟者の情報は少ない。
「大精霊のご命令であれば我々は従う。しかしそれなら我々はもう旧皇国領を征服しなくてもよいということか?」
「そんなの知らない」
「そのあたりをはっきりして貰いたい。神器を返却する意思があることは間違いないと報告して欲しい」
「つまり今すぐには返却しない、ということ?」
ゲルドの目が鋭くなった。
時間稼ぎをしようとするニキアスの言い逃れを許さないようだ。
「我々は何百もの神器を手に入れた。ご命令によってその神器を使いフロリア地方へ遠征している部隊もある。ここにはないのだから今すぐ返却したくとも出来ない。現実的に不可能なのだと理解して貰いたい」
叛逆の意志ありと思われればニキアスはすぐに処断されてしまう。
綱渡りの交渉だった。
「じゃあせめてお前達がビサームチャリオットと呼んでいる神器だけは今すぐ返却して貰いたい。あれは森の女神の神器。ヘルミアにとっても重要な女神」
神器一つ返却するだけで時間が稼げるのであれば御の字だ。
だが、その神器はいわくつきである。
「どうかした?木々の中でしか使えない戦車は不要の筈」
環状山脈の森林内でしか使えない神器なので失っても惜しくはない。
荒野だらけのフォーン地方攻略には何の役にも立たない神器である。
「保有している神器の数が多く、部下に目録を確認させる。あれば返却するのでお待ち頂きたい」
苛立つゲルドに長くは待たせないとニキアスはいったん返答を保留して時間を稼いだ。
◇◆◇
ニキアスは腹心を集めて神器返却の相談をした。
「ナグレブが現れた事で我々の存在価値は低下しています。加えて神器を失えばさらに」
なんとか神器の保持を認めて貰うべきという者もいたが返却に前向きな家臣も多かった。
「いったんはその神器を返却して時間を稼いでもよろしいのではないでしょうか」
ひとつ渡すだけで窮地を凌げるので安いものだという意見もある。
特使のゲルドは獣人の部下ではなく、征服事業には関係ない。征服に必要だからという言い訳を一切聞く気がないのだ。
「利害関係にないゲルド殿を説得するのは無理でしょう。こちらにはなんの取引材料もありません」
「しかしあの神器を返却する、ということはメドンの部隊が奪ったと認めるようなものだぞ」
「何か問題があるのか?あの件はシーラとセラも関与している」
「というか彼女達のおかげだな。死蔵している戦車を返すだけで大精霊の関心も買えるなら安いものだ」
「ビサームチャリオットだけでなく役に立たない神器も一緒に渡してしまおう」
神器というのは神々が使っていた道具の総称なので大した力のない神器もある。
単に枝毛を痛みなく取り除けるというだけの生活雑貨もあった。
こうしてニキアスは神器の返却を決定し、後日シェンスクに送り届けると約束した。
ゲルドは回答に満足してシェンスクに去った。
彼女は森の女神から友人であるラターニャを庇ってあげて欲しいと直接頼まれたので今回護衛として故郷を離れてついてきたが、意図せず女神の持ち物まで発見して持ち帰る事が出来る事にいたく満足していた。
ここでひとつ不幸があったのはゲルドは何もニキアスがビサームチャリオットを隠し持っているとは考えずに要求した事だ。
カイラス族は全ての神器をニキアスに譲る事を受け入れて代わりに自治領を得た、とカイラス山で聞いた。
臣民は王の所有物、資産も王からの預かりものを運用しているだけというのがヒトの世界の常識だったので王が返却を約束したのであれば渋っていたサリバン達も戦車を返却すると思った。ただそれだけだったのだ。
ニキアスは獣人達は何もかも知っていると思って約束したのだが、獣人社会は人間社会のようにわかりやすい上意下達のそれではない。
ニキアスは死蔵していたビサームチャリオットを手放すだけで圧制者である獣人の姫の関心を買い、ナグレブに対して協力を得る事が出来ると思ったがそれはとんでもない勘違いだった。




