挿話 父との思い出
生物は生きる為にどこまで浅ましくなれるのだろうか。
レナートは三歳の頃、納屋で見つけた野鼠にせっせと残飯を運んでいた。
雌はたくさんの子供を産み子育てに栄養が必要だと思ったからだ。
茶色と白のしましま模様で毛がふさふさとしていてとても可愛らしかった。
しかしある日、ヴァイスラに見つかってこの泥棒!と引っぱたかれてしまった。
幸いオルスが近くにいたので止めてくれたが、この後は家の食料をあまりものやゴミでも持ち出せなくなってしまった。
「どうしてよその子がうちにいるのよ!」
あれはお前の子だ!とオルスは何度言っただろうか。
その度にヴァイスラは私に子はいない、皆死んでしまったと泣き叫ぶ。
そしてその口論の記憶もすぐに無くなる。
この頃にはオルスはもう説得を諦めてあの子はうちの養子だといってヴァイスラに黙認して貰う事にしていた。
◇◆◇
ヴァイスラが落ち着いてからオルスはレナートに謝った。
「ごめんな、レン。お母さんはとても辛い思いをしたんだ。許してやってくれ」
「うん」
「俺がいない時困った事とかは無いか?」
「ううん、普段は優しいよ」
「そうか?それならよかった」
家の事は嫁に任せられないとオルスの母が家事を仕切っていたのでレナートも特に困ってはいない。優しいといったのは父に心配させない為の嘘だった。
「それでなんでご飯を持ち出したりしたんだ?」
「えとね。怒ったりしない?」
「しないしない」
じゃあ、とレナートは野鼠の親子の所にオルスを連れて行った。
そこでは幼いレナートが想像もしなかった光景が広がっていた。
母鼠は自分が産んだ子の中で一番小さかった子をバリボリと貪っていた。
驚きのあまり硬直しているレナートの肩をオルスが抱いてやる。
「野生の生き物ってのはこういうもんだ。子育てする親子の情はあっても最後に何処かで一線は引く」
ショックのあまりレナートはその日何も口に出せず、食べる事も出来なかった。
夜、オルスはレナートの記憶に残っている限り初めて一緒に寝てくれた。
そして本を読んでくれたのも初めてだった。
◇◆◇
五歳の頃、父が闘技場で万雷の拍手を浴びながら雄叫びを上げて敵を倒しているのを見た。自分も大きくなればあんなふうになれると当然のように信じていた。
しかしなれなかった。
武術の腕は伸び悩み、後から始めたドムンやスリクにあっさり抜かれた。
エイラには目の前の問題から目を逸らす、問題と向き合おうとしないと指摘された性格は目の前の敵を是が非でも倒すという覇気に欠けさせていた。
母との長年の確執がその性格を作っていったのだが、幼いレナートに果たして何が出来ただろうか。
父が望む者になれず失望させてしまったが、それでも父は愛してくれた。
父は祖父と喧嘩をして家を出て、死ぬまでその仲は戻らなかったが、レナートがどんな選択をしても父はそれを否定することはなく受け入れてくれた。
本を読んでくれたのは一度だけで、また読んでやるという約束を守る事は無く幼いレナートを酷く失望させたが、レナートも父を愛していた。
家に帰れば父がいて、何の根拠もなく「大丈夫だ」と言ってくれれば大抵の問題は解決出来た。これからもずっとそれが続くと信じていた。
家に帰ったら話したい事はたくさんあった。
北方圏で大変な冒険をしてきたこと、神々に出会った事、外国人や獣人に知己が出来てカイラス族の保護を頼めたこと。
ようやく何者にも怯えずに同胞が暮らし、父も肩の重荷を降ろして家庭に戻る事が出来ると話したかった。この遠征の成果を話せば父も喜んでくれると思っていた。
しかし、家に父はいなかった。




