第58話 ヴォーリャの帰還
レナートと別れた後、ヴォーリャは怪我を治す為に数日潜み、それから一週間かけてカイラス山へと戻った。
そこで既に多くの兵士が入口周辺を固めているのを発見し、どうしたものかと思案していると夫とスリクがその兵士達と行動を共にしていることに気が付いた。
捕まっているのかと思えばそうでもない様子に不審を感じて合図用に持っている笛を吹いた。鳥の鳴き声によく似た音色が響き、二人ともはっと気が付いて夫だけが馬を操って彼女の所へ近づいてきた。
ヴォーリャは念のため木陰に隠れていたが、兵士達も別に夫を追いかけるでもなく、自由にさせているので警戒を解いて、夫に話しかけた。
「ここだテネス。どうなってる?」
「無事だったか。スリク!こっちだ!」
テネスはスリクも呼び、ヴォーリャは夫を馬上から抱き下ろし、皆で情報交換を始めた。
「あたしらは移動方法を読まれてて、網を張られて墜落してバラバラになっちまった」
「レナートも?」
「あの子は・・・あたしの為に敵を引き付けて森の中を走って逃げた。そのあとは分からない」
「そんな・・・あいつ一人だけなんですか?」
テネスとスリクは交互に質問する。
「ああ、悪い。あたしは怪我をして今までろくに動けなかった」
ヴォーリャがいるからには無事だと思っていたスリクははた目にもわかるように肩を落とした。
「今までここらにいなかった蛮族を見かけたからあたいらは二手に分かれて、伝える為にいったん戻る事にした。そこで網にかかった。サリバン達はまだ南に向かっている筈だからどうにか警告してくれとレンには伝えてあるんだが・・・ここはどうなってる?」
「じゃあお前と一緒にいたのは他に誰だ?レナートとお前だけか?」
「いや、ケイナン先生とアルケロの二人も一緒だったが彼らがどうなったかはわからない。で、こっちはどういう状況なんだ?」
「ここにいるのはバントシェンナ王の手勢だ。こっちにフィメロス伯の兵士が強襲してきて、みんなやられた。オルスもだ」
ヴォーリャが警告する前にすべて事は済んでしまっていた。
「オルスさんが?嘘だろ?」
「本当だ。アルメシオンとアイガイオンが攻めてきて、一人で戦って敗れた」
「アルメシオン?アイガイオン?そんな馬鹿な事があるか?アイガイオンは死んだはずだ。ちゃんと死体を確認した」
「何か邪法を使ったんだろう。アルメシオンは父親の遺体を引き取りにきてそのままフィメロス伯に協力したらしい」
「くそっ、またあたしのせいか・・・。もうヴァイスラさんにもレンにも会わせる顔がない」
「お前のせいじゃないだろう」
テネスはそう慰めたが、ヴォーリャは頭を振った。
「あたしはアルメシオンに四肢を斬り飛ばしてやるなんて言われたから、頭にきてあいつの腕を斬り飛ばしてやった。あんとき、遊んでないで殺していればよかった。あたしが馬鹿な意趣返しをしたのが全部悪いんだ」
テネスはそれ以上は慰めず、ただ悲しんだ。
「お前達を襲ったのもフィメロス伯だったか?」
「そういわれるとそうかもしれないが、突然の事だったからよくわからない」
帽子に特徴のある羽飾りをつけていたから確かにフィメロス伯の手勢といわれればそうかもしれない。
「しかし、あいつらに山中であたしらを上回る部隊行動が出来るってのか?」
「実際やったんだからそうなんだろうが、かなりの練度だな」
「それでこっちの損害は?なんでバントシェンナ王の兵士がここに?」
「死亡者は約二百人だ。子供ら以外はほとんどやられた」
「大人はほとんど全員?本当にそこまで徹底的にやられたのか?」
ヴォーリャは信じられなかった。
襲撃には十分気を付けていたし、避難訓練までしたのに。
「奇襲だった。完全な。偵察の順路も敵に筒抜けだった。裏切者がいたんだ」
テネスは裏切者は昔、処刑した男達の子供だとヴォーリャに告げた。
偵察順路を書いた地図が彼に盗まれていた。
「くそっ、どうして情けをかけるとこうなる!」
ヴォーリャは運命の神を呪った。
「裏切者は敵を隠し通路から、最下層の大空洞や宝物庫まで導いた。それで最長老が竜を目覚めさせて敵ごと自爆して亡くなったんだ。竜はオルスが倒して鎮めてくれたが、そこであいつは力尽きた」
「そうか・・・さすがオルスさんだ。最後になにか言い残さなかったか?レンに伝えてやらないと」
「最後を見届けたのはドムンとシュロス殿だけだ。遺体は大空洞に埋められたそうだ」
「そこへ弔いに行っても?」
「大丈夫だ。フィメロス伯の兵はバントシェンナ王の兵士を追い払ってくれた。もう戦いは終わってる」
「で、なんでバントシェンナ王の兵士がここに?」
「スリクが神鷹を送って助けを求めた」
「・・・早すぎやしないか?」
手紙で救助を求められて国の軍隊がそんなにすばやく山の中を抜けて助けにこられるか?とヴォーリャは不審に思う。
「もともと連中の動きを警戒してたんだとさ」
自分達の勢力圏で敵国の軍隊が動いていたので近くに対抗できる兵力を用意していたと言われると確かに理屈は通る。
「だからって手紙だけで信じるか?」
「それなんだが、ラスピーって子がいただろ?」
「ああ、あいつがどうかしたのか?」
「半獣人だった。スリクの神鷹の手紙だけじゃ信用して貰えないだろうって正体を明かして獣化して狭い通気口から助けを求めにいってくれた」
「ああ、そういうことか」
それからテネスとスリクは死亡が確定した同胞の名を一人ずつ教えていった。
「ファノがまだ見つかってない?」
子供達を任されていたスリクがその時の状況を説明する。
「御免、あの日はレンがいないから拗ねててみんなと一緒に遊んでなかったんだ。ヴァイスラさんは地下で研究班に協力してて誰も傍にいなかった」
死体がないならまだ望みはあるが、地下は子供しか入れないような亀裂がたくさんある。
可能な限り塞いだが、転落死してしまうような穴も無数にあった。
目の見えないファノが彷徨ってどこかに落ちていたら、時間も経ちすぎているし生存は絶望的だった。
「ロスパーもいないのか」
「何人かは竜が暴れた時に開いた門の向こう側へ逃げたらしい」
「じゃ、追いかけなきゃ駄目だろ」
「それが、オルスが竜を倒したらまた誰も入れなくなった」
「そうか・・・それで他のみんなはどこへ?」
「皆は、というか戦える者は神器を持ってバントシェンナ王の都市へ移動した。新族長マリアの決定だ。マルーン公に復讐する。それから神器を王に譲る代わりに獣人の支配の及ばない所に土地を貰う方針だ」
テネスとスリクは生き残りの捜索と遠征隊とバントシェンナ王の兵士が鉢合わせして誤解しないようにここで待っていたという。
「そうか。じゃあ、あたしはここに残るよ。ファノを探して、レナートを待つ。スリクは皆の所に行くといい」
「・・・そうします。レンの事お願いします」
「ああ。お前も気をつけてな」
父も母、叔父も殺されたスリクは復讐を胸に生存者達の下へと向かっていった。
二人はスリクを送り出し、それから夫婦水入らずで野宿を続けた。
彼らはシャモア河の決戦には加わらなかった。
◇◆◇
バントシェンナ王の派遣部隊も合戦があるからと早々に引き上げていった。
多少学者らしき者が残っているが、まとまった部隊はもういない。
「あたしはバントシェンナ王の所へ行きたくない」
「ま、そうだろうな。お前ならそういうと思った」
ヴォーリャ達は蛮族と五千年間戦ってきた。今後もずっとそうだと思っている。
「それに今回の件、手際が良すぎて信じられない。あんたを出し抜いてここの強襲に成功したなんて」
「魔導騎士らが鎧を脱いで待ち構えてたんだ。さすがに俺も気が付かない」
「救援も早すぎる」
ヴォーリャとしてはやはり腑に落ちていなかった。
「もともとフィメロス伯の部隊は遺跡の調査で軍を広範囲に展開していたらしいからな。ここはバントシェンナ王の領地からも近いから警戒されて近くに軍がいた」
「わかってるが・・・助けてやった見返りに神器は頂いていくってのがな・・・」
「勘か?」
「まあ、そうなる」
助けて貰ったのは事実なのに何か裏があると夫に告げる。
「実は俺も胡散臭いと思っていた。だが、フィメロス伯との敵対は決定的だ。山野で何十人も子供を抱えておくのも無理だしマリアの判断は間違ってはいないだろう」
何か裏があったとしてもフィメロス伯の軍勢に同胞が虐殺されたのはスリクもテネスも目の当たりにしている。なんにせよ報復の意思は変わらないだろう。
「ま、いいさ。もうお貴族様の争いには関わりたくない」
「そうだな」
「んじゃ、あたしらだけでもここで暮らすか」
「ああ、墓守にでもなるさ。後は若い連中に任せて静かに暮らそう」
テネスは動かない半身を酷使してここまでやってきたが、古い幼馴染が殺され、多くの同胞が殺害され、皆の遺品処理でもう疲れてしまった。復讐心よりも疲れが先に来ている。
裏切った子供も竜に潰されて死亡しているし、もうたくさんだった。
「お前は好きにしてもいいんだぞ」
「馬鹿いえ、あたしもここで一緒に暮らすさ。原始人みたいな生き方でもいい」
若者の生き残りは復讐の為にバントシェンナ王に協力することになったが、彼らは戦いから身を置くことにした。




