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天に二日無し  作者: OWL
第一章 地に二王無し ~中編~
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第8話 転移遺跡の戦い③ ~スヴェトラーナ~

 グラキエースとウェルスティアの会話はスヴェトラーナにも聞こえていた。

その頃からレナート少年は急速に内面も変わり始めたように見えた。


「スヴェトラーナ。敵の司令官をここへ。あとは良きように」


もうしぐさにレナート少年らしさは残っておらず氷の椅子を作って女王のように振る舞い始めている。


「はっ。ではどうかそのまま威厳をお保ちください」

「心得ています」


不快そうに頷かれ、さっさと行けと追い払うように指で促された。

これまで氷の女神グラキエースはその名を出してはならない神だった為、断崖に咲く美しい孤高の花に例えられていた。

水の女神達にとってグラキエースは同じ神族でありながら天敵に近い関係である。

伝承では妹神である大神ドゥローレメでさえ、グラキエースが不機嫌な時は近づくだけで凍ってしまうので、遠くから畏れと共に話しかけるしかなかった。


不快そうなグラキエースを前にスヴェトラーナはつばをごくりと飲み込んだ。

知り合いの森の女神は常に優しく、争いを嫌う娘だった。

戦うくらいなら自殺を選んでしまうほどに。


レナート少年は戦う事に忌避感は持っていないが、無用な虐殺を避けるだけの理性はある。

しかし、グラキエースはどうだろうか。

虐殺する気はなくても息をするだけで周囲の人間を無頓着に凍らせてしまいそうである。

知人の女神を基準にしてしまい、本来畏れるべき女神を軽んじた不遜な態度だったかもしれない。


 ◇◆◇


「西と南の敵軍の司令官に停戦の使者を。北のウィーグリフへはコルヒーダが行ってくれ。女神を待たせるな、すぐに来い、と」

「はい」

「皆も察したかもしれないが、氷神グラキエースが降臨された。女神は争いを望んでおられない。陣地全体とヘリヤヴィーズにも触れをだせ!」

「「はっ」」


スヴェトラーナは必要と思われる指示を出し、グラキエースの周囲を清めさせ、針仕事の達者な者に急いで簡単な衣服を作らせた。体に巻き付けて宝飾品で留めるだけとはいえどうにか体裁は整えた。

南の帝国軍からは副司令官だけが到着したが、他はそれぞれ責任者がやってきた。

グラキエースの斜め前方にスヴェトラーナとストレリーナが立ち、彼らにひざまずくよう命じた。


ぶるぶると震えているウィーグリフとゴーラの族長達にはいちいち説明する必要は無さそうだったが、帝国軍の副司令にはスヴェトラーナが重ねて命じる必要があった。


「たとえお前の神ではなくとも女神の前で不遜な態度は許されない。跪け帝国人。慈悲深き女神は争いを好まないが、我々は帝国人の無礼を許さん」


一歩下がるだけで立ったままの副司令に対し、ウィーグリフの副官らしき帝国人が声をかけた。


「ゴドウィン殿。どうか従って欲しい。貴方にもあの鎮静の雨に込められた奇跡の力は分かった筈」


神を前にした態度ではない、と副官は焦って平伏を促した。

しかしゴドウィンは周囲の苛立ちに鈍感だった。


「我々はこれから帝国を再興するのだぞ?太祖スクリーヴァは天の神々から地上の支配を命じられたのだ。氷の女神だかなんだか知らんがそのような神は万神殿にも登録されていない。我々にとって母なる神はノリッティンジェンシェーレのみ。グラキエースを名乗る魔術師にどれほど強力な力があっても従いはしない」

「おやめください閣下。我が帝国は全ての神を尊重するのが国是。この方が真に女神であろうとなかろうと友人である北の民がこうして敬意を払っている以上、私達も同様に・・・」

「黙れ!貴様は地上の支配者である帝国の誇りを失ったか!」

「今の我々はこの地に住む帝国の同胞を守らなければならないのです!周囲を全て敵に回すおつもりですか!」


帝国人同士で言い争いを始めてしまった。

副官の方も女神への敬意より後方の自由都市の市民の方を気にかけている。

そんな様子にグラキエースは溜息をつく。

その白い吐息が広がり、帝国人二人の舌の根を凍り付かせた。


「耳障りだ」


グラキエースに睨まれたスヴェトラーナは跪き、謝罪するしかなかった。


「申し訳ありません」


それから立ち上がってウィーグリフに声をかけた。


「我が女神はただここにあるだけで全ての敵兵を砕くことが出来る。だが、寛大な女神は無知なお前達に哀れみをかけて下さった。余所者である帝国兵に対しても、だ。帝国兵がその慈悲を無にするというのならたとえ女神が許しても我々は許さない。お前はどうする?」

「俺は、サーム族は帝国自由都市連盟との同盟を現時刻で破棄したことを各都市に通達する」


即座に返答が来た。


「残りは」


ゴーラの他の部族長達に視線を向けた。


「俺も」「我が部族も」


他の部族も即座に同意した。


「ということだ。帝国人諸君は帰ってよし。この後、再戦しよう」


残存していた帝国北方軍団だけでなく帝国自由都市は全方位を敵に囲まれる事になった。

三年前の戦いではゴーラとネヴァの連合軍の標的は北方軍団だけだったが今度は違う。

軍隊と軍隊の戦いではなく、民衆と民衆の文化と信仰をかけた戦いが始まろうとしている。


敵意に囲まれ、狼狽えたゴドウィンは尻もちをつく。


「それが帝国人の女神に対する拝礼か?見苦しい」


副官の方は跪くどころか額を地にこすりつけるようにして、寛恕を求めているようだが、声が出せないようだ。


「下がらせなさい」

「はっ」


グラキエースの許しは得られず、二人も引きずられていった。


 ◇◆◇


「女神よ、俺は貴女に降伏致します。どうか俺の命で部下達は助けて頂きたい」


仕切り直してすぐにウィーグリフは降伏を宣言した。

しかしグラキエースは何も答えない。右目のあたりをぴくりと動かしただけでなんとなく苛立ちを感じているのが伝わってくる。


「スヴェトラーナ」


沈黙に耐えかねてグラキエースの方から声をかけてきた。


「はっ」


何か?という顔を向けた所、苛立ちはさらに強くなったようだ。


「二度は言いません」


これだけで理解しろというのは理不尽ではなかろうか、とスヴェトラーナは思う。

先ほどから女神の放つ力で圧迫感を感じ呼吸するのも苦しいほどである。

レナートに対しては強気だったスヴェトラーナも今はその力に屈服していた。

慌ただしく脳を回転させて、これまでの短い会話を思い出す。


そういえば『スヴェトラーナ。敵の司令官をここへ。あとは良きように』


と、言われていた。

彼女はこの地を支配する気も口出しする気もないのだ。

望みは故郷へ帰る事。

まだ、レナートのままだと知って少しだけ気が楽になる。


「では・・・。ゴーラの族長達よ。軍を解散しそれぞれ故郷へ戻れ。後に自由都市へ攻め込む準備をせよ」


西方圏に編入されたマッサリアはともかくパッカ地方は北の民の土地である。

帝国都市を占領し奪還しなければならない。

族長達は仰せのままに、と頷いた。


「ウィーグリフ、お前は混乱が無いよう次の族長を選んでおけ」


ウィーグリフは脂汗を掻いてはそれがすぐに凍りついてしまい、蒼白な顔をしていた。

何も言えない彼に代わって部下達がどうかご慈悲をと訴えてくる。


「慈悲だと?お前達は立ち会わなかったから知らんのだろうが、この愚か者は先ほど会談の際に女神の化身とその母を散々に侮辱したのだ。この男は降伏する機会を無駄にして犠牲を出した。族長としてその責を負うべきだ」


スヴェトラーナとしては当然の仕置きだったのだが、ウィーグリフは下衆ゲスにも関わらず意外と部下から慕われているようでそれでも慈悲を乞われた。

スヴェトラーナはそれでも再度死刑を言い渡そうとしたが、グラキエースに止められた。


「わたくしの個人的な事にお前が口を挟まずともよろしい。彼がその民から族長として相応しいと思われているのならそのままでよい。お前が北の民の支配者として彼が族長を任せるに相応しくないと思うのならその根拠を示しなさい」


意外にも女神から死刑を止められた。

ゴーラの男達は女神の慈悲に感謝し、彼をそのまま族長に留めおいて欲しいと乞われた。

スヴェトラーナは女神に言われた通り、解任する根拠を示さなければならなかった。


「彼は酒好きで怠惰です」


と、スヴェトラーナが言えば部下達は反論する。


「サームの祖は狩人にして酒の神ザグレスです。ウィーグリフは蛮族の族長を何人も狩りました。族長は優れた戦士です。戦いの時以外は宴を楽しむのが我らの生き方」


太ってはいるが勇敢な戦士であることは間違いない。

しかしスヴェトラーナの趣味ではない。


「我々の信仰を否定した」

「信ずるに足る根拠が無かったのです。伝承が残っていなかったのも信じなかった事にも責任があるのなら我々の首を全て刎ねて下さい」


さすがにそれは出来ない。


「北の大君主である私に、そして母であるスヴェンに軍を向けた」

「我々の訴えに耳を貸して下さらなかったからです。蛮族が去り、帝国も滅んだ今、北ナルガを維持する必要はないはずです」

「帝国の残党と手を組んだ」

「蛮族と共に多くの獣も姿を消してしまったのです。狩人だけでは村を維持出来ません。作物を自由都市から仕入れなければならなかったのです」


スヴェトラーナがそれ以上ウィーグリフを非難する根拠を主張できなくなるとゴーラの男達は口々に訴え始めた。


「役立たずと断じられた弟や子供達は帝国人や西方人が所有する鉱山に買われて、数年、早ければ数か月で連絡が途絶えてしまいました。どれほど辛くとも俺達は何千年も人類の防衛線を守り続け、それを誇りにして生きてきました。泣き言をいう者は蔑まれ、追放されました。帝国人の平均寿命は平民でも七十だといいますが、俺達は三十を越えて生きる者は稀です。何千年も戦い続け、ネヴァの母達を守り続けてきたんです。でももう敵はいません。生き方を変える機会を、希望をくれたのが族長なんです。俺達が他の部族を巻き込んで族長を旗頭に仰いだんです。だから、処分するならどうか俺達を!」


何千年も奴隷戦士として生きてきた彼らが遂に希望を得た。

蛮族が去り、帝国が滅んだ。

時代が変わったのだ。


だが希望を得た彼らの前に、絶対者である女神が降臨してしまった。


「俺達も家族を持ちたい。子供を抱きたい。子供に希望を与えたい。好きな人生を歩ませたい。女神よ、どうかお許しを」


慈悲を訴える彼らを前に氷の女神の瞳から涙が零れた。

その涙は地に落ちる前に凍り、宝石のように輝いて転がった。


「スヴェトラーナ。お前はまだ彼を処刑したいのですか?」

「私個人の意思は関係ありません。この男は軍を組織して敵を引き込み、スヴェンの大族長に逆らって多くの同胞を死なせた。責任を取るべきです」


スヴェトラーナの意思は変わらない。

ゴーラの男達はさも崇高な目的の為に戦ったようにいうが、ここ数年の戦いで負けたネヴァの女達は捕えられて強姦された。

いざ戦争となれば男達は殺す、犯す、奪う、それしかしない。


これはスヴェン族が始めたいくさではない。


「どうしてもそのお腹の子の父親を殺す、というのですか?」


女神は哀し気な瞳で諭すように言った。

スヴェトラーナもまだ確信していなかった事を言われてしまった。


昨日投稿した第7話は推敲不足な点があり少しだけ表現修正しました。

内容自体の変更はありません。

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2022/2/1
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