第60話 ”神の拳”マッカム
「旦那様はどうなさるおつもりなのですか?」
ショゴスから徹底抗戦の意思を伝えられ、共に戦おうと書状が送られてきたエンマが夫に問う。
エンマはショゴスから降伏したクールアッハの旧臣に連絡を取り内部からこちらに協力させるよう求められていた。バントシェンナ王の勢力は急激に拡張したが、もと男爵に過ぎない彼の所に膨張した諸侯の管理を出来るような官僚がいる筈もない。
実際はいつ裏切者が出てもおかしくはない状態。
まだつけいる隙はあるというものだった。
「ツィリアは裏切られる前に家臣を集めて軒並み処刑したらしい」
「彼女は昔から被害妄想と強迫観念が強かったから・・・」
社交界にあまり顔を出さなかったツィリアだが、エンマやマッカムとは学生時代に設定があり、その頃から彼女の病的な所は話題になっていた。
終末的世界においては猜疑心が強いツィリアの方が案外生き残るのかもしれない。
君主としては最悪の人間だったがこれまでは兄のダンがうまくフォローしているので国家としてはまだ機能している。
「そんなことより・・・数十万どころじゃない。たぶん亡者達は数百万はいる。もう生存者同士が戦ってる場合じゃない。どうして誰もそんなことに気が付かないのか」
マッカムは嘆いた。
彼の城がある”神の拳”と言われる台地を囲む大地峡帯には亡者の死体が折り重なるように積もっていた。地平線の向こう側から亡者が続々とやってきて谷へ落ちてさらに積み重なる。
上から油を撒き、小枝を落として火をつけているが最近は燃えカスの中から再び立ち上がる亡者が増えてきた。日に日に谷底が上がっていき、いつかは亡者の橋が出来てコルヌ地方からこちらに渡って来そうな勢いだった。
「とにかくバントシェンナ王の家臣にここまで来てもらってあの谷で起きている現実を見て貰う。蛮族だって構わない。もう戦争なんてしてる場合じゃないってことを分かってもらわないといけないんだ」
感染する亡者の群れはあらゆる生物の脅威である。
コルヌ地方の住民の生存は絶望視されていた。何百万という人間が全て亡者化してここに押し寄せて来たらまたたく間に谷は埋め立てられてしまう。
「・・・敵をこの城に引き入れるのは反対という人も多いようですが」
「敵とかどうとか、そんなことはもうどうでもいいんだ。いちいち気になど・・・うっ、なんだ!?」
下から突き上げるような地震が彼らを襲った。
机のコップや花瓶は激しく撥ねてから地面に落ちて割れてしまう。地震とは思えぬほどの轟音もあった。
「またか!」
しばらく前にも爆発音が地域全体に響き渡る事があった。その後、ダカリス地方では火山が連鎖噴火したらしい。噴煙が流れてきて日光が少しづつ遮られ、薄暗い日が続いていた。
地震が収まり城内の被害報告を受けていると、大きな騒ぎがあった。
そこへ駆けつけてマッカム達は愕然とする。
「谷が崩れている!」
「亡者がこちらに渡ってくるぞ!」
◇◆◇
物見塔に登り、望遠鏡で状況を確認したマッカムは新種の亡者を確認した。
辺りは崩壊で巻きあがった土煙で視界がはっきりしないのにソレだけは影がはっきりと浮かび上がっている。
「なんだ・・・あれは、とんでもないデカさだ」
ずしんずしんと地響きを立てて近づいてくると姿の詳細が見え、異様さが際立つ。
過剰に太った体型で他の亡者の数十倍か数百倍の重量があるだろう。
飢えているのか時々他の亡者を摘まみ上げて口の中に放り込んでいた。
「新種か、たまに動きの素早い奴はいたがこれまでとは全然別物だ」
防壁上から兵士達が迎撃射撃を始めるが銃弾では埒が明かないし、まだ射程距離外だ。
巨大さのせいで距離を見誤っている。
「撃つのを止めさせて大筒と火炎放射器を集中させろ」
伝令がすぐに現地に魔術の通話を行ってマッカムの指示を徹底させる。
その亡者は崖をよじ登ろうとしているが、側面から指を撃たれ、果たせずに滑り落ちる。
だが、その亡者の巨体をよじ登って”神の拳”たる台地に亡者達がついに辿り着いた。
数体から数十体、そして数百体へ。
撃っても撃ってもキリがなかった。
「終わりだマッカム」
学生時代からの友人が呆然としている総司令官に告げた。
「終わり?」
「そうだ、今後の事を考えよう。今すぐに」
現場の兵士達は必死に戦ってくれている。
指揮官はやるべきことがあった。
これがもう負け戦になると確定していたとしても。




