第11話 転移魔術
レナートはヘリヤヴィーズに向かう途中で女神化を解いて少女の状態に戻った。
いつものことだが、一度女神になると強制的に女の子の状態になる。
借りたマントは自動的に小さくなったが、繕ってもらった服はぶかぶかになってしまう。
突然少女になったので周囲の人は面食らってしまった。
「どうかなさいましたか?」
スヴェトラーナが問う。
巨体を見つめられるのもズシンズシンと足音を響かせるのもなんとなく恥ずかしかったのだが、なかなかそうはいえなかった。
「用は済んだから」
神秘性がなくなると後々面倒になるかと思って短く答えた。
それから手招きして小声で囁く。
「この状態の時は前みたいに普通に話して欲しいのだけれど」
「私もそうしたいところですが、皆に不遜と思われるでしょう。人前では慎みます。それにまた女神の状態になった時、増長したな、と処分されたくはないので」
「あれもボクですよ。そんなことしませんよ」
「しかし、かなり女神の意識に飲み込まれていたのか別人に見えました」
エンマの真似をしたせいで大分ビビらせてしまったようだ。
「ところでパヴェータ族をこちらに呼び寄せましょうか?」
「・・・んー、いやいいです。お母さん達も折り合いが悪かったみたいだから」
会ってもレナートからは特に話題はない。
ヴァイスラやヴォーリャを見捨てる決定を下した部族だ。
その後、言葉少なにヘリヤヴィーズにあるスヴェトラーナの館に入った。
スヴェンの戦士団は帝国軍の監視の為に大部分はそのまま残っている。
◇◆◇
「さて、じゃ、ぶっちゃけた話を始めましょうか」
ゴーラの方からも転移に詳しい魔術師を寄こして欲しいと要請を出したものの、めぼしい者がおらず責任者としてウィーグリフがやってきている。
「君が本当に女神の化身という事でいいのだろうか?」
「そうでーす」
ウィーグリフに対しては不快感と哀れみの両方があいまざった感情がある。
何度も同じ説明をするのにうんざりしていたので、スヴェトラーナ達にここに至るまでの経緯をウィーグリフに対しては説明させてある。
「戦争に介入しちゃってごめんね?」
「は、それは問題ありません」
やっぱり固いなあ、とレナートは残念に思う。一度女神の状態を見せてしまうとまともな人間関係は構築できそうもない。
「スヴェトラーナさんもボクを理由に帝国の自由都市に攻め込んだりするのはやめてね?」
迷子になってたまたまやってきた土地で自分を戦争のダシにされてはたまったものではない。ここからいなくなる予定なので後の混乱の責任も取れない。
「しかし、奴らは女神を前にしても不遜な態度を続けました。あの場に居合わせた族長達も見ています。私が命じずともいずれ余所者の帝国人を滅ぼしにかかると思います」
何もせずに見ていれば無秩序な殺戮が起きる。
それよりはスヴェトラーナが大族長として管理した方がマシ、という思いもあった。
「いちおうボクも帝国人なんですけど」
レナートには統治者としての感覚、政治的な配慮はわからないので感じたままを伝える。
辺境の村人なので国民意識はないのだが、こうして他国の土地にくると多少は意識する。
「母君はこちらの人間で、信仰も文化も容姿もこちらの人間ではありませんか」
着替えを手伝って貰ったので背中の刺青も見られている。
「お父さんは生粋の帝国人だし。言葉も帝国の言葉しかわからないよ?」
「大した問題ではありません」
母系社会なので父親がどうだとかいわれてもスヴェトラーナは気にしてない。
背中に宿る精霊もスヴェトラーナに対しては友好的に振舞っていた。
「あ、そうだ。ボクも水の精霊の刺青が欲しいな」
いちいち女神の状態になってから水神達の力を借りるのは大仰なので、精霊を宿しておきたかった。
「ではあとで刺青師を手配しますが、背中のものに匹敵するものでないといけません」
何ヵ所かに分けて彫るか、お腹でないと場所が足りない。
顔に彫るとオルスに泣かれそうなのでお腹に彫って貰う事にした。
「それでね、ボクがこっちの社会に干渉するのはよくないと思うんだけど二人は仲直りして欲しいんだ」
「「女神の仰せとあらば」」
二人同時に答える。
レナートとしては頭を抱える思いだ。
「そういうのやめて、ほんとに・・・。スヴェトラーナさんだってこっちの文化習慣には違和感を覚える事もあるっていってたじゃない。ゴーラの人との関係を見直してもいいんじゃない?」
「そうなのか?」
ウィーグリフが意外そうにみやる。
「多くの氏族を率いる大族長だからってそう簡単に方針変えられないんでしょ?うちのお父さんもよく悩んでるからなんとなくわかるよ、そういうの。でも帝国本国はもう滅んじゃってるし、獣人さんもこの辺りからほとんど去ってしまったなら今までみたいな極端な関係は必要ないんじゃないかなあ」
「しかし、ですね。いつ帝国が復活して蛮族を追い出してまたこちらに戻ってくるかわかりません」
軍事的には勝てる時に徹底的にやっておくスヴェトラーナのスタイルも間違いではない。
「帝国が元通りになるのはもうないんじゃないかなあ。獣人さんが近所まで攻めてきても人間同士で争ってるし」
頭のいい人が統治してる筈なのに実は皆、馬鹿なんじゃないかと思う。
「レナート君は獣人に親近感を持っているのでしょうか」
「うん、全部じゃないけどね。人間のお医者さんのお手伝いしてた猫型獣人さんとか凄く可愛かったよ」
指名手配されている凶悪な獣人もいるので、すべての種族に、獣人に親近感があるわけではない。
「帝国復活の可能性は本当に無いのでしょうか?」
「調査中。うちの国、皇国は駄目そう。西部の方は亡者が大量発生してるらしいし」
「亡者ですか?」
「初耳?」
「はい」
北方圏には冥界へと魂を運んでくれる神獣スィールがいるし、月の女神が信仰されているので亡者が大量発生した歴史がない。
「とにかく結論を急がずにスヴェトラーナさんは皆の意見を聞いてよく相談してからゴーラとか帝国都市の扱いを決めて欲しいかな」
「努力しますが、我々が戦い疲れ、蛮族とも休戦気運が盛り上がってきた時、悉く帝国が潰してきました。連中は敵の赤子を攫っては一族を釣り、罠にはめて皆殺しにしてきたのです。そのせいで我々は報復の巻き添えに遭いました」
帝国軍と自由都市市民は堅固な城壁に守られているが、北方人達はそうではない。
報復の犠牲者は大きかった。
「そういう話は聞いていたけど、ボクのお父さん達みたいに惚れた女性を命がけで助け出した勇敢で誠実な帝国人もいるでしょう?酷い命令を出していた皇帝もいない事だし、もしこっちに住んでいる帝国人の中に共存を目指している人がいれば機会を与えて欲しい」
レナートは正直に思いを伝えた。
馬鹿で幼稚な甘ったれといわれても、やはり戦争はぎりぎりまで避けて欲しい。
そのあとはもうここに住む人間の問題だ。
「でね、ここからがボクの本題でウィーグリフさんにもボクが故郷に帰る手伝いをして欲しいんだ。どうにかしてボクを故郷まですぐに転移させられないかな?」
「俺は魔術に詳しくありませんが、皆に声をかけてみます。しかし、陸路で帰るのが確実では?」
「それがねえ、何年もかかるかもしれないし皆、ボクに一人旅させてくれないでしょ?」
「それは勿論。我々が故郷まで護衛させて頂きます」
「戦争になると思うなあ・・・」
国交が途絶えたアル・アシオン辺境伯や途中の国家が北方人の大部隊を通してくれるわけもなく、戦いになることが予想された。
「地上に唯一降臨されている女神の行幸です。皆、ひれ伏して道を開けるでしょう。妨害するものは我々が叩き潰します。どうぞ安んじてお任せあれ」
「好戦的だなあ・・・、もう戦士じゃなくてもいいんだってのに」
「うぐ」
否定したくとも長年のサガは変えられないようだ。
「分かった?ボクはたまたまペレスヴェータと同化してたから何かの間違いで移った女神の力が使えちゃうだけで余計な面倒を起こしたくないの。使えるものは使うけどね」
「女神の意向は承知しましたが、ここに残って頂くわけにはいかないのでしょうか。ご家族をこちらに迎えられるよう少数の人間を送り込む、という手段もあるのではないでしょうか」
同席したストレリーナの意見に他二人も頷いた。
中央大陸の旧帝国の人々がどうなろうと知った事ではない、女神の化身の家族だけこちらに迎えればそれで問題は解決するのでは?と思う。
「ものすごく危険な土地になってるし、さすがにそれはちょっと申し訳ないです」
いくら北の民が屈強な戦士だといっても道中でたぶん全滅すると思う。
「では辺境伯にスパーニア王国へ見かけたという飛行船を出して貰えないか働きかけるというのはどうでしょう」
スヴェトラーナの提案はまだ獣人がいる地域を通る事になるが一番現実的な方針だった。
「どのくらいかかります?」
「連絡を取るだけでもやはり数か月は」
やらないよりはマシだけどやっぱり長すぎるなあ、とレナートは思った。
出発からもう数週間以上経っているのでヴォーリャもカイラス山に戻っているだろうし、待ち伏せていた連中の事を伝える必要はないが早く戻らなければ、という焦りがある。
別れた遠征隊がどうなっているかも心配だ。
「そうだ、ひとつ手があるかもしれない」
ぽん、とウィーグリフが手を打った。
「何かあるんですか?」
「昔、神喰らいの獣が帝都に出現した時にエイラシルヴァ天がそれを封印しました。その時、近くにいた人々が巻き込まれて『神々の議事堂』と呼ばれる場所に転移したらしいのです。そこには時の神にして魔術の神であるウィッデンプーセがいたとか。かの神が人類に転移魔術の知識を教えたらしいのです」
「そういえばそんなことがあったな」
スヴェトラーナも思い出す。
「お前、忘れてたのか・・・」
「うるさい。だが、私達にその知識はないしエーバーハルト老師もそうだ。何の役に立つ」
「お前はエイラシルヴァ天の友人だったのだろうが、何か聞いてないのか?」
「私を『お前、お前』というな。ブタ野郎」
馴れ馴れしい呼び方に怒ったスヴェトラーナがぼかりと殴った。
「スヴィータと呼んだら怒ったのはお前だろうが!」
「また言ったな!大族長と呼べ!」
「なんならスヴェトラーナ様と呼んでやろうか?」
またウィーグリフはぶん殴られて、今度はやり返した。
「こほん、出来ればボクも可能な限り思い出して欲しいんですけど?」
女神の化身の前で殴り合いを始めてしまった二人ははっと思い出して縮こまる。
「妊娠中のお嫁さんを殴るのってどうかと思うよ?」
「は、申し訳ありません」「嫁じゃありません」
「ボクにいう言葉じゃないでしょ」
「悪かったスヴェトラーナ、二度と殴ったりしないから許してくれ」
また何か言おうとしたスヴェトラーナにレナートは機先を制す。
「後にしてね」
「はい・・・」
スヴェトラーナは必死に思い出そうとしたが転移魔術など自分の専門外で注意を払っていなかった。時の神も信仰対象ではないし、熱心に情報を集めようとしたこともない。
「転移に巻き込まれた人間と旅をした事があるんじゃなかったのか?」
「ああ!そうだった。エドヴァルド殿があの子を故郷に返す為に転移魔術の質問をしたのだった!」




