第4話 転移遺跡の戦い ~前夜~
スヴェトラーナが防衛陣地の見回りをしている頃、レナートとエーバーハルトは転移について話し合っていた。
「転移陣は古代から帝国魔術評議会が管理してきたものでな。帝国軍の駐留が認められていなかったフランデアン王国でさえも評議会から派遣された魔術師が管理してきた。転移は帝都から各地へ、各地から帝都へしか移動できん。故に儂らは君が帝都から来たものだと思っていたんじゃ」
「三年間こちらから帝都に行く事も出来なかったんですよね?」
「そうじゃ。蛮族に転移陣を扱えるとは思えんし中枢制御装置が破壊されたのじゃろう」
「各地の転移陣から帝都以外の無事な転移陣へ飛べたりはしないんですか?ボク、フォーンコルヌ皇国かその南の方の国へ行きたいんです」
「転移陣の仕組みを解き明かさない限りは不可能じゃが、君がどうやって飛んできたか分かれば少しは役に立てるかもしれぬ」
レナートは改めて転移直前の状態から説明し、姿隠しの指輪を渡してエーバーハルトにも霊体化の状態を体験させてみせた。
「こりゃ面白い。確かに単純に魔力を通した視界とも違う」
「視界が違っているだけじゃなくて肉体も現象界からは無くなってますよ。肉体は第三世界から第二世界に移行しているみたいです」
「ほう・・・」
エーバーハルトは指輪でなくレナートをみて感心するような声を上げた。
「なにか?」
「いやな、ここの人らはそういった学術的な分類法をしないからの」
帝国の学者達のさまざまな異界の分類法なので国外ではあまり普及していない呼称だ。
「ああ、そうですね。ボクは五歳の時に帝国人の学者さんのお手伝いをしていたから」
「ほお、五歳で。それは凄い」
「その時はあんまりお手伝いにならなくて怒られちゃったけど、そのあと村に戻ってから色々教わりました」
「実に興味深い、君の経歴についてもっと詳しく教えて欲しい」
「あー、ボク出来れば早く家に帰りたいので転移に関係ないことはいつか別の機会に」
「ま、仕方ないの。ではまずこの指輪を使った時、儂と君で効果が同じかどうか検証してみよう」
それから数時間エーバーハルトは実験を行いレナートはそれに付き合った。
「君のいうトンネルのようなものは儂には見えんのう」
「ここだとボクも見えませんよ」
「ではちょいと石舞台の方へ行ってみよう」
「ボクはよしときます。ここから動かないって約束したし」
「肉体はここから動いておらんのじゃから構わんじゃろ」
「そういう屁理屈は嫌いです」
今後の為にも信頼関係を築かなくてはならないし、スヴェトラーナが戻ってきてから検証は続ければよい。
「仕方ないのう。・・・しかし不思議な指輪じゃ。これでは世の中の物理法則に反する」
「そうなんですか?魔術だったらもっと不思議な事たくさん出来るんじゃないですか?」
「平民からみれば魔術は空に浮いたり、手も触れずに物を動かしたり、火種もないのに物を燃やしたりと不思議な事だらけじゃが、実はきちんとした術理にのっとったものじゃ。魔術による幻術で物を見えなくする事は出来ても存在自体を第三世界から消すのは物理法則からしてありえんことじゃ」
「転移だってそうなんじゃありませんか?」
「転移は場所が移動しているだけでこの世から無くなっているわけではない。質量保存の法則からも反してはおらん。この指輪の力はまさに神の領域といえよう」
「ははあ、なるほど」
「わかるのか?」
「ボクも長年疑問に思っていた事があるので」
「聞こう」
レナートは自分の性別が時々変わる事を告げ、さらにペレスヴェータの力を借りると女神の姿に変身し、性別が変わるどころか明らかに体が大きくなることも告げた。
「性別が変わるのは別にいいんですけど、大きくなっちゃうのは明らかにおかしいなあって思ってたんです。変な目で見られちゃうし」
ドムンとスリク以外、別に親しくもなんともない人から性的な目で見られるのはイヤだった。
幼い頃から付き合いがある近所のおじさんにまで意識されると気まずい。
「性別が変わるのも相当おかしいぞ。ちょっとやってみせてはくれんか」
「軽い気持ちでやるのは止めた方がいいってヴェータから言われているんです。女神に体を乗っ取られたりするかもしれないし」
「そういう感覚があったのか?」
「実感はないですね。でもこれは本来ヴェータの力だし、ボクにはボクの人生を歩んで欲しいって言ってました」
「ふむ、噂と違って意外と理性的な人物のようじゃの」
「こちらではそんなに評判悪かったんですか?」
「うむ。君がこちらに転移してきた時に彼女の名を呼んでいたじゃろ?皆は君を彼女の息子か何かかと思っておった。昔、ペレスヴェータに男を奪われた報復に君を自分の物にしてやろうと考えていた者もおる」
「まー実際母親代わりだったので息子と思われてもいいですけど、おばちゃん達に囲われちゃうのは嫌だなあ」
「帝国への留学制度が整ってきてこの地域の女達の意識も少しは変わってきたが、まだまだ慣習の方が強い。君みたいな男の子にとってはいろいろと危険な国じゃ」
検証を止めて雑談を交えながらレナートの過去の経歴を話していく内に、エーバーハルトは女神本人というより女神の力を降霊させることができる人物と解釈した。
コルヒーダに茶を淹れて貰い一息ついていた所、突然ぽわぽわとした光の塊がやってきてレナートの体に入っていき消えてしまった。
「なにこれ?」
「何かあったか?」
儀式を見たことはあるが、今の光についてはエーバーハルトにも分からなかった。そもそもエーバーハルトはこの地域の神々を信仰していない為、ほとんど視認できない。
「何かありましたか?」
布一枚向こう側にいたコルヒーダがどうかしたのか、と顔を出す。
その時、また光がやってきてレナートに吸収される。
「この地域、特有の現象ですか?」
「いや、わかりませんね。何か体に変化はありますか?」
「ちょっと体が暖かくなった気がします。やな感じはありません」
「遅れてしまいましたが、医者を呼びましょう。君の健康状態を確認するべきでした」
レナートはこのまま待つように伝えられ、しばらくしてスヴェトラーナと彼女の母ストレリーナがやってきた。
◇◆◇
ストレリーナはスヴェトラーナから話を聞いていたが、レナートはまたいちから改めて同じ説明をする羽目になりややご機嫌ななめになってきた。
「も~いいよ~、信じてくれないなら別に」
「御免なさいね。何度も聞くことで矛盾がないかどうか嘘がないかわかることもあるのよ。何せここは戦場ですからね。君はそこへ突然飛び込んで来た。容姿からして同胞だとは分かるのだけれど、囲んでいる敵も同胞なのよ」
「慎重になるのは分かりますけど、同じことを三回も四回も繰り返すのは面倒です・・・」
「仕方ないわね。君には威厳も何もないのだから。参戦したいならしても構わないけれど女神の化身だとか名乗っても敵にも味方にも馬鹿にされて耳を貸されないわよ」
「無駄な戦いを抑えられるかもしれないのに」
「私達にとっては無駄な戦いではないのよ」
「敵には貴方達の息子がたくさんいるんでしょう?家族で殺し合うんですか?」
「そこまで単純ではないわ。帝国兵が入植して家族を持って現地化しているし。色んな勢力がネヴァの支配権を手に入れたがっているのよ」
余所者だからか、レナートはくだらない争いだと思ってしまう。
田舎の小さな村で生きるのに必要な糧だけを取って生活していれば、こんな争いは起きないのに。
父のように国にも獣人にも関わらず自給自足の暮らしを送るのが一番いいと思っている。
レナートが仕方なくこれまでの話をもう一度ストレリーナにした後、今度はストレリーナからグラキエースと北方の神々について質問があった。
レナートはペレスヴェータは勿論ヴァイスラからも北方の守護神である水神の事はよく聞いている。
ヴァイスラは長年、親子の時間を過ごせずレナートを哀しませてしまったお詫び代わりによくそんな話をしてくれていた。そしてケイナンから子供向けの物語とは別に学問的な講義を受けている。
ケイナンは癖のある人物だったがオルスの良き相談役であり、特異な力を持っているレナートに五根の力の調和を乱さないよう訓示していた。
何も知らないような顔をして、意外と詳しいレナートにストレリーナやエーバーハルトは目を見張る。
「じゃあ、次はこの楽器を弾いてみて」
ストレリーナが渡したのは数本の糸。
その先には小さな金属の板がぶら下がっている。
「あ、作るところからですか?じゃあちょっと水を出して貰ってもいいですか?」
「君は自分で水を出せないの?」
「えへへ、いつもヴォーリャさんにお願いしてたので」
レナートは背中に氷の精霊を宿す刺青を彫っているが、水の精霊とは親しくしていない。
仕方ないわねといってストレリーナが魔術でバケツに水を溜めた。
それを使ってレナートは糸に水をまとわりつかせて凍らせながらホルンを作ったり竪琴を作って演奏した。その場限りでしかない北方民の特異な音楽だった。
途中で楽器の演奏を交代しレナートがグラキエースを断崖に咲く一輪の花に例えた歌を歌った。
その歌声にのって加護の授受式と同じような光の輪が周囲に広がっていく。
こんな現象は初めてだったのでレナートは驚いて歌を止め、スヴェトラーナも母親に問う。
「どうですか母上」
「知識や技術についてはヴァイスラからよく習っているようね。神聖な力も感じるけど巫女たちに比べて頭抜けているというほどでもない程度かしら」
「しかし、今、神像が返す加護の力のようなものが」
「そうね。でも私は貴女と違って直接神に会った事などないし判断できないわ。貴女はどう思っているの?」
「私は神々に敬意は払いますが、神だからといって無条件に従ったりはしません。つまるところ彼の正体自体にはあまり興味はありません」
部族にとって有益かどうかがスヴェトラーナにとっての問題である。
「なら私を呼ぶ必要無かったじゃない」
「私だけで部族の運命を決めていいのかどうか母上の意見を頂きたかったのです」
「私はスィールの試練に失敗し、お母様の跡を継げなかった。他の姉妹たちも。貴女だけが部族を率いる事を選び、皆がついていくことを決めたのだから貴女が決めていいのよ」
「先祖代々の信仰と歴史に関わる事でも、ですか?」
「もしこの子が皆を従わせる力を見せれば皆が誰についていくか自分で判断するでしょう。他人の内面や過去まで貴女が責任を負う必要はない」
「では、私はこれまで通りに振る舞います」
「ええ、勿論そうしてちょうだい」
◇◆◇
ストレリーナが来ても結局、スヴェトラーナの判断は変わらなかった。
この日、レナートとスヴェトラーナは一緒に寝る事になった。
「済まないが水が貴重だから髪を洗うのはまた今度な」
「自分じゃ元通りに編み込めないから構わないですけど」
レナートは母との仲が回復してからは髪を伸ばしていて、いつも母に編んで貰っている。
ドムン達と戦いの訓練するにも、山を歩くにも長髪は不都合が多い。
「でも、水の精霊にお願いすればちょちょいと出して貰えませんか?」
「戦いが近いからこの地で無用なマナは浪費したくない。水の精霊達も周辺の空気中の水分を搔き集めてくれるだけだ」
「精霊でも無いものは生み出せないってことですね」
「そういうことだ。さあ、もう寝よう」
戦陣の為、粗末な狭い木のベッドしかなく二人は抱き合って眠る形になる。
「おいで」
「いいんですか?」
妙齢の女の人に抱き着いて寝てしまってもいいのかしらとレナートは少しばかり遠慮する。
「こうしておかないと君は誰かに拉致されかねないからな」
「母達から聞いてましたけど、ここだと女の人が夜這いかけちゃうってほんとなんですね」
「ちょっと恥ずかしい話だがそうなんだ」
「ここでは普通の事なのに『恥ずかしい』って思っちゃうんです?」
「私は帝国への留学期間が長かったからな」
帝国の学院には様々な国の人々が集まっているが、彼女たちのような母系社会は他に無かった。
「ふふ」
「なんだ?嬉しそうな顔をして」
「ボク、こうやって誰かと抱き合って眠るのが夢だったから」
性別に関係なく好きな時にひっついて眠るジーン達動物の事をずっと羨ましく思っていた。
「まあ小さい子じゃなければ外国ではそうなんだろうな」
「ここじゃ大きくなっても抱き合って眠っていいんですか?」
「冬が長いからな。暖房を節約する為に家族や友人で一緒に眠る」
「友人でも?同性の?」
「勿論そうだ」
「同性でべたべたしてもいいんですか?」
「構わないぞ。ああ、そうか帝国は同性愛も特に禁じられていたな。だが同性で抱き合って眠ったからといって別に同性愛者ではないぞ」
「へー、いい国だなあ」
「同性で一緒に眠るのは私達くらいだろうが、南方圏でも同性で手を繋いで出歩いたりするそうだぞ」
帝国は他国の文化を尊重するが、帝国内では帝国文化を尊重するよう留学生や、商人、巡礼者などにも要求していたので街中でそういった光景を見かけることは無い。
レナートはそれから東の国についてもスヴェトラーナに聞いた。
そこでは女性の権利はかなり低くて父親か夫の財産扱いらしい。
「うーん、カイラス山を脱出したら東方じゃなくてこっちに引っ越したいけど、でも旦那様が周囲に奴隷みたいに扱われるのはちょっとイヤかも」
「うん?旦那様?」
「あ、なんでもないです。ですです」
長い間、女性化していたのでつい地が出てしまい慌てて誤魔化す。
「それよりスヴェトラーナさんはボクが夜這い受けないようにって気を使ってくれたけど、スヴェトラーナさんがボクに夜這いされちゃうかもって思わなかったんですか?」
そういってレナートはお腹のあたりに抱き着いた。
「いっておくが私はかなり強いぞ」
頭の上から冷たい言葉が返ってくる。
そして、お腹は腹筋でとても硬かった。




