第3話 銀緑色の戦乙女④
スヴェトラーナ達を囲む状況は最悪だった。
厳寒でも魔術で都市機能が維持されるヘリヤヴィーズを戦争で破壊されるのを避ける為に、ゴーラ軍とは市街戦を避ける事で合意出来た。
その代わり城壁はない。
ここ最近はマナが薄くなり女性達が得意とする魔術も効果が薄く、防壁代わりの男の兵士も少ない。
要害スィー・ルーイン峠の戦闘で敗れて以降、連戦連敗で連合軍も逃げ散ってしまった。
母達が味方を集めてくれたが若いスヴェトラーナでは求心力が不足している。
「スヴェトラーナさんが嘘なんかついてないよってボクが話すから大丈夫だよ」
少年は屈託なく笑うが・・・
「いや、無理だろう。誰が信じるんだ?君みたいな男の子が氷神だなんて。・・・母君に教わっていないようだが氷神グラキエースは女神だぞ」
いきなり自分こそが女神であると言い始めた少年を、当然スヴェトラーナは切って捨てた。
「いや、ほんとに。信じられないのは無理ないですけどその時が来たらちゃんと変身して見せますから」
そういいつつも本人はあまり自信は無さそうで到底信じられない。
「女神を騙るなど不遜だぞ」
「族長殿、そう馬鹿にしたもんでもあるまい。友人のエイラシルヴァ天は森の女神だったわけじゃろう?」
エーバーハルトもまるで信じて無さそうだが、いちおう学者として可能性の全てを否定するのは避けた。
「彼女は常に人であろうとした。成し遂げた業績も全て人として行った事だ。女神だと名乗ったり力をひけらかしたりはしなかった」
「・・・つまり、信じておるのか?」
少年が数年振りに転移陣からやってきたのは事実なので何かしら秘密があるだろうと思っていたが、スヴェトラーナの物言いをエーバーハルトは意外に思った。
「いや、信じるとか信じないとかそういう問題ではない。これは人と人との戦いだ。女神の出る幕ではない。彼女も地獄の女神が現れるまで森の女神としての力を使ったりはしなかった」
つまりスヴェトラーナにとってはこの少年の正体はどうでもいい問題だった。
自分で片をつけるのだから。
「でも戦いになったら大勢死んじゃうでしょ?」
少年が口を挟む。
「私達は死を恐れない。これは故郷と信仰を守る名誉ある戦いだ。名誉ある戦いで死ねばスィールが冥界に運んでくれる。私達は余所者の手を借りるゴーラの連中のような真似はしない」
「余所者って・・・ボクの母さんはこっちの生まれですよ」
「だが、君は違う。言葉も風習も。私達の因縁も何も知らない。戦いに加わる理由がない」
少年は一度俯いてから顔を上げて言葉を発した。
「ゴーラの人達の事は知らないけど縁ならある。母さんの親戚の人達に死んでほしくないし、ボクが故郷に帰るには貴方達の助けがいる。それに帰った時に母さんの故郷を見捨てて来たなんて言えない」
少年の意思は分かったが、それは勝手な理屈だった。
「それは君の理由だ。私が君のような子供を戦いに参加させる理由にはならない」
「意地っぱり!大勢の人達の命を預かってるんでしょ?」
無謀な戦いで皆を死なせていいのかと糾弾される。
「逃げたい者はとっくに逃げている。皆が恐れるのは現世の死ではない。臆病者として地獄に落ち、祖先の名を汚す事こそを恐れる」
「あっそ、じゃあいいよ。ボクは勝手に戦うから」
「待て、君のような子供を戦わせるわけにはいかないといっただろう」
「ボクはもうすぐ14だよ。ヴォーリャさんはボクくらいの歳にはとっくに蛮族と戦ってたっていってた」
言葉遣いや態度が幼いので誤解していたがスヴェトラーナが思っていたよりは年長だった。
「族長殿、ヴォーリャ殿やペレスヴェータ殿の関係者なのであれば戦う理由はあるのではないかな?」
「むう・・・」
エーバーハルトの物言いにスヴェトラーナが唸る。
「ヴォーリャさん達に何か関係が?」
「ゴーラの連中と我々が険悪化した理由の一つだ。ペレスヴェータは多くの部族の族長候補達を引き連れてパヴェータ族の女達の奪還に向かい無謀な戦いで全滅した」
次世代の指揮官として期待されていた男達がごっそり抜けた事で帝国北方軍への依存度が高まり、ゴーラからネヴァの女達への恨みが強くなった。
「ヴェータはボクの半身です。恨みがあるならボクが代わりに戦います」
少年の意思は固いようでスヴェトラーナはしかたなく受け入れた。
「戦いの経験はあるのか?」
「はい」
「参戦するのであれば私の指示に従って貰う。いいな」
「はい」
「もう少し詳しい話を聞きたいところだが、私にはやる事がある。夜までエーバーハルト老師と転移の事を話すといい」
「はい、でもスヴェトラーナさんは歩き回って大丈夫なんですか?」
「心配ない。君はここから出てはいけない。わかったね?」
「はーい」
◇◆◇
「コルヒーダ、誰もここを通すな」
「承知しました」
スヴェトラーナは天幕を出て防衛体制の確認を始めた。
帝国軍が大砲を持ち込んでいる為、防備は防壁よりも塹壕を整備することに集中していた。
敵は大軍だが、ゴーラからヘリヤヴィーズまでは狭い峠道を越えねばならず冬季になれば補給が途絶える。大軍である事が敵の弱みとなる。
あともう少し耐えれば敵は撤退する。まともに戦えば勝ち目はないが、持久戦が不可能なほどの兵力差ではないと思っている。
問題はマナが急速に薄れている事だ。
精霊の力を借りた魔術を使う戦いを得意とする彼女達の力が弱まっている。
あとは神頼みでもするしかないが、守護神である水の女神も月の女神も戦いを得意とする神ではない。
ゴーラの男達も同じ神々を信仰しているので、術の効果も薄い。
スヴェトラーナは防備の弱体な箇所を指摘し、指揮官達との打合せを終えた後に転移の石舞台まで戻った。そこでは巫女たちが加護を授ける儀式をしていた。
「ではこれより神変加護授受式を始めます。皆、祖の神像の前に跪いて心を安らかに祈りを捧げて下さい」
この儀式はスヴェトラーナも昔、帝都への留学時代に受けたことがある。
通常は各家庭の守護神だけに祈るものだが、今はわずかでも神の加護を授かるべく多くの神々に祈りを捧げていた。
祈る者は己のマナを神に捧げ、巫女はそれを仲介する。
光の環が巫女から波紋のように広がり、神像に当たってから祈る者の所へ収束していく。
連日夜になると皆、こうして祈りを捧げている見慣れた光景だったが、今日は違った。
捧げられたマナの返礼は巫女から神像を通過して何処かへ飛んで行ってしまう。
「どういうことだ、これは?」
「神々は私達を見放したのか?」
石舞台を囲む人々は巫女に説明を要求するが、彼女も初めての事で答えられない。
「静まれ!騒ぐな、ちゃんと加護を授かっている者もいるだろう」
実際、多くの神像は輝いて加護を返している。
返礼を返さなかったのは最も新しく、大きな神像。
「グラキエースか・・・」
信仰の復活を宣言してから他の神々と同様に神像も作った。
姿形が分からなかったので水神ドゥローレメに似せた姿にした。
「これまではちゃんと機能していたのに」
巫女が仲介したマナは神像を通過して何処かへ飛んでいった。
「もう日も暮れた。解散して明日に備えておけ」
グラキエースについては時間がある時に母にでも聞くとしてそろそろ自分の天幕に戻り少年から話を聞かなくてはならない。
コルヒーダに護衛を命じたが、そろそろ誰か実力行使をしているかもしれない。
言葉が通じてないのが何よりだったが、少年が石舞台に出現した時、皆彼の所有権を巡って言い争っていた。
見回りをしている最中にも彼は何者なのかと聞かれたが、エーバーハルト老師に聞き取りを任せている最中でまだ何もわからない。彼は自分が預かるとして皆に釘を刺している。
それでも一人にしておくと誰が夜這いをしかけてくるかわからない。
今晩は自分が傍にいてやる必要があるだろう。
「あ、スヴェトラーナ様」
近くまで戻るとコルヒーダが駆け寄ってくる。
「変わりないか?」
「それがどこからともなく光が彼の所に集まって来まして、今お呼びしようとしていたところです」
「まさかと思ったが、やはりそうなのか・・・」
本人なのか近しい存在なだけなのかは分からないが、人の手で作られた像よりはマナを奉納されるに相応しい存在だとこの世界に認識されたようだ。
「心当たりがおありですか?」
「今、加護を授かる儀式をやっていた所だが、奉納されるべきマナがグラキエースの神像を通過してこっちへ向かってしまった」
「つまりあの子が女神の関係者だという信憑性が高くなったということですか」
「そうなるな。仕方ない、母上を呼んでくれ」
「よろしいのですか?」
「ああ、私では判断に困る事態が起きたと伝えてくれ」
「畏まりました」
コルヒーダも留学時代からスヴェトラーナと共にあった人物。
森の女神とも会った事があり、スィールのマントを貰った。
新たな女神出現でもそれほど動揺はしていなかった。




