地獄編:地獄の夢魔メルセデス
「リブテイン人ポーター。本名ペイバック・コーマガイエン。お前はヴィターシャ・ケレンスキーを利用して帝国を破滅させ大量殺人を行った。お前は無間地獄に落としてもまだ生温いわね」
コンスタンツィアは毎日死者達にどこの地獄へ落とすか言い渡していたが、数が多すぎて裁ききれずある程度団体で放り込むようになっていた。
しかし、今日の罪人には遺恨があり死者の魂に介入し、意識も目覚めさせる。
そのうえで自ら直接言い渡した。
「おや?コンスタンツィア様ではありませんか」
「何か言いたい事はあるかしら。説明は必要?」
「いえ、うっすらとは把握しておりました。私怨で地獄の沙汰を決めるのですか?」
「お前はわたくしの親友を裏切った。最後まで傍にいると誓ったのに」
帝国を崩壊させ何億人死なせようとそれはどうでもよかった。
だが、親友への誓いを裏切って薬漬けにして家族の仲を引き裂き尊厳を破壊して捨てたのは許せなかった。
「引き返せないところまでやってしまったから彼女は私についてきただけ。私を信頼していたわけではありません」
「外道が」
コンスタンツィアは歯噛みする。
全財産を捧げ、家族を捨ててでもついていった親友は最後にゴミのように捨てられた。
「彼女とはお互い利用し合う関係だと話はついています。部外者に裁かれる謂れは御座いません」
「謂れが無くとも地獄の女神に任されている以上、裁かせて貰うわ。神々も大量殺人については別にお怒りではない。お前は神の名を利用してまで誓った事を裏切った」
「神なんぞクソくらえですよ」
槍持たぬ裁断者の書にぶ厚いページが追加される。だが、誰も気にしていない。
どうせ無限に等しい期間地獄で苦しむ事になるのは変わらない。
「お前はどの地獄に落としても涼しい風をしていそうね」
「地獄なら生前にたっぷり味わいました。どのような苦痛でもあれよりはマシでしょうね」
「なら彼にとっての地獄をもう一度見せてあげればいいじゃない」
「お婆様?」
裁断者の間には普段コンスタンツィア以外の人間は数人しかいなかったのだが、唐突に彼女の祖母メルセデスが現れた。
「どうしたんですか?アイラクーンディアは?」
「彼女はようやく食あたりを起こしたみたいね」
「では、解放されたんですか?」
「ええ、ようやくお母様の魂は輪廻の輪に戻った。長かったわね・・・」
第四帝国期最悪の魔女と言われたメルセデスは若い頃の過ちで母を絶望させ、自殺させてしまった。
母の魂を追って地獄にたどり着き、女神に解放を迫ったが彼女も捕らわれたまま何十年もの月日が過ぎていた。だが、とうとうメルセデスは目的を果たした。感慨にふけっている祖母にコンスタンツィアは話を戻させる。
「それで、先ほどのお話ですけど」
「ああ、そうね。この男は第二次市民戦争で地獄を味わった。大叫喚地獄でも無間地獄でもこの男はあれよりはマシだと思うでしょう」
「その通り。拷問など望むところです。むしろ罰して貰えるのをずっと待っていました」
「でしょうね。あの時の事をずっと悪夢で見続けていたのだから」
「随分詳しくご存じなようですね」
「ええ、貴方も聞いた事があるでしょう。民衆派のメルセデスの名を。革命の支援者としてあの悲劇を申し訳なく思っているの。だからお詫びを兼ねてご褒美をあげる」
「貴方が革命の黒幕ですと?」
ペイバック・コーマガイエンの意識は強制的に夢の世界へと引きずり込まれていく。
その意識の中でメルセデスの名を思い出しつつあった。
民衆派メルセデス、ダルムント方伯家のメルセデス。
幼い頃に老化を止める秘術を開発しマグナウラ院を最年少で卒業した天才児。
成人後は常に幽閉されながらも帝国各地で目撃され多くの者を惑わしたという最悪の魔女。
ペイバック・コーマガイエンが意識を取り戻した時、それはまだ14世紀後半の少年時代だった。
学校で一番の成績を取り、初めて父親に褒められ、犬を貰った日。
妹が生まれ近所の人たちにもお祝いを貰った日。
憧れの近所のお姉さんが嫁ぐ事になり、拗ねていると頬にキスして貰い、泣きながら祝福した日。
幸せな日々だった。
しかしある日、唐突に民衆と貴族の戦いが始まった。
帝国の横やりで経済制裁を受け、民衆も貴族も飢えに苦しんだ。何ヶ月も封鎖されて、倉庫から食糧が無くなると人々は争い合い、奪い合った。闇市場に人肉らしきものが吊られるのも時間がかからなかった。
妹は栄養失調で死に、嘆く暇もなく近所の人に食べられた。復讐で隣人達が争い合い、その死体を食べて飢えを凌いだ。気が付いたら憧れの人も食べていた。
最後には父も母も骨になるまで食べつくした。
経済制裁が解かれ、各国から救援物資を持った人々が来た時、生き残りはほとんどいなかった。
彼は哀れまれ、義援金で進学したが、人肉を食べたと常に軽蔑されながら成長し偽名を使い出身地を隠すようになった。
ペイバック・コーマガイエンはメルセデスが見せる夢の中で幸福な時代の記憶を呼び起こされた後、再びあの日の地獄に戻された。復讐の狂気に陥っていたペイバックは夢見術で正気に戻され、無垢な少年時代まで記憶をリセットされ何度も何度もそれを繰り返し続けた。
「ふふ、こんな悪夢何度も見てきたと思っているかしら?」
「それでも辛いですよ。残酷ですね」
「あら、まだこんなものじゃ済まないわよ。貴方が生涯見て来た悪夢は貴方の精神の均衡を保つ為に捻じ曲げられている。私が真実を再現してあげるわ」
飢えた人々は我が子を隣人と交換しお互い、殺し合って食べ合った。
ペイバックは妹を親に連れて行かれそうになり、自分の手で親を殺した。
ペイバックは妹にもそれを食べるように言ったが、妹は彼を蔑み、呪った。
怒った彼は自分の手で妹を殺して食べた。食べきれない肉は闇市で売って後の立身出世に使った。
あの時は皆、異常だった。
毎晩毎晩、人々は憎しみ合い殺し合っていた。
窓も木の板で打ち付け、家に誰にも入って来ないよう必死に抵抗していた。
ペイバックはおかしくなっていた。
自分が何をしたのか分かっていなかった。
だが、ようやく真実を思い出した。
あるいはメルセデスの魔術で捏造された記憶かもしれない。
だが、彼はこれまで見て来た以上の悪夢を真実として体験する事を繰り返し始めた。
自分の妄想か、メルセデスの捏造か、大切な記憶さえも本当の記憶かわからなくなる。
何度も発狂しては殺され、新しい肉体を与えられて同じことを永遠に繰り返す。
◇◆◇
「さて、お婆様ようやく落ち着いて話せますね」
「そうね、でも貴女ちょっと律儀過ぎない?」
「何のことです?」
「地獄の裁断者の代わりを務めていた事よ」
メルセデスは孫娘に呆れた視線を向けた。
「暇でしたし。たまたま開いた本にどうしたらいいのか載っていたから」
「だからって地獄の女神の代わりをする?」
「この人、生前から真面目過ぎたから・・・」
メルセデスとコンスタンツィアの会話にダナランシュヴァラが口を挟み、他の地獄の住人達も陽気に笑う。
「そんなことよりお婆様はどうやって解放されたんです?しばらく前に何か大きな衝撃波が世界を駆け巡りましたが・・・」
「世界中の死者の魂をアイラクーンディアに送り込んだのよ。吸収限界にきて弾け飛んじゃったわ」
「まさかその為にわざと何十年も捕まって凌辱を受け続けて来たんですか?」
「ほんとはもっと早く終わる予定だったのよ。でも貴女が死者を裁き始めたから遅くなっちゃったわ」
メルセデスは孫に文句を言った。
「そうならそうおっしゃって頂ければ良かったのに」
「捕らわれた状態でそんなこと出来るわけないでしょ。でも貴女の夫のおかげで大分助かったわ」
「エドが何か?」
「アラネーアを倒してくれたでしょ。力の多くを分けられたあの神獣が死んだおかげで一気に飽和状態になってたの」
「その件ですか。私はそのおかげで地獄に縛られているんですけどね」
「自分で選んだ結果でしょ」
愛する者を命かけて守る、愛の女神の奇跡に頼ったコンスタンツィアは代償として死後女神のしもべとなる運命だった。
「地獄に落ちるとは思いませんでした」
「ある意味自殺だからね。ま、別の理由もあるけど」
「地獄に落ちたのは多くの命を奪ったせいかと思っていましたが・・・」
「ほんとに生真面目な子ねえ・・・。正当防衛でなんで地獄に落ちなきゃいけないのよ」
メルセデスはまたも呆れる。
コンスタンツィアは類まれな力と才能の持ち主だったが、その力で引き起こされた結果を受け止めるには精神が常識人過ぎた。
「古代の英雄なら何万人殺してもむしろ自慢してるところよ」
「もうそういう時代ではありませんよ、お婆様」
「メーチェって呼んで」
メルセデスはことさら可愛らしく振舞い、孫娘を見上げなら不満そうに訴えた。
「・・・・・・」
「何か言ってよ」
孫の冷たい視線に耐えられずメルセデスの方から口を開く。
「それで大量殺人の罪でなければ何故わたくしが地獄に?お婆様が呼んだからでは?」
何か言えというのでコンスタンツィアは話を戻した。
「めーちぇ・・・」
「はいはい、メーチェお婆様」
仕方なくコンスタンツィアは愛称をつけて呼んだ。
「しょうのない子ねえ」
「ボクはメーチェさんって呼ぶね」
「ありがとう、ダナランシュヴァラ様は優しいのね」
よしよしと頭を撫でるメルセデスだが、背丈はあまり変わらない。
「同じ家系とは思えませんね」
身長180を越えるコンスタンツィアとは大人と子供ほどの差があった。
とはいえ出る所は十分出ているのは血筋でもある。
「さて、貴女が地獄に落ちた理由だけどそれは単純、この裏にいる地獄の女神アイラクーンディアこそが愛の女神シレッジェンカーマだから」
「なるほど」
「あまり驚かないのね」
「私が行くべき地獄が無かったので。それにしてもこの地獄とはいったい何なのです?誰がこんな悪趣味な世界を作ったのですか?アイラクーンディアですか?」
「ここは彼女の聖域だけど、地獄界を作ったのは天の神々よ。さて、カーマの所に行きましょうか。どうせ彼女も巻き込んだ話になるし」
「?なんのお話ですか?」
メルセデスの目的がアイラクーンディアに捕らわれた母の魂を取り戻すことならばそれは成就したのではないか。まだ何か話があるのかとコンスタンツィアは問いかけた。
「神の魂を持った人間達を地獄に堕とすのよ」
「何の為に?」
「世界を再編する為に」




