第25話 廃都ヴェーナ
ソフィアは天馬を連れて一度ヴェーナ近くの実家へ戻った。
レナート達は徒歩でヴェーナへと入ったが、道中で多くの骨塚を見た。
まばらに獣人もいるが襲ってくることは無い。
帝都へは西部のラグボーン市から入り、レイデン植物園が火災から免れているのを確認した。
ビコール河の橋は一度落されていたが、瓦礫を使って簡単な橋が再建されていた。
そこを通過するとヴェーナ市に入る。
ほとんど廃墟ではあるが獣人が生活し、人間が営業していた商店も彼らに運営されていた。
かつては世界中から船舶が集まっていたチェセナ港の波止場は砲撃による沈没船で使用不可能な状態にある。
さらにヴェーナの外港であるチェセナ港及び近隣の軍港、貿易港は津波の影響を受けにくい地形ではあったが、度重なる地震によって復旧はほど遠い状態だった。
大通りには魔獣が寝そべって日光浴をしており、それを避けながら大精霊がいるかつての皇帝の宮殿へと辿り着く。
天柱五黄宮の門前まで辿り着くと一匹の蝙蝠が飛んできた。
その蝙蝠はくるんと回って人間に変化する。
「よく戻ってきたの、ラターニャ。飛行船はどうした?」
声をかけてきたのは黒髪のおかっぱ頭の女の子だった。
「墜落してしまったわ。ヘルミア様はいらっしゃるかしら?」
「うむ。案内しよう。後ろの連中は?初めて見る顔がいるが」
「帝国人だけれども貴方達の敵じゃないわ。今のところは」
「ふむ、可愛い子に免じて通行を許可しよう」
蝙蝠の獣人はちらっとレナートを見て頷いた。
「相変わらずね、マヤ」
大門が開き、一行は熊の獣人や蜥蜴の獣人の戦士達の前を通って宮殿に入った。
かつては諸王や帝国軍の閲兵に使われていたサガの間という広場を通過して百柱の間へと入る。
皇帝に謁見する為の広大な空間のそこに大精霊ヘルミアがいた。
ヘルミアは何本も角を生やし、黒絹を身に纏い、濃厚な魔力を発散している。
その力があまりにも強く、本来魔力が見えないサリバン達の目にも空間が歪んで何かが滲みだしているように見えた。巨人化したレナートよりもさらに大きく、翼を広げるとこの場の全員を囲い込めるほどに全長は長い。
「お久しぶりです、ヘルミア様。残念ながら亡者を止める事は出来ませんでした」
「そのようじゃの。それで後ろの者達は?」
「目的は果たせませんでしたが、彼らから貴重な情報を頂けました。願わくば彼らの保護を」
「まずは情報とやらを聞こう」
ラターニャはこれまでに得た情報を詳細に伝えた。レナートはもう事情を説明するのにうんざりしていたのでラターニャが理路整然とまとめてくれたことに感謝する。
「ふむ、では研究はマヤに任せる。植物園の物はソラ皇子に」
「保護の件は」
「マヤの研究がモノになったら報酬を支払おう」
大精霊は言質を取られるような事は言わなかった。
「それはちょっとずるくねーか?」
サリバンが文句を言った。
「うん?」
ヘルミアの視線だけでサリバンは石化したように硬直する。
レナートは対抗してサリバンに注ぐ加護の力を増やした。
「妾に何か不満でも?」
「あ、アンタたちは俺達の情報が無けりゃ困ってた筈だ。成果が出てからじゃ困るんだよ、俺達の故郷は」
「妾は亡者が蔓延しようと一向に困らん。帝国人が自分達が開発した亡者で自滅するだけのこと」
ヘルミアの答えは冷ややかだった。
「獣人だって襲われる筈だ。それが困らねえってのか」
「その通りじゃハハのハハよ」
サリバンの訴えにマヤも同調して抗議してくれた。
「かつてツェレス侯の館を襲った亡者の中には獣人もいた。同胞も亡者化するのは間違いない」
マヤが口添えしたがそれでも態度は変わらない。
「知っておる。かつてシャフナザロフが我が民を実験台にしていたこともな」
「ならば何故」
「亡者が手の施しようが無くなれば妾はナルガの向こうに帰るだけのこと」
「皆はどうなる」
「皆は自由な土地を求め、妾はそれを与えた。今後の事はただの生存競争。妾が手を出す問題ではない」
「亡者と生存競争など笑えん冗談じゃぞ」
「ホホホ、確かに」
といいつつヘルミアは痛快そうに笑っている。
「適者生存は世の理ですが、一億もの人命が失われているのですよ。どういう神経をしているんですか」
「やめとけギデオン、こんなバケモン共の情けに縋ろうとしていた俺達が間違っていた」
サリバンは生命を弄ぶ魔人との会話を打ち切ろうと考えていた。
「バケモノとは酷いのう、マヤ」
「うむ、それはちょっと言い過ぎではないかと思うぞ」
ラターニャは口を控えて欲しいとサリバンに目くばせしたがもう遅い。
「道中とんでもない数の人骨を見たぜ、何万か、何十万か、かぞえきれねー数の。俺達は食う分しか殺さない、だがあんたらはとても食いきれない数の人間を殺した」
サリバンの厳しい非難を受けてもヘルミアは「ククク」と笑っている。
「なにがおかしい!」
「いやな、あれをやったのは帝国人自身じゃ。妾達は弔ってやっただけ。お前達、帝国人こそが真のバケモノじゃと証明したな」
「はあ?でまかせ言いやがって」
「そうです。私達も獣人に襲われました」
ギデオンは帝都から命からがら逃げてきた生存者である。サリバンに同調して非難に加わる。
「ホホホ、無論、我が子らの被害もあるじゃろう。しかし妾達には帝都五百万の人間を殺し尽くせるほどの数はない」
「なんだと?」
サリバン達の頭を冷やそうと事情をよく知る人間側としてラターニャが口を挟む。
「ヘルミア様のおっしゃる通りなのです、サリバン様。早期に帝都を脱出できたギデオン様と違って取り残された人々は帝国軍が橋を爆破し、街道を封鎖した為に残された物資を巡って争いました。もともと輸入に依存していた帝都はいくら奪い合ったところで何ヶ月も持ちません」
当時帝都を攻めていたのはドルガスでヘルミアは旧帝国時代の都がある西海岸を攻めていた。
虎の獣人であるドルガス率いる獣人達はヘルミアよりも情け容赦なく民間人も殺していたが、五百万人を殺せるほどの数はいなかった。
餓死、病死、少ない物資を巡る同士討ちで死体が積みあがってしまった。
「だが、なんとかすべきじゃなかったのか?」
悔し紛れにサリバンはそういったが、それは獣人側だけでなく人間達からの同意も得られなかった。
「ラムダオール平原の戦いの後でも帝都には百万の人間を武装出来る武具、兵器が残っていた。軍隊が逃げたとはいえ何故おぬしらは戦わなかったのじゃ?」
「そ、そんなこと俺が知るか!」
「妾も知らん。何故帝国人が生きる事を諦めたのか」
「・・・戦う事をしなかった帝都の連中は弱かったかもしれないがバケモン呼ばわりされるような人らじゃねえ」
帝都の市民は皇帝と軍隊による統治に依存しており、自衛するという意識があまりにも無く、サリバンの抗弁も説得力がない。
「ああ、その話ではない粗忽ものめ」
「なんだと?」
「さきほど帝国人の半分近くが死んだ、と言ったな?」
「ああ、そうだ。それがどうかしたか?」
「その通り、『それがどうかしたのか?』が妾の返答じゃ」
「てめえらには少しは命への情けというものがねえのかよ」
狩人のサリバンには狩猟について厳しい決まりがある。
遊牧民だけでなく、フォーン地方の狩猟協会全体の決まりで違反すれば罰金程度では済まない。
「そっくりそのまま返そう。700年ほど前にセオフィロスという皇帝が妾達の住まいに攻め込んで来たのは知っておるか?」
「知らねえ」
サリバンが生まれるより遥かに昔のことで遊牧民にも関係のない歴史だった。
知識人のラターニャがその件に詳しいので解説する。
「フォーンコルヌ家のセオフィロス帝は新帝国歴838年にナルガ河を越えて親征を行いました。その時のことでございましょう」
「その通りだ、ラターニャ殿。争いを嫌った当時の大精霊達は極北の氷山洞窟に隠れて嵐が過ぎるのを待った。奴が引き上げたと聞いて戻ってみれば大地は血の海に染まっていた。子供らの9割が殺されておったのじゃ」
獣人種族の多くがその時に絶滅した。
セオフィロス帝は果ての無い征服を諦めて帰路についたが、彼の親征はほぼ成功していたのだ。
「わかるか?お主ら帝国人こそが真のバケモノじゃ。内紛で半数が死んだ?自業自得ではないか。貴様らは同盟国の兵士にも赤子殺しを強要し、拒否すれば人類への敵対行為として処刑した。結局我らだけでなく世界中の国から恨まれ、攻められた。貴様らの国は滅ぶべくして滅んだ、違うか?」
「俺達は・・・俺達が殺したわけじゃない」
あまりにも大量の人骨を見てつい抗議してしまったが、サリバンはもともと遊牧民でフォーンコルヌ皇国にすら所属していた意識はない。だが、国民意識が無い彼でもこれほどの犠牲者が出て、敵の首領に文句をいう機会があるのに誰も文句をいわずに済ませる事は出来なかった。
「妾もこの手でいちいち帝国人を殺して回ったわけではない。お主らは勝手に自滅した」
結局、感情的で不毛な抗議だった。
◇◆◇
「さて、気は済んだら建設的な話し合いをしたいんじゃがの」
マヤが沈黙を破って会話を戻す事を提案した。
「そうね。この子のおかげで転移陣の事も分かったのだし、マヤなら中央制御装置も直せるかしら?」
「やってみよう」
「寒冷化対策もしなければならないけど、獣人達は寒さに強そうね」
「種族によるが何千年も極北地域で生活しておったから多少は耐えられるじゃろう。生き残っている帝国人には厳しい事になるな」
マヤがちらっとソラに目を向け、どうするのか問うた。
「いっておくが東方諸国が帝国人をこれ以上受け入れることは無い。カイラス族とかいう数百人くらいならともかくな」
予想される気温低下の影響は全ての大陸に及ぶ。
東方諸国でも農作物に被害が出る事が予想される以上、帝国人の亡命は受け入れられない。
「マヤの国は?」
「無理じゃな。亡者の侵入を阻むために長大な壁を建設するつもりじゃ」
帝国が滅び、白の街道から交易商人がやって来なくなるので、壁を建設しても問題はなくなった。
「マヤさんの国って?」
蝙蝠から人間に変化したりする獣人にレナートは興味深々だった。
「彼女は西方圏に編入されていたマッサリアの王女よ」
ラターニャが教えてやった。
「マッサリアの王女様がなんで獣人さん達と一緒なの?」
「儂はいわゆる半獣人と言う奴じゃ。獣人の血を引いているのがバレると帝国に殺されるのでな」
「半獣か~、いいなー」
レナートのあっさりした感想にマヤはカチンとくる。
「は?こんな半端ものの何がいいのじゃ?」
「だって大精霊様とも親しいし、ラターニャさんとも親しく出来るじゃない?ボクも獣人さんと親しくしたいけど、皆に裏切者って怒られそうなんだもの」
「能天気な奴じゃのう」
マヤにとっては軽々しく触れて欲しくはない経歴なのだが、変わった子のようなのでひとまずおいて興味を持った。興味津々な様子のマヤにラターニャが釘を刺す。
「この子は氷神グラキエースの化身です。くれぐれも血を吸わないように」
「儂は問答無用で襲ったりせん」
「へ?血を吸うの?」
向こうもこちらに好感を持ってくれていそうだと喜んでいたレナートはその理由を知って吃驚した。
「儂は吸血蝙蝠の獣人じゃからな。ハハのハハであるヘルミアも近縁種じゃ」
「そうなんだ。じゃあ血をあげてもいいからうちの部族守ってくれない?」
「む、儂がか?」
「うちの近くに攻めてる人達、半獣人が多いみたいなんだ。話をつけて欲しいの。人間のバントシェンナ王に指示して人間同士戦わせてるらしいんだけど知ってる?」
「あー知っとる知っとる。ドルガスの部下が進展がないと怒っとるわ」
「ドルガス君かー、怖いんでしょ?」
「知っとるのか?」
「お婆ちゃんと戦ってカチンコチンにされてポイされたんだって」
「ほー、アヴローラの孫か」
レナートとマヤは馬が合うようで和気あいあいと話し込み始めた。
話を聞いたヘルミアが軽い忠告をする。
「ドルガスの前では素性は黙っておいた方がいいぞ。根に持っておるからな」
「挑戦なら受けるよ!」
「レンちゃん、駄目よ」
調子に乗り始めたレナートをラターニャが窘め、サリバンも同調する。
「そうだ。レナート。簡単に力を振るってはいけない。皆とそう約束したろ」
「はい!」
レナートは勢いよく返事した。
うむ、と頷きながらサリバンはこうもいう。
「だが、挑戦されたら構わないぞ。『帝国人』に問題があるのは分かったが、俺達遊牧民には知った事じゃない。馬鹿にされ、絶滅させられるくらいなら世界中巻き込んだって構うものか」
「はい!目にモノをみせてやります!!」
ずっと物憂げにしていたヘルミアも面白そうにその姿を見ていた。
一時の緊張はほぐれたとみてラターニャが彼女に問う。
「ドルガス様には会わない方が良さそうですね。彼や他の大精霊はどちらへ?」
「連中は石造りの建物は好かんのでな、そこらにおるじゃろう」
獣の民は各地へ散っていったのでもうあまり関心がない様子だ。
「物理感染型の亡者に大精霊が接触するのは危険です。警告を」
「うむ、ヒトと違って己の体で戦う我らがその亡者と接触するのは危険じゃろうな」
ヘルミアが近くの柱に止まっていた蝙蝠に目をやると何匹も飛んでいく。
「ヴェーナ、ラグボーン、ヴェインツィー、モアネッド、アージェンタ市内ではラターニャ殿が連れてきた者達にも自由な行動を許す。一部の捕食型魔獣、神獣には妾の許可は通じない事を留意しておけ」
「感謝します。ヘルミア様」
「うむ、では今後の事はマヤと話せ」
そういって大精霊は宮殿の奥へと去って行った。
妾
本来の使い方ではありませんが、雰囲気的に。
あまり突飛なキャラ付け、話し方はしない作風ですがキャラクターが多いと誰が何話しているのかわかりづらいので正しい用法ではなくともしょうがないとわりきっています。
本作の一人称の使い分けはおおよそですが以下の通り
わたし・・・能天気キャラ(イルンスール、ノエム、大コンスタンツィア、エリン)
わたくし・・・貴族の中の貴族(コンスタンツィア、エンマ、カレリア)
ボク・・・子供っぽさが残るレナートくらいかな?
私、俺・・・普通の人
僕・・・普通の少年、一部の真面目な従者
妾・・・『わたくし』を使う貴族とはまた別の上位の女性、アイラクーンディア、ヘルミア
僕とかもとは下僕の僕ですし、まあ本来の用法とかは気にせずイメージ重視で今後も使っていきます。




