第5話 ヤドリクの子ウィーグリフ
人類圏最北端の地、ゴーラ。
この地は何千年も北ナルガ河を挟んで蛮族に対峙してきた。
アル・アシオン辺境伯や東方諸国が接している東ナルガ河と違って、ここでは冬には大河すら凍り付く。
そして海岸線には流氷が流れ着き、時には見渡す限り海さえも凍り付く年がある。
そんな年は海から後方へ蛮族が回り込んでしまう。
ゴーラの戦士達がいかに屈強でも国境線を守り切れないのだ。
新帝国歴1412年、帝国軍北方方面軍司令官ヴァルスは24個軍団28万の軍勢を投入して惨敗、その後西部マッサリア地方まで蹂躙され6年間で北方圏は人口の1/3を失った。
ゴーラの男達はそんな状況でもスィー・ルーイン峠を守り続け1417年のイグニッカの戦いでは皇帝の近衛騎士やネヴァの女達と共に20万を越える軍勢を結成し大精霊ドルガスとも戦った。
神剣を携えた近衛騎士が四名戦死するほどの激戦でウィーグリフの父、サーム族族長ヤドリクも重傷を負った。
1418年に『マッサリアの災厄』と言われた戦争は終わった。
どうにか蛮族を押し返したものの、人口が激減した為、彼らは北ナルガ河流域から後退した。
1435年、ようやく戦後世代が成長してきて未来に希望が持てた頃、ネヴァの女達が攫われた。
戦傷に苦しんでいたヤドリクは救出を断念し、近隣部族も同意した。
だが、それには納得しない若い衆がパヴェータ族の族長の娘に率いられて出撃し全滅した。
ウィーグリフの兄もその無謀な戦いで死に、ゴーラの男達は再び人口を大きく損ねた。
ようやく育ってきた若い世代が討ち死にした事にヤドリクは失意を隠せず、しばらくして病死した。
当時のウィーグリフはまだ8歳でその戦いには関われなかった。
1451年エイラシルヴァ天が謀殺されると彼女と親しかったスヴェン族のスヴェトラーナは帝国に戦争を挑み、ゴーラの男達にも帝国軍基地を襲うよう命令してきた。
長年、蛮族と共に戦って来た戦友である帝国軍を襲う事に葛藤はあったが、新族長としてウィーグリフはその命令に従った。
他の部族も同様だった。母であるネヴァからの命令に逆らうなど彼らにとって考えられない事だった。
帝国が滅亡し、帝国北方軍とも終戦協定が結ばれた後にウィーグリフは他の族長達と連携を取り、ネヴァとゴーラの地位協定の見直しを要求し始めた。
当初は同盟はなかなかうまくいかなかったが、スヴェン族が新たな氷神信仰を復活させると宣言するとネヴァでも内部分裂が始まり、ゴーラの男達も動揺し始めた。
ウィーグリフがゴーラの主導権を握るようになったのはこの時からだ。
蛮族の脅威が去った事でもはや戦いの為だけに一生を捧げなくてもよくなった。
帝国軍との協定により帝国系自由都市をいくつか得て国力は増大した。
「五千年間戦ってきた敵はもういない!俺達は生き方を変えていいんだ!!」
決戦を前にゴーラの各部族の戦士達の前でウィーグリフは声を張り上げた。
彼らは人類圏最北端の土地の守護者として戦ってきた。
暗闇の中で親兄弟が草むらの向こうで蛮族に噛み砕かれ、貪られていく音を子守唄代わりにして育ってきた。名誉ある戦いで命を落せば月の女神アナヴィスィーケの支配する冥界で天の楽師、天女たちと共に安らぎに満ちた死後の生活を送れると信じて戦ってきた。
勇猛な戦士だけが、ネヴァの女に見初められて子を授かる事が出来た。
ネヴァの母達を守って死ぬ事に何のためらいも無かった。
「だが、もう敵はいない!俺達は人として当たり前の生活を手に入れる。我が子を抱き上げる権利を!どんな子だろうと愛する権利を!」
臆病な子、病弱な子、先天的に問題のある子は侮蔑され奴隷のように雑用をさせられるか、売り飛ばされる。種馬でしかなかったゴーラの男達は我が子がどんな扱いを受けているか知る由もない。
親子の愛情は戦士を惰弱にすると信じられていたので、ネヴァから送り返される子供は他の部族に誰が父か、母かとは知らされずに送り込まれることもあった。
なるべく早く母から引き離すべきと考える者もいたので7歳どころか乳離れ直後にゴーラに送り込まれる子もいた。彼らは母の顔も名も覚えていない。
男達はウィーグリフの主張に同意し快哉をあげた。
◇◆◇
両陣営に決戦旗が翻り、翌日には戦闘が開始される。
この夜、ウィーグリフは帝国軍の士官カローバと配置を確認していた。
包囲中の遺跡の東にはヘリヤヴィーズがあり、ここは中立部族が戦争終了まで保持する為、こちらからは侵攻できない。西側には川が流れ橋はスヴェン族が占拠している。
氷神がどうのこうのと言い出したとはいえ、五大神の一角、水の女神ドゥローレメを奉ずる彼女らを相手に西側から攻めるのはちょっと難しい。
「冬が来る前に決着をつけなければなりませんのでこちらの兵はどうしても抑えに必要です」
帝国士官は攻めるのは難しいとしても兵力を配置する必要はあると力説した。
遊兵になっても構わない十分な戦力差がある。
「ああ、西側に四千、これは同盟部族に任せ南側は帝国兵六千、そしてここは我々七千。そして予備兵力として騎兵三千だ」
「万全の布陣です。我が軍の司令官もこれでついに決着がつくと確信しております」
「ああ」
二万対三千で完全に包囲している。
負けようがない。
「ですが、浮かない顔ですね」
「同胞には違いないからな」
「では、最後にもう一度交渉なさいますか?我々としてはスヴェン族に軍事通行権を認めて貰い、帝国奪還作戦の間、補給を担って頂ければそれ以上は求めません」
帝国北方軍はニ十個軍団以上あり、一個軍団あたり約一万の兵が所属していた。
北方軍のほとんどが壊滅した今でも軍団基地を元に自由都市が形成されて多くの人が生活している。
現地人と結婚して生まれた子供達には帝国本国の市民権は無く、帝国に望郷の思いは無いが、滅亡時に本国から徴兵されてきていた兵士は本国への帰還を熱望している。
「帝国奪還など不可能だと思うが」
「アル・アシオン辺境伯さえ説得出来れば問題ありません。広域魔力通信での知らせでは蛮族は各地に散って油断しているとのこと。辺境伯40万の軍勢をもってすれば帝国再興は十分に可能です」
帝国自由都市市民連合も未だ健在であり世界各地に何百万の人口を抱えている。
スヴェン族を倒すのには過剰な兵力な為、今回は動員していないが自由都市から徴兵すればさらに大軍を動員できた。
「ま、帝国までは同行しないが道中の蛮族を打ち払うのに傭兵くらいは送ってやる」
「はっ、感謝の極みであります!」
ウィーグリフはこれ以上蛮族と戦う気はないが、同胞の中には戦い以外の事を考えられない者もいる。そういった者達が参戦するのは許可した。帝国軍残党とウィーグリフ達の思惑が一致して今回ネヴァに攻め込む事となった。
「それにしても連中、完全に包囲されているというに随分と余裕そうですね」
スヴェン族の陣地から琴の音や笛の音が聞こえてきた。
そのうち打楽器や歌声も混じる。
「水神ドゥローレメは音楽を司る神だからな。これもひとつの祈りだ」
芸事に関係する事自体が神への奉納の儀式とも考えられているのでゴーラの男達も得意とする所である。決戦を前に対抗してあちこち篝火の近くで音楽を奏で始めた。
帝国人からすると示し合わせずとも合奏してしまうくらいに彼らは通じ合っているように見えるが、明日には殺し合いを始めるのだ。
「最後にもう一度降伏勧告なさいますか?」
「無駄だ。あいつはもう族長だ。以前、一度は俺に従ったが、今は皆があいつを支持している。支持している連中がいる限りあいつはもう降伏しない」
「ですが・・・一度は妻とされた女性では?」
「力で負かしても心は俺のものにならなかった。戦う事だけが人生のすべてだと俺達に教え込んだのはあいつらなのにな」
ウィーグリフは自嘲する。
粗野で酒癖が悪く、暴力的で留学時代は見下されていた。
いつか見返してやるとは思っていたが、力以外に何の取り柄もなくその機会は無かった。
留学から北の地に戻り、社会が激変してついにその機会が来て彼女を自分のものとしたが、気分はまったく晴れなかった。
「俺は自分の家族が欲しかった。帝国人のように人として当たり前の生活が送りたかった。なのに自分の手で手放しちまった」
見返してやるという恨みに近い感情をもって彼女に接し、執着し続けてきた。
もう他の女に興味はない。
しかし、彼女は逃げてしまった。
もっと優しく愛情をもって接していればネヴァとの決定的な対立は避けられただろうか。
彼女も愛情を返してくれただろうか。
「降伏勧告はしない。だが、お互い族長として最後に顔を会わせて終戦の条件は決めておこう」




