第2話 新しい故郷
オルスが戻った時、父は驚くほど老いていた。
岩の塊のようだった拳も小さく皺だらけになり、背も曲がって縮んだように見えた。あれほど恐ろしかった父が今では弱々しく見えた。
領主の圧力が強まるとともに、散らばっていた遊牧民達も終結し始めて各氏族が団結した戦いを始めた。きっかけは税の代わりだとばかりに遊牧民達にとって命綱も同然である家畜たちを連れ去られた事だった。取り戻す為のいさかいで人死にが出て、それを名目として領主は大規模な軍を編成し人狩りを始めた。
正規軍の戦いを理解していたオルスはゲリラ戦を徹底し、若者を率いて敵から逃げ回っては食糧庫や弾薬庫への攻撃を繰り返した。一方父達は、正面から決戦を挑んでしまい多くの戦士を失った。
オルスは戦闘で行方不明になった父に代わって戦士団を引継ぎ、闘争を再開した。
拠点を持たず不毛の荒野に逃げる彼らを領主の軍は追跡出来ず、押せば引き、引けば舞い戻って指揮官を暗殺され、食糧庫に火を放たれ、領主も手を焼き方針を変更した。
武力による制圧ではなく引き抜き工作である。
遊牧民達には多くの氏族が結集していたが、力の弱い氏族から切り崩し工作をかけられて少しずつ分裂していった。
追い詰められ毒を撒いて対抗しようという一部の声にオルスは断固として反対し粛清も行った。かつて各国から集まる義勇軍に参加していたオルスは国際条約についてもその時学んでいた。戦争に毒を利用することは特に禁止されている。貴族の全てが敵ではなく交渉可能な者もいるのに毒を使用すれば誰も相手にしてくれなくなる。
そして故郷の独立と自由を守る正当な戦いが違うものになってしまう。
罪のない人を巻き込む卑劣な手段を用いれば、敵もエスカレートし、報復に参戦してくる者も増え、敵は強くなりどんどん容赦が無くなる。
今のところ領主にも外聞があるし、そもそも定住化させて領民とし税収を得る事を目的としているので虐殺などはしていない。
こちらが一線を越えれば向こうも越える。
目的などお構いなしに報復に出るだろう。
オルスの断固たる態度によって遊牧民達は水源に毒を撒くことを断念したが、その情報は毒を撒く計画部分だけ領主に漏れた。領主側は逆にやられる前にやろうと遊牧民が補給に使っていそうな井戸に毒を撒こうと準備した。
ここでさらに上位の貴族から制止がかかり、王の仲裁もあって遊牧民達も弓を下した。
「皇王陛下がこんな辺境のいさかいに興味を持つものかな?」
オルスは妙に思って妻に相談した。
「選挙の気配を察したのでしょう」
ヴァイスラは涼しい顔でお茶を飲んでいた。
「選挙?お前・・・前に手紙を故郷に送っていたがまさか・・・」
「お母様がスヴェンの大族長に知らせて下さったのかもしれないけど、そこまではお願いしていないわ」
「選挙での醜聞を嫌ったのかな」
「釘を刺されたのかもね」
ヴァイスラの血族には選帝侯がいる。
皇王は独自に情報を入手したのかもしれないし、北方大陸を支える選帝侯に自国の統治について尋ねられたのかもしれない。事実はどうであろうと次期皇帝の地位を狙う皇王が出てきて争いを止めよと命じて来た以上、戦いは終わりだ。
皇王の仲裁を無下にすれば領主側も遊牧民側も生き残る術は無い。
交渉はこれからだがどのような結論が出ようと従うしかなかった。
外の世界を知る者としてオルスは長老達に混じって交渉の代表団に加わった。
長老達は定住は受け入れても古代の盟約を盾に土地を捨てることは受け入れなかった。
大半が荒野のこの地域では農業を始めるのは難しく、木材も不足していた。
最終的に土壌を改良し、この地域でも育つ作物を輸入して育てる事で定住を受け入れ、村の建設が始まった。幸い石材は十分にあり、混凝土として使える材料も豊富だった。
遊牧民達はこれまで失った財産の補償、村の運営の安定まで納税は無し、そして近くの塩田から生活に必要なだけの塩の採取を権利として得た。
遊牧民達はそれぞれ数百名程度の集団に分かれて村の建設を始め、農業の指導者を得てそれぞれ発展を目指した。
それから五年の月日が過ぎた。
◇◆◇
「ほらほら、みてみて~」
村近くの丘でオルスの子レナートが子供らの前で乗馬が出来るようになったお披露目をしていた。乗馬といっても塩鉱山に行かない時だけ自由に使わせてもらっている小型のラバである。
オルスの家の近所の子供のロスパー・ヴェスパー姉妹は丘に座りながら「おー」と感心の声をあげてぱちぱちと拍手した。
「あ、こんにちわ」
いえーいと馬の背中に立って女の子達に得意気に振舞っていたレナートが突然あらぬ方角に向けて挨拶をした。
「あ、こら!前を見ろ」
危ないからと一緒に走っていた年上の子が注意を喚起したが遅かった。
ラバが石を避けた際に、レナートは馬から転落してしまう。
しかし地面にぶつかる前にくるっと一回転して着地した。
女の子達はまた感心して拍手していたが、正面に回った男の子達はレナートの顔が今にも泣きだしそうな状態だったのでぷっと吹き出した。
「調子に乗るからだぞ」
「誰に挨拶したんだよ」
レナートが挨拶した方角には誰もいなかった。
「小川の精霊さんが挨拶してきたから」
「はあ?」
「まーたレンがおかしな事言ってるよ」
「悪霊に憑りつかれてるんじゃない?兄妹の」
「スリク、お前!」
悪霊どうのこうのと言い出した子に対して力自慢の子が怒って殴りつけて喧嘩になった。
傷ついたレナートはさらに涙目になっていて女の子達が慰めた。
オルスは独立闘争の最中からこれまでに三人の子供を失くした。
まともに育ったのはレナートだけであり、他の子は死産、流産、病死を繰り返してしまった。母のヴァイスラは次々と子を失って気が触れてしまい、皆がオルスの一家を気遣ってそのことには触れない事にしている。
村の最長老の家は祈祷師の家系であり長老のひ孫であるロスパーはむにゃむにゃとお祓いの言葉を唱え、妹のヴェスパーは神にご加護を祈った。
※小川の精霊からの挨拶
かの有名なピタゴラスはあまりにもイケメンすぎて川が挨拶してきたという