第1話 ガル判事領攻略戦
帝国崩壊から四年、まだ冬のうちにバントシェンナ王の遠征軍は昨年の天災による撤退後、再びフォーン地方の攻略を開始した。
昨年は大兵力を擁していたマルーン公が敗北し、これ以上の抗戦は無益と降伏を呼びかけた為、反蛮族連合軍は崩壊した。
ルシフージュ王、ダカリス女王からの支援も滞り、多くの貴族が恭順を示していく中、クールアッハ大公家のエンマが当主として舞い戻り、天災もあってバントシェンナ王の軍隊が一時撤退すると、冬の間は両陣営で内応工作が活発化した。
春まで再侵攻は無い、と諸侯は見ていたのだが・・・
「隙を突かれたか・・・」
城壁が砂となって崩れ去るのをガル判事領を支配するオルラミュンデ宮中伯エッゲルトは見届けた。
判事領というのはかつては法の神エミスの神殿領だったのだが、神権制の時代が終わって以降は名称が変わっていた。
平民も判事となることはあるが、現在の領主は貴族のエッゲルトであり、一度任命されれば皇王や東部総督クールアッハ大公でも罷免出来ない独立勢力だった。土地は家系に付随せず、任期を終えると次の判事が監督する。この都市にはエミス大神殿、法務大学や憲兵隊本部、フォーン地方の最高裁判所などがあり大貴族をも上回る力を持っている。
エッゲルトは短期間の内に再度反蛮族連合軍を組織し法の番人として民衆からの求心力が高く、蛮族が進出し始めた中心領域で人々の希望の象徴となっていた。
「閣下、軍勢を呼び戻さなければ」
「ならん」
再編成した反バントシェンナ連合軍三万は郊外に布陣している。
志願者を武装させて、ろくに訓練もしていないとはいえどうにか数は集まった。
こちらに救援に向かってきてくれている友軍もいる。
強行軍でやってきた敵軍はたったの三千であり、神器の力で丸裸にされた城でも持ちこたえる事は出来る。敵も増強されるだろうが、こちらの数は予想外の筈。
「城壁が破壊された所で敵軍に動きはない。野戦では睨み合いを続けていればよい。野戦軍の指揮官ヴァンタドール伯爵には現場を維持するよう伝令を送れ」
「はっ」
「ガードルーペ殿をここへ」
クレムス女伯爵ガードルーペは女性ながら魔導騎士であり、人類を裏切ろうとした父を切り捨てて当主となってエッゲルトの所へやってきた。エッゲルトは父殺しの罪を許し、旗下に加えたが野戦軍への参加は許さず城の守備を任せた。
「お呼びでしょうか」
「見ての通り城壁が破られた。民衆を励ます為、市中の見回りを行う。しばらく私の護衛を頼みたい」
市内は砂塵が舞い、視界が悪く、人々が騒ぐ声が響き渡っている。
「恐らく神器によるものと思われますが、敵が砂煙に紛れて侵入していたら危険です」
「敵軍に動きはない。少数の敵であれば魔導騎士を傍において市中にいた方が敵も目標を捕えられまい」
「確かにおっしゃる通りです」
彼女を護衛につけてエッゲルトは歩き出した。
「エンマ殿が大公家をまとめ上げれば、寝返った者達も再度こちらにつく。我々は必勝の時が来るまで戦力を温存しなければならん」
「十倍の軍勢でも勝てませんか?敵は強行軍で疲れている筈ですし、後続が来る前に叩くべきでは?」
「こちらはほぼ歩兵だが、あちらは騎兵のみ。民兵は騎馬突撃を受ければ一目散に逃げ出す。銃や大砲をシャモア河の戦いで失ってしまった現在の状況では勝てない、とヴァンタドール伯爵が断言している」
バントシェンナ王は大量の神器を所有し、それを使ってシャモア河の戦いでは数の劣勢を覆した。従来の密集隊形での戦術では神器の餌食になり、かといって分散すれば訓練不足の兵士と寄せ集めの連合軍では部隊間の連携が取れない。
連合軍の魔導騎士達の多くがシャモア河の戦いでは神器を持った敵兵に敗れてしまった。
バントシェンナ王の騎士見習い達は通常なら魔導騎士の装備を与えられない未熟な者まで神剣など神器の武器を与えられていた。
ヴァンタドール伯の下にいる僅かな数の魔導騎士ではなぶり殺しにされてしまう。
「我々が虚勢を張っているだけだ、と気づかれたら終わりだ。ガードルーペ殿」
「敵の絶対数はまだ多くない筈です。たとえ民兵が負けたとしても削っておけばエンマ様や総督達も後で楽になるのではありませんか?」
「民衆を生贄にしたうえでの勝利では、外道に墜ちたバントシェンナ男爵と同じだ、二度というな!」
魔導騎士達は一騎当千の強さを持ち、民兵ではまともに傷も負わせられないが消耗すれば別だ。
騎士を温存して民兵を捨て駒に使うガードルーペ同様の提案は他の武官からも提案されたが、指揮官達は却下した。
◇◆◇
「お父様」
「イレーネ」
エッゲルトには三人の娘がおり、その長女が城門前で追いついて話しかけてきた。
後ろから次女グフィタも小走りに追いかけてきている。
「どうした?」
「突然城壁が崩れ、皆不安がっております」
「もともと完成していなかった城壁だ。状況に影響は無い」
帝都で選定選挙の争いが激しくなってきた六年前に皇王の命令で各地の防備が増強され始めたが、予算不足といまひとつ危機感が足りなかった為、工事は遅れていた。
東方諸国軍だけでなく蛮族の侵入も明らかになり、大公が帝都に援軍に赴く際に予算と人員を支援され工事が再開したものの完成には至っていなかった。
「敵も迫っているとか・・・。預かっているお嬢様方をどこか後方へ逃がしてあげるわけにはいきませんか?」
蛮族と大貴族達が抗争を繰り広げ、法の支配が及ばなくなってきており、その隙を突かれ野盗が大集団化すると小領主は自力で領地を護れなくなってきた。以前はマルーン公が連合軍に参加して出兵して貰う代わりにそういった小領主の家族を保護していたが、彼女が敗北し戦線が後退するにつれ小領主の家族らも逃げ惑い、エッゲルトの元に集まってきている。
「ここより後方などない。どこへ逃げるつもりだ」
「ダカリス女王陛下や、ルシフージュ王のところとか・・・」
「愚かな、東部総督クールアッハ大公の家臣でありながら他の総督の元へ逃げるというのか」
父の怒りを感じてイレーネが唇を噛みしめる。
次女のグフィタはそっと裾を引いた。
「お姉さま」
「ええ、そうね」
イレーネはぐっと顔を上げて父に強く言い放った。
「そのクールアッハ大公家が権力争いなどしていなければこんなことにはなっていないのでは?そもそもガル判事領は独立した権限を持っている筈」
「形式上のものに過ぎぬ」
「法と契約の神アウラとエミスのみに忠誠を誓う判事のお言葉とは思えません」
エッゲルトのこめかみに青筋が立ち、傍で見ていたガードルーペは家族の争いを見ているのもいたたまれず「お時間が・・・」と声をかけた。
思わず娘を引っぱたこうとしていたエッゲルトは我に返り娘に宣告する。
「よかろう、逃げたければ逃げよ。男達が、いやガードルーペ殿のような勇士も命がけで戦おうとしている時に、自分達だけ安全な場所へ逃げるがいい」
「皮肉を言うお時間はあるのですね」
「さっさと去るがいい、無論護衛の騎士も兵士もつけん。自分達の足だけで蛮族が連れてきた魔獣が彷徨う荒野を抜けて逃げるがいい」
「そんな!せめて三百名の兵士と馬車を!三十名の婦女子がいるのですよ!?」
「そんな余裕があると思うか?」
◇◆◇
娘達を追い払ったエッゲルトは市中を見て回った。
不安そうな市民たちにこちらの戦力は十倍だと告げて元気づけ、それより井戸が砂で詰まっていないか、不審な者が侵入していないか気を付けるように声をかけた。
市中防衛隊に混乱に紛れた犯罪を厳しく罰するよう言い含め、消防隊は放火に気を付け、十分な水を確保しておくよう訓示した。
日が暮れる前に市中の混乱を収め城に戻ってきたが、娘達は無論そのまま留まって愚痴を言っていた。
「三百人くらいつけてやってもいいのではありませんか?臆病な不平分子、しかも閣下のご息女までいらっしゃるとなると士気が低下します」
民兵の中でも特に士気の低い連中を娘達につけて追い出してもいいのでは、とガードルーペは思う。
「私が家族だけ逃がした、と市民に知られればその方が士気が低下する」
「ご子息達は立派に戦っておられますし、構わないと思いますが」
「気持ちだけ受け取っておく」
そもそも不良兵士の放逐ついでに追い出したら護衛対象の娘達に兵士らが道中でなにをするかしれたものではない。結局まともな騎士、兵士をつけてやらねばならず戦力が削がれる。
「夜間は護衛を増やしておくからガードルーペ殿はよく休んでくれ」
「は」
翌朝、いや、朝というべきだろうか。
その日は時計が日の出の時刻を一時間過ぎても真っ暗だった。
エッゲルトは目覚めてから、まだ夜だと思って再び寝ようとし、寝付けずに時計を確認してから不審に思った。
「誰か!」
声をかけてもベルを鳴らしても誰も部屋に入って来ない。
しばらくしてドアを開けようとしたが、開かなかった
「おっと、お目覚めでしたか」
いつの間にか武装した男が部屋に入っていた。
「何者だ」
迂闊にもエッゲルトは武器を何も持っていなかった。
「城内は我々が占拠しました。閣下には降伏し、我が王に忠誠を誓って頂きたく」
不審な男は慇懃無礼に降伏を勧告した。
「どうせ神器の力を借りたのであろうが、それで降伏勧告とは笑止千万。『バントシェンナ王』とやらの権威も借り物に過ぎん。いずれ己の部下に殺されるであろう」
「だとしても今、死にかけているのは閣下ですよ」
「私が死んだからといってどうだというのだ。貴様らの兵力は知っている。この城を占拠するほどの数はいまい。ましてやこちらには・・・」
「魔導騎士もいる、ですか?」
不審な男はひとつの短剣を放って投げた。
「これはクレムス女伯爵の紋章・・・」
「ガードルーペさんでしたか?既に捕えました。我々は城壁さえ砂に出来るんです。そこらの壁に穴を開けるのも地下から侵入するのも容易です」
「彼女を捕えた所で外には三万の大軍がいる」
「んじゃ、それがどうなったか見てみましょう」
男はバルコニーへと案内した。
真っ暗だった世界は、徐々に明るくなっていく。
遠くには砂塵が見え、ヴァンタドール伯爵の軍勢は蛮族の突撃を受けて散り散りになって敗走を開始していた。
「蛮族は手を出さずにバントシェンナ王に人間同士殺し合わせる筈では無かったのか?」
「そんな情報を何処から?少々古かったようですね」
「奴の忠誠を確認した、というわけか」
ここまでやってしまったバントシェンナ王とその領民は今更人類側に戻ってくる事は出来ない。
彼の試用期間が終わったのだとエッゲルトは理解した。
「好きなようにご解釈ください。では、以前の条件を呑んで頂けますか?」
「完勝したのであれば好きにすればよいではないか」
「陛下は閣下の価値を高く評価しておられるのですよ。少しでも人命を尊重するのであれば切にお願い致します。なに、大丈夫。閣下の地位向上に伴い領民の多くが長く幸福に暮らせることでしょう」
侵入者はにたり、とほくそ笑んだ。
序章の第一話から誤字修正中であります。
一日五話手直ししてもここまで戻って来るのに一か月以上かかってしまう・・・
後編の更新はのんびりペースで誤字に気を付けながら進みますm(__)m




