地獄編②:永遠不変にして不滅の魂
コンスタンツィアが女神の神殿に訪れた時、体はいくつにも千切れ飛んで封印されていた。八つの足、鳥のような翼。人間の女性の胴体、そして生首が床に転がっている。
「ふふ、いいザマね。アイラ」
メルセデスが律儀に靴を脱いでからアイラクーンディアの頭を踏みつけた。
そーれそーれと頭をぐらつかせる。
「何故戻ってきた。母の魂を解放した以上、妾にはもう用はないはず」
コンスタンツィアから見ると祖母達は何故か戯れているような雰囲気に見える。
怒ったような事を言っているのにアイラクーンディアは妙に嬉しそうだ。
「この子に教えてあげて欲しいの。何故母の魂を捕えていたのか。地獄とは何なのか」
「妾が何でわざわざ同じことを何度も教えてやらねばならんのじゃ!」
「話してくれないなら永遠にさよならよ」
メルセデスは踏みにじっていた足を止めて、くるりと姿を翻す。
背中を向けたままアイラクーンディアの視線を日傘で遮った。
「わかった、話す。話すからもうちっとちこうへ」
「あっさりねえ」
メルセデスがまた顔を見せると女神は嬉しそうにする。女神の尊厳も何もあったものではない。攻守逆転しただけで何十年も彼女らはこんな感じだった。
「では伺いますけれど何故メーチェお婆様の母シュヴェリーンの魂を貴女が捕えていたのですか?」
シュヴェリーンはコンスタンツィアのミドルネームでもある。
自分の名の由来となった人物だけに少しだけ興味はあった。
「転生させたくなかったからじゃ」
「転生?再び人として生まれ変わる事ですか?」
「そうじゃ」
「でもそれは世界の理では?何故転生させたくなかったのですか?」
「シュヴェリーンは我が娘エロスの魂を持って生まれたからじゃ」
恋愛の女神エロス。
愛の女神シレッジェンカーマと太陽神モレスの娘である。
羽の生えた可愛らしい少女の容姿をしており悪戯好きで、誰彼構わず恋愛関係にしてし
まう。その悪戯が原因で軍神の怒りを買ってしまい、死を迎えてしまった。
「娘の魂を永遠に手元に置いておきたかったのですか?それは不自然な行いでは?」
「神の魂は何度転生してもその本質が失われる事は無い。エロスに限らず大地母神達は転生しても不幸な結末を迎える事が多かった。それが不憫だったのじゃ」
「妾達の時代と現代では社会の常識が違い過ぎる。人間社会は大きくなり過ぎて秩序が必要になった。広く愛を説き実践すれば不道徳だと責められる」
シュヴェリーンは恋の女神の力を使って愛しい人を自分のものとしたが、長くは続かず不倫をし、幽閉中に見張りともまぐわった。より厳格な監視の下死ぬまで幽閉され続け、最後には自殺した。
「・・・シレッジェンカーマ神殿では神聖娼婦が長年・・・その・・・客に体を提供して対価としてお布施を受け取っていましたが実際に神代でもそのような行為が行われていたのですか?」
コンスタンツィアが生まれるより前にそういった行為は取り締まられて無くなっていたが、古代の神の悪しき習慣として新興宗教に否定され魔女狩りにあい神聖娼婦とその一味の虐殺も行われていた。
「うむ。愛に恵まれぬ者に愛を説き、教え、導き、与えてやるのも妾の仕える者の業務であった」
「事実だったのですか・・・」
魔女狩りから半世紀達、カーマ神殿が復興した時にはそういった行為は正統派の行いではなく裏家業の者が勝手に名乗ってやっていた事だと言われたのだが、正統派の神聖な業務だったようだ。
「食欲を満たすのも愛欲を満たすのも同じようなものじゃろ。まったく今時の人間は・・・」
「すぐ近くにいる女神の庇護下にあった神代の神聖娼婦と、それが無くなった現代では立場がまるで違いますよ」
「ま、それもわからんでもないがの。軍神の使徒、古代の英雄と言われた人間が現代に生まれてもただの狂暴な殺人鬼として始末される。ここの書庫の記録を漁ってみるがよい」
神代のまま、本質が変わらない者が人間として現代社会に生まれて生きるのは難しそうだ。
「なるほど。どうせ不幸になる運命なら転生させるのは可哀そうですね。お婆様もそういう事情だったら諦めた方が良かったのでは?」
「私、ついさっき知ったの」
「・・・・・・・・・」
何十年も戯れていたのにそんな大事な事を話さなかったのか、と呆れる。
「勝ったら教えてくれるって言われたんだもの」
「アイラクーンディア、あるいはシレッジェンカーマ。どうしてもっと早く教えてあげなかったんですか?」
「妾が何故人間に理解を求めねばならぬ!」
頭だけでなければふんぞりかえっていたであろう口ぶりだった。
「さみしかっただけだよねー」
ダナランシュヴァラが本心を衝く。
「仕方ないじゃろ。何千年もこの暗い地の底で独りぼっちだったのじゃ。ついに亡者以外の人間が訪れたのに用がないと知れば去ってしまう」
地上の人間達には神代を終わらせる争いを引き起こした邪神として知られるアイラクーンディアだったが、随分な寂しがりのようだ。
「五千年もここで獄卒達とお暮しになったのであればお気持ちは分かりますが、わたくしもここを去らせて頂いていいかしら?」
メルセデスとの戯れが終わったのであれば地獄の女神としての業務に戻って欲しい。
「それは酷いのではないか?生前はさんざん妾に加護を願っておきながら、妾を捨てて行くというのか」
「わたくし、シレッジェンカーマの信徒ではありますが神聖娼婦になるつもりなどありませんし」
「別にそんなこと強制したこともないわ。妾の生き方の真似をするもしないもヒトの勝手。それより妾に仕えれば書庫の記録は読み放題じゃぞ」
コンスタンツィアは読書狂いである。
魔術の奥義を読書の為に使い、寝ている間にも本を記憶し、起きてから他の事をやりながら記憶を反芻し、短い生涯で何万冊もの本を読破した。
「神々の裁判の記録もある。ナルヴェッラがいかにしてアナヴィスィーケの目を盗み、モレスを騙して世界から光を奪ったのか、どう裁かれたのか、全ての記録がの」
「わかりました。お仕えします。全て読み終わるまで」
コンスタンツィアは恭しく女神に頭を下げた。
「ちょっと待ちなさい。貴女が買収されてどうするのよ。彼女に地獄について聞くんじゃなかったの?」
メルセデスがツッコミを入れた。
「ああ、そうでした。では教えて頂けますか我が神よ」
コンスタンツィアは恭しく頭を下げる。
もともと自分が信仰していた女神でもあるので当然の態度だ。
「うむ、良い態度じゃ。しかしこのままでは話しにくい。いい加減解放してたもれ」
生首だけのアイラクーンディアは懇願するもメルセデスが拒否した。
「ダメダメ、また拘束されたらたまらないもの」
「しかしいくらなんでもこれは可哀そうですよ、お婆様」
「そうじゃそうじゃ、もっといってやれ」
「でもお婆様の事をあれだけ何十年もいたぶっていたんですからこうなっても仕方ないと思います。ひとまず封印はこのままで別の体に精神だけ移して話して貰いましょうか」
罪人を強制転生させ再死させ続ける為の素体が山ほどあるので、メルセデスも同意し女神の仮の肉体とした。




