第2話 北へ②
スヴェトラーナは興味津々の群衆に解散を命じた。
「この子の面倒は私が見る。皆は早く戦の準備を」
「横暴よ!」「ずるいわ!」
「うるさい。族長命令だ。さっさと行け」
不満の声はあったが、スヴェトラーナはレナートを引っ張って自分の天幕へ誘った。
「コルヒーダ、見張りを」
「はい」
「儂は良いかの?」
「勿論、老師」
従者に立哨をさせ、エーバーハルトは転移についての知恵を借りる為に同席を許可した。
粗末な木製の机を囲み三人はようやく落ち着いて話し合いを始めた。
「いくさって?」
「ここは敵に囲まれている。明日にでも決戦が始まる。君が好き好んで来たわけではないのならすぐに帰る事だ」
「帰る前に転移の仕方を教えてくれんかの」
何の情報も無しに帰られては困るとエーバーハルトが口を挟む。
「だからボクそんなの知らないんですってば」
「しかし獣人の帝都襲撃以来長年沈黙していた転移の遺跡が稼働して君が出現したのじゃ。キミに知識が無くとも直前の行動が引き金になった筈。まずはひとつひとつ話してみてくれんかの」
レナートは話してしまってもいいのか心の中でまたペレスヴェータに問いかけたが返事は無かった。自分で考えて行動しなければならない。
「あの・・・その前に聞きたいんですけどお爺さんは帝国人なんですよね?」
「うむ。それがどうかしたか?」
「北方人のスヴェトラーナさんとは仲がいいんですか?戦争したのでは?」
以前マリアから聞いた話では帝国歴1451年に北方候アヴローラが老衰で死去し、国葬の為に帝国は帝都にエイラシルヴァ天爵を召喚したが選帝争いに巻き込まれた彼女も死去した。選帝権を二票持つエイラシルヴァ天の死を巡る混乱の中で出身地の東方圏が帝国打倒を掲げて挙兵し、さらに皇家はクーデターを起し、西方諸国も兵を挙げ、北方の諸部族もやはり反乱を起した。
「わしゃただの遺跡管理人じゃ、政治と関わりはない」
「故郷に家族とか」
「貴族の四男坊として家を追い出されて魔術の道に入り、長年ここで暮らしてこっちで家族も出来た。若い嫁さんもおるし、今はここが儂の故郷じゃ」
「私達は『帝国』という国家に反旗は翻したが、別に個人に恨みもないし彼も同胞だと思っている」
スヴェトラーナも口添えした。彼女は思ったより排他的ではないらしい。
よくみると服装も帝国の軍服を流用したもので他の北方人とは異なる。
「さ、今度は君の事を教えてくれ」
カイラス族の掟としては勝手に余所者と交わってはならないのだが、もう仕方ないとしてレナートは話し始めた。
「ボクはパヴェータ族ヴァイスラの息子のレナートです。フォーンコルヌ皇国の端っこの村に住んでいました。ペレスヴェータは叔母で精霊みたいに長年ボクの傍で見守ってくれていました。ここに来る直前は帝国貴族の兵士に追われて必死に逃げていたらいつの間にかお爺さんの前に立っていました」
かいつまんで話したのでこれでは何もわからないだろうと思ったが二人ともそれなりに頷くところがあった。
「ふうむ。ペレスヴェータは死んだという噂だったが、何らかの手段で霊体化していたのか」
「転移陣無しで転移したのか?短距離転移なら大精霊や妖精王がやってみせたというが、かくも長距離の転移は聞いた事がない」
「遠いんですか?」
「うむ。遠い」
すぐ近くに世界地図が無いのでエーバーハルトが簡単に地図を書いてみせた。
「これってどのくらい遠いんです?」
「もし陸路で故郷まで帰ろうと思ったら途中の蛮族領、アル・アシオン辺境伯領、スパーニア、サウカンペリオンを通ってようやく帝国北部に到達する。そこにつくまでに馬でも数ヶ月はかかるじゃろう」
蛮族は問答無用で襲ってくるかもしれないし、人間の王国は今の状況で旅人をすんなり通してくれないだろうから実際にはもっとかかるとエーバーハルトは補足した。
「平和な時代ならともかく今はうまくいっても一年、下手をすれば数年かかる」
「それじゃ間に合わないよ!」
「うん?」
レナートは追加で飛行船を追いかけて南下している同胞がいる事を伝えた。
「獣人が攻めてきたってのに貴族の人達は人間同士で争い合ってるし、ボク達の事は略奪対象としか見てないんだ。だからもうあんな国は捨てて逃げたいの」
「なるほどスパーニアであれば飛行船の運用も可能か。陸路での脱出よりはよほど望みがある。それはともかく君は本当にもう一度元の場所へ転移出来ないのか?」
転移以外の方法でレナートがカイラス山に帰るのは現実的では無かった。
スヴェトラーナはここに来る直前の行動を真似てやり直してみてはどうかと提案した。
「試してみるのはちょっと怖くて」
「何故?」
「ボク、夏に出発したのにいつの間にか冬になってるし」
「?まだ後三年の秋だぞ」
「雪が積もってるのに秋なんですか?『後』ってなんです?」
「ノンリート山脈はほぼ一年中雪が積もっているぞ。平原のここらはさすがに降らないが」
スヴェトラーナが周辺の気候を説明し、『後』についてはエーバーハルトが説明した。
「帝国と袂を別ったのに帝国暦を使うのもなんじゃからの。スヴェン族は北方圏の他部族に別の名称を使うよう提案したのじゃ。『北方暦』『陰月暦』『水神暦』『氷神暦』などいくつか候補を上げたが他の部族からの反発も多くてのう」
東方諸国は東方大陸諸国会議という議会を毎年のように開いて意見を調整していたのであっさり『東方暦』が決まったが、北方圏にはそういった歴史の積み重ねがなく反発が大きかった。
「北方候は亡くなったまま後任はいないし、北方圏南部サウカンペリオンは帝国に編入されていたし、西部のパッカ、マッサリアとは交流は途絶えているし、北部のゴーラ諸部族とは戦争中で、今、ここを取り囲んでおる」
かっかっか、とエーバーハルトは笑う。
「不味い状況なんですか?」
聞きたいことが山ほどあるので後回しにしていたが周囲がかなりものものしい様子なのをレナートは思い出した。
「かなりな。暦の問題もそうだが、他にも習慣の問題で昔から北部の連中とは揉めてたんだ。帝国も倒したことだし、氷神信仰を復興しようと宣言したら『そんな神は知らん、私達は水神信仰を続ける』と怒ってネヴァの他の部族が離反してしまった。そんな時、ゴーラの族長ウィーグリフが攻めてきた」
「え、えーと・・・なんで皆怒っちゃったんです?」
レナートは恐る恐る聞いた。
「経緯を話すと面倒になるが、簡単に言うと五千年前に帝国が攻めてきた時、私達の祖先は蛮族と戦うのに忙しかったから形だけ恭順した。帝国は恩着せがましい事に対蛮族で援軍を送ってやるからお前達も大地母神を信仰しろと言ってきた」
帝国の激しい攻撃にさらされた北方圏南部サウカンペリオンはあっさり信仰を捨てた。
ネヴァの人々の反応はさまざまだった。
帝国の初代皇帝スクリーヴァはほかの地方へ転戦していたので、ネヴァを抑え込むのは帝国も手を焼いた。結局、水神信仰は維持されたが手酷く抵抗していた氷神の信徒は許されず、神殿は完全に破壊され聖典も破棄された。スヴェン族の人々は細々と口伝で伝え残したが、現代のネヴァの大半の部族は既に氷神の名を忘れていた。
「私達でさえエーバーハルト老師が教えてくれなければ当時の詳しい経緯など知らなかった。五千年前は現代のように印刷技術など無かったし、書物も何も残っていなかったから記録を保存していた帝国魔術評議会の一部の魔術師だけしか知らなかった」
「スヴェトラーナ殿がウィーグリフに捕えられ、ネヴァの諸部族もゴーラの連中に隷属させられてようやく皆このままでは不味いと反抗に立ち上がったわけじゃ」
「老師や母上のおかげです」
未だ同盟に加わらない部族も多いが、エーバーハルトが資料を示し、スヴェトラーナの母が他の氏族族に対し氷神信仰を復興するからといって別に水神を捨てるわけではないと説得してどうにか連合軍が立ち上がった。
それまで大人しくゴーラに囚われていたスヴェトラーナだが、連合軍結成を聞いて脱出してヘリヤヴィーズに戻ってきた。
「なるほど。それで今追って来た敵に囲まれてるってわけですね」
「うむ・・・と言いたいところだがちょっと違う」
「?」
スヴェトラーナはぽりぽりと頭を掻いた。
「戦争は負けっぱなしでな。首都で市街戦をするわけにもいかないから少し離れたこの遺跡に砦を築いたんだ」
「帝国北方軍の残党も向こうに加わっておるから仕方ないのう」
「いやあ、やっぱり男は強いな」
「???」
スヴェトラーナの慨嘆にそういえば石舞台からここまでの道中も道端であう人は女性ばかりで成人男性は少なかったな、とレナートは思い出した。
顔に疑問符を浮かべているレナートをみてスヴェトラーナは説明が必要な事に気が付いた。
「君の母上は私達の習慣を教えなかったようだな」
「帝国で生きるなら必要なかろう」
「うん、そうだろうな」
二人して勝手に納得しているのでレナートは質問を投げかけた。
「どういうことです?」
「ここでは7歳を越えると男子はゴーラにやって蛮族と戦わせるんだ。もっと早く送られる男の子もいるが、役立たずは戻ってきて去勢されて雑用をさせる事になるが、西部に逃げてしまう根性なしもいる」
北方圏中部高地地方ネヴァは五千年前からずっと母系社会である。
優れた戦士は休暇でやってきた時に女達で奪い合う。
たまにゴーラまで降りて行って戦いながら男を探す女もいる。
男達に家族を作る権利はなく、村の運営に口を挟む事も出来ない。
実質的な奴隷になるか戦士として蛮族と戦うかのどちらかだ。
「ゴーラの人達が怒って攻めてきたのはそれが理由では・・・?」
「そうかもしれないが帝国北方軍の残党を味方につけている連中の要求は受け入れがたい。戦うしかない」
「どんなことを要求されているんですか?」
首都まで攻め込まれているのでは従うしかないのではないだろうかとレナートは思う。
「帝国奪還に協力しろだの、女は集落の運営に口を挟むなだの、俺達にも子供を育てる権利を寄こせだの、いもしない氷神信仰など捨てろなどとほざいている。氷神は帝国を悪役にする為のでっちあげ!などといってな」
獣人との激戦地だったゴーラ地方は帝国軍と協力しなければならない事が多く、帝国に融和的だった。
「うむ、以前ならまだ話し合いの余地はあったかもしれんがこちらは三千、向こうは二万。ここまで劣勢になっては今さら対等な会談は望めん。君はどうにかして転移しないと危ない。その容姿では帝国人だといっても信じて貰えんぞ」
エーバーハルトは生涯を転移陣の解析に捧げてきたが、果たせなかった。本国の部門長でも既存の定義通り帝都から各地へ転移する運用をするだけでその法則を解析することはできなかった。
レナートが再び自力で転移しないと迫る戦いの巻き添えにされてしまう。
「この子は関係ない。私が明日ウィーグリフに話す。北方軍の司令官に託せばどうにかして帝国まで戻してくれるだろう」
「しかしそれは・・・」
エーバーハルトはスヴェトラーナの事を思いやる。
「あ、それなら大丈夫です。ボクが話します」
「君が?」
「実際に転移してきた所を見てない連中は到底信じないと思うぞ。君はどうみてもこっちの子にしか見えんしのう」
月の女神アナヴィスィーケを守護神とする家系はレナートとよく似ているので、北方人にしか見えない。
「あ、そっちの話じゃなくて氷神のほう。ちゃんといますよって」
「氷神がどうかしたのか?」
「何を隠そうこのボクこそがその氷神グラキエースなのです」
えへんとレナートは自信たっぷりに言った。




