第14話 神々の議事堂
レナートは精霊やスィール達と共に異界を渡り、しばらくして吸い寄せられるようにその世界に辿り着いた。
その世界は劇場のようだった。
レナートが一般的な議会、議事堂を見た事が無かったのでエンマやグランディに連れて行って貰った劇場を思い浮かべた。舞台のような場所に演説台があるのを除けば半円状の座席が並んでいるので実際劇場に近かった。
レナートだけが残されて精霊達は去ってしまい、周囲の状況を確認すると女官らしい姿の人々がいた。
「ひっ」
視線をやっただけで驚いて逃げられてしまう。
「しっ、失礼な人達だなあ」
彼女らは今のレナート、巨人化したグラキエースの半分くらいの大きさしか無かったので畏れるのは無理も無かったが、別に敵意をみせたわけではない。
「まあ、そういうな。遅刻だぞ、グラキエース殿」
「あ、すみません」
片眼鏡をかけたローブ姿の老人に怒られてとりあえず謝った。
「あ、ウィッデンプーセ様ですか?」
長老に怒られて多少は神話を学び直したし、スヴェトラーナ達にも聞いていたので容姿と場所とその姿からして時の神らしいと思い当たる。
「うむ。まあ、集計中だからよしとしよう。君は死ぬと分かっていて戦った場合、それは自殺と思うかね?」
「何の話ですか?」
「いいから答えたまえ」
「死ぬかどうかなんて戦ってみないとわからないんじゃないですか?」
「意見はいいから結論を言いたまえ」
レナートとしてはもう少し状況を説明して条件を整えて欲しかったが、ウィッデンプーセは説明する気はないようだった。
「じゃあ、違う。無謀でもそうする必要があるなら戦うし、自殺するなら他人の手は借りない。それは拡大解釈だと思う」
「意見は必要ない。では、否定に一票だな」
ウィッデンプーセはびくびくしている女官を呼び寄せて書類を渡した。
「じゃ、今度はボクからもいいですか?」
「ふむ、よかろう。茶はいるかね?」
「頂きます」
レナートも適当な席に座り、女官からお茶を受け取ったが即座に冷えてしまった。
「不味い」
「もっ、申し訳ありません!代わりをお持ちします!!」
女官は深く一礼したあとばたばたと走って去る。
「可哀そうな女官を虐めるものではないぞ、グラキエース殿」
「だって温すぎるんだもの」
「君が力を抑えないからだ」
「まあ、お茶なんかどうでもいいです。それより聞きたい事があるんです」
「聞こう」
「ボク、故郷に帰りたくて転移の仕方を教えて欲しいんです。確かその気になれば神は好きに転移出来るんですよね?」
遠巻きに眺めていた女官たちは珍しいモノを見るような目でレナートをみやる。
「なに?ボクが知らなきゃおかしい?」
じろじろ見られるのが不愉快だったので女官たちを睨むと彼女達は表情はそのままに硬直してしまった。
「弱きものを虐めるのは感心しないぞ。さあ、皆はもう去って良い」
ウィッデンプーセが彼女らの硬直を解いて下がらせた。
「さて、転移についてだが。神でも好きな所に転移は出来ないぞ。誰が君にそんな間違って知識を教えたのだ」
「地上の人達が貴方からそう教わったと言ってましたよ」
レナートはウィーグリフ達から聞いた事を伝えた。
「それはヒトの勘違いだな。あの子が特殊なだけだ」
「あの・・・済みませんが、ボクあんまり知識がないんです。わかるように教えて貰ってもいいですか?」
「あの子は世界樹の化身であるから自分の世界の一部に好きなように移動できるだけの話だ。君は地上のヒトに教えた転移陣の利用方法について聞きたいのだな」
「はい、そうです。転移陣って何なんですか?ボクにも利用出来るものなんですか?」
「無論可能だ。転移陣というのは世界樹の根の化石を利用したものだ。現象界の隅々まで根を張っていたからこそ各地へと移動できる」
「じゃあ、ボクにも使えるように教えてください」
「それは構わないが、君は地上に戻るのか?このまま天界に迎える事も出来るのだぞ」
「家族がいる所に早く帰りたいんです」
天界にも興味はあるが、まずは家に帰って皆の安否を確認してからだ。
「君の人間としての姿は帝国人だろう。辛い状況の筈だが」
「結構人間社会に詳しいんですね」
「見届けるのが仕事だったからな。君が天界に来るつもりがないのなら、私が直接地上に送ろう。君の故郷の近くには転移陣が無いから大分南になるが」
「それはそれで丁度いいです。サリバン達に合流できるかもしれないし」
今さら焦っても仕方ない時間が過ぎているが、早く皆に会いたい。
「グラキエース殿は本当に天界に未練がないのだな」
「未練も何もまったく知らない世界ですし。何かいいことでもあるんですか」
「君のとっていいことかどうかわからないが、皆は歓迎するだろう。若い女神の到来は」
「なんでです?」
「死にゆく神ばかりで、もう随分長く新しい神が誕生していない。君なら新しい神を育むことが出来るかもしれない」
神々の世界では少子化が問題になっているようだ。
「ボクは知らない神の子供を産んだりしたくないなあ。そもそもどうやって産むんですか、神様って」
「お互いのマナスを同調させることだ。ヒトのようにまぐわっても同調が早まるのでそれでも構わないが」
「うーん、天界の神口?減を解消する為にそういうことするのはイヤかな」
「だろうな。森の女神も嫌がっているが、天界は切羽詰まった状況なのでこうして投票が行われている」
さっきの質問とは別件で神々の懸案事項を話し合っているようだ。
「その投票が通れば多数決で無理やり子供産ませちゃうんですか?」
「神々が死滅すれば地上にも影響が及ぶ。仕方のない事だという意見が多いな」
レナートは天界に好感を持てなくなってきた。
「他に質問が無ければもう送ろうか?」
早く地上に戻りたいが、一分一秒を争うほどではない。
折角なので質問してみる事にした。
「精霊って何なんでしょう」
ふわふわと漂っている非定型の存在で、レナートには幼児の頃からなんとなく把握してきたのだがそれを周囲にちゃんと説明出来ないので皆に変な目で見られて孤立していた時期がある。
「わかりやすくいえば精霊とは亜神だな。ヒトが信仰するようになって不可知の存在が徐々に概念として確立していく」
「神様の赤子みたいなものですか?」
「直接的な関係はない、『自然の赤子』といったところかな」
漠然としていたイメージが少し固まった。
他人に説明するのは難しいが知識を司る神がこういうのだから、他人に聞かれたらこう答えればいいのだと思えば気楽になる。
「他には?」
「えーと、ボクってそんなに怖いのかなって。ちょっと傷つくんですけど」
周囲に敵意を撒き散らしている覚えはないのでここ最近の他人の目が気になる。
「彼女らは火神の女官だ。それに君はそこらの神より遥かに大きな力を持っている。神々に見初められて天女となった元人間とは存在の大きさがまるで違う」
「うっそだあ」
自分はペレスヴェータのおまけくらいにしか思っていないし、魔獣や人間の騎士にも圧勝したわけではないのでそこらの神より強いといわれても信じられない。
「事実だ。大半の神は戦うのに適した神格を持っていない。故にヒトに加護と武器を与え、神兵として護衛させた。ただのヒトは戦闘技術は優れているが、上位存在である神の干渉には弱い。しかし加護があれば抵抗出来る」
「人間も意外と捨てたもんじゃないんですね。でも、ボクは幼馴染と戦っても勝てないくらいの力しかないんですけど」
「君は戦いに長けた北の民から信仰を得た、これまでとは違う。それに他の地域の民の大半はとうの昔に純粋な信仰を忘れて打算から祀り上げているだけでろくに奉納もしていない。そして最も人口の多い帝国人のほとんどは死んでしまった」
神の降臨とその恩恵を得た北方民はグラキエースに対して強力な信仰を始めた。
期せずしてレナートの力は増した。
「なるほど・・・って帝国の人そんなに死んじゃったんです?」
「うむ。ここ五年で一億くらいは死んだかな」
億という単位はなかなか実感できない。
しかし五年でそんなに犠牲が出るものなのかと疑問を持った。
「獣人さん達そんなに殺しちゃったんです?」
東方の民は目的を果たした後、さっさと引き上げたらしいので帝国人の戦死者はせいぜい数万人だろう。残りは獣人による被害の筈だ。
「獣の民の犠牲者もそれなりに出ているが、大半は流通が麻痺したことによる病死、餓死、そして内紛での同士討ち、あとは亡者による被害だな」
東方諸国が攻め込んでくる前に内戦が発生していたのでその被害も大きかったとウィッデンプーセは告げる。西方諸国が艦隊で海上封鎖を行ったので輸入も停止した。
なまじ世界最大の人口を誇っていたので流通が途絶えてしまうとどうしようもない。
「うちの国でも亡者が大量に出ているらしいですけど、せいぜい1/4の地域です。動きも遅いし知性もないって聞きますけど」
「感染性のある亡者が開発されてな。君の故郷のように隔離しやすい国ばかりではない」
「さすがに詳しいんですね。せっかくなので聞きたいんですけど亡者って何なんですか?」
「一度死に蘇ったものだ」
「もうちょっと具体的な話が聞きたいです。対処方法とかありますか?」
思いがけず知識を司る神に会えたのでせっかくだから情報を持ち帰る事にした。
亡者は人間にとっても獣人にとっても脅威な筈なので情報を提供すればみんな戦いを止めて協力するようになるかもしれない。
「儂が知っているのはアンチョクス王の件くらいだ。今、地上を席捲している亡者はヒトが開発したものであるからしてヒトの方が詳しい」
「アンチョクス王って何ですか?」
「神代の頃にいたヒトの王だ。思いあがって己の力は太陽神モレスを越え星界に達すると豪語した為に呪いの蟲を与えられて死ねない体となった。そして永遠に苦しみ続ける運命を与えられた」
これが最初の亡者である。
「じゃあ、その人まだ生きてるんですか?」
「『生きている』といっていいのかどうかわからんが、今は地獄に封じられている。管理はアイラクーンディアが行っている筈だ」
「じゃあ、亡者は地獄に送り返すくらいしか対処方法が無いんですか?どうすればいいんでしょう」
「ヒトが開発した亡者については対処方法があるだろう。開発者に聞けばわかるのではないか?」
「どこのどちらさまですか?」
一億人も死んでいる上、感染性もあるというともう制御も出来ず開発者は死んでるのでは?と疑う。
「儂は知らん。大半は死んでいる」
「やっぱり・・・。それにしても知識の神様でも知らない事があるんですね」
「叡智の書があれば何でも知る事は出来たが、とある女神に騙し取られてしまった」
「取り返そうとか思わないんです?」
「まったく」
何でも知る事が出来る書物があるのなら、神々が抱えている問題も地上の問題の解決法も見つかるだろうに。
「あんなものがあったら探求心もなくなる。生きている意味がない」
「そんなものですか・・・でも困ったなあ。どうすればいいんだろう」
「ヒトの手によって開発されたものならばいずれ解決策も見つかるだろう。他に何か質問は?」
「んー、あっ、そうだ。ペレスヴェータが何処に行っちゃったか知りません?」
「彼女ならもう死んでいる」
地上を長年見守ってきた神は断言した。
◇◆◇
知識を司る神はペレスヴェータの死を断言した。
「彼女ならもう死んでいる」
「そういう事じゃなくて、最近までボクの傍にいたんです」
「彼女は完全に死んだ。もう忘れなさい」
「いやいやいや、そういう話じゃなくて。死んだって言われていたけど亡者的な感じじゃなくて霊的に生きてたんですって」
「『完全に死んだ』と言っただろう」
ウィッデンプーセは断言するがレナートには受け入れられなかった。
「むー、どういうことなんですか?」
「君が知ればいいのは死んだという事実だけだ」
「だからそうじゃなくて!わかるように説明してよ!!」
レナートから冷気が発散されウィッデンプーセは眉をしかめた。
「君がどう怒ろうとも私は真実を告げる事しかできない。あとは君の内面の問題だ」
ウィッデンプーセの態度は変わらない。レナートは不安に駆られた。
「まさか霊的にも本当に死んじゃったんですか?なんで?もうお話してくれないの?」
「気休めをいうのなら君の中で生きている。君と同化したから君はグラキエースとして完全に復活したのだろう、と私は解釈する。後は君の問題だ」
これまでにもレナートが困っている時でもペレスヴェータはふらふら精霊と飛んで行って戻ってこない事はあった。今度もきっとそうだろうと思っていた。しかし、それは否定された。
「そんなの嘘だよ。ボクはこんな力いらないのに。お母さん代わりだったペレスヴェータが傍にいてくれればいいのに。急に、お別れの言葉もなくいなくなるなんて、そんなの・・・そんなの嘘だ」
ウィッデンプーセは痛ましい思いを抱えながら現実を告げる。
「大半の者にとって別れは突然だ。しかし、君はまだ孤独ではない。待っている家族がいるのだろう」
ウィッデンプーセは五千年間天界と地上の狭間で孤独に耐えてきた。
それが主神と大神達のの命令だった。
大半の時間は眠って過ごしていたとはいえ、孤独感と見捨てられた思いに駆られてこのまま消滅してしまいたいと思った事もある。
「本当に、ヴェータが生きている希望は無いんですか?」
「無い。辛いだろうし、納得は出来ないだろうがそれはいずれ時間が解決する」
レナートはペレスヴェータが完全に死んだといわれても現実感が無く、納得も出来ていないので哀しみはそれほど多くない。まだ理解出来ていないのだ。
ただ、寂寥感が強くなる。
また独りぼっちになってしまったという孤独感は慰められても拭えなかった。
しばらく沈黙が続き、一人の女神が近づいてきてレナートを撫でた。
彼女も巨神だった。かなりふくよかで胸の谷間が複数ある。
「貴女は?」
「ノリッティンジェンシェーレ」
大地母神、帝国の守護神の名だ。
彼女はレナートを抱き寄せてやさしく体を撫でてくれた。
「ボクに近づいても大丈夫なんですか?」
「これでも大神と呼ばれる者ですからね。愛しい子、強く生きなければいけない時代だけど、貴女が哀しんでいる時はいつでもこうやって抱きましょう」
彼女も先ほどまでの話を聞いていた。
「母の愛を求め続けた哀れな魂よ」
グラキエースは氷の大神といえど、水気に属する。
土気のノリッティンジェンシェーレの前ではその力は半減し、慰められて徐々に小さくなっていった。
唐突な事で、ペレスヴェータの死を受け入れられなかったレナートも優しく撫でてくれる大地母神の思いが伝わり、段々事実だと受け入れられるようになってきた。
「じゃあ、もう本当に会えないの?」
「ええ、貴女が望む形では」
あまりにも唐突で理不尽な別れだった。
到底納得は出来ない。しかし複数の神々から断言されては信じざるを得ない。
実の母ヴァイスラに見捨てられ、近所の子供達には変な子だと思われて孤立し、悲惨な子供時代にずっと母のように、姉のように、時には友達として遊んで見守ってくれたペレスヴェータはもういない。
いくら話しかけても答えは返って来ない。
もう何週間もずっと。
そしてこれからも永遠に。
それを理解してレナートは幼子のように泣き、大地母神に抱かれていつのまにかまた小さな男の子に戻った。




