第56話 捕囚
バントシェンナ王ニキアスは戦いが終わり、グランディを連れて自身の城へ戻ってきた。
家臣には引き続き攻勢を命じてあったがシャモア河の戦いの後、しばらくして世界が割れるような空気を切り裂く轟音が荒野にも山々にも木霊した。
その影響か各地で河が逆流したり、火山が噴火したりと天変地異が起きて戦争どころではなくなっている。
ニキアスも撤退する敵の追撃を断念し帰城せざるを得なかった。
当面は情報収集と人心掌握に努めなければならない。
「さて、グランディ。ようやく落ち着いて話せるな」
せっかく捕虜にしても忙しくなかなか話す機会が無かった。
グランディは当初敗北を認めなかったが、諸侯が撤退し、蛮族が徘徊する街中を通ってヴェニメロメス城まで連行されるともう認めざるを得なくなった。
「どうするつもりです。私まで生贄として蛮族に差し出しますか?」
「早死にしたくなければ連中の事は『獣の民』と呼ぶことだ。勝てない相手に意気がると後悔することになるぞ。昔のように」
「あの時、アルメシオンの前に立ちはだかってくれた貴方はあんなにも勇敢だったのに。その勇気は何処へ?」
「義理と忠誠心でやったことだ。勇気からの行動ではない。お前こそ昔は慈愛に満ち、信義を通す女だったのに何度も誓約を破った」
ニキアスは視線を護衛の騎士カーバイドに送った。怪我は完治していたのに、レナートにした約束は破られて彼は砦に捕えられたままだった。
「さて、そんなことより俺の妻となる決心はついたか?」
「まだそのような戯言を?騙し打ちを受け、目の前で多くの家臣を殺されて承諾する筈がないでしょう」
ニキアスは哀れみの視線を向け、拒否するグランディに手を伸ばした。
「そんな目で見ないで」
ニキアスはそれを無視し右手で彼女の頬を撫で、それから腰に手を伸ばし、自分に引き寄せた。
「無理やり私を自分のものにしようとするなら寝込みを襲いますよ」
抵抗しても無駄だと悟っているのでここではグランディもされるがままになっている。
その彼女の耳元に口を寄せてニキアスは呟いた。
「愚かなグランディ。この俺がまさか恋愛感情や肉欲でお前を手に入れようとしているとでも思ったのか?」
「なんですって!」
されるがままだったグランディーも女性としての尊厳、誇りを傷つけられて怒りを見せ、ニキアスの胸に手をついて離れようとする。その彼女を再び強引に抱き寄せつつ、椅子に座り自分の膝の上に乗せて呟いた。
「愚かなグランディ、哀れなグランディ、不幸なグランディ。お前はマルーン公になどなるべきではなかった。今ならお前にはまだ利用価値がある。お前が俺の妻となり、諸侯に降伏を命じるのならば」
「蛮族に、悪になど屈して溜まるものですか!」
「悪はお前ではないのか?ウカミ村の人々を再三襲撃しておいて。あのレナートの父親はフィメロス伯の襲撃で死んだそうだ。三年前の襲撃を生き延びた人々も、今回の襲撃には耐えられずほとんどが死亡してしまったぞ」
「そ、そんなこと聞いていません」
グランディは否定したが、会戦前のフィメロス伯の様子がおかしかったこと、彼が提供した兵力が予定よりも著しく少なかった事からニキアスの発言に真実が含まれている事を内心では認めざるを得なかった。
「では、何故ドムンや生き残りが俺に味方をしてお前と戦ったと思うのだ?家族、同胞の復讐以外に何がある?」
「あぁ・・・・・・やっぱり、そうなのね」
砦で一度ドムンの顔を見かけたような気がした。
激しい憎しみの灯る目で見られていた。
「お前を殺せばレナートが悲しむだろうし、そこまでは求めていないそうだ。俺もお前を殺されては困るし、部下がやったことだ。お前にそこまで責任は無いだろう。しかし、あんな男を使っているお前に正義を語る資格はない」
「・・・・・・」
もはやグランディは抗弁せず項垂れるのみ。
「俺はな、お前を脅迫しようと思えばいくらでもできる。拷問してもいいし、無辜の民を使ってお前のを脅してもいいし、お前の幼い妹を利用してもいい」
「なんですって?」
「カートリーだったか?年の離れた妹が出来てたいそう大事にしていたのだとか。お前が無理をしたのも妹を利用される前に自分が、と思ったのだろう?」
「あの子を使って脅そうとしても無駄です。アンクスが守っている公都は容易に落ちませんよ」
「手引きする者がいれば別だ」
「あの子は大切に守られています。誰も手出しなど出来ません」
「そうだな。しかし家族同然に育てられたお前の騎士なら別だ。スタンから連絡があった、近いうちにこちらに着く」
スタンは幼いころにグランディが拾ってやった孤児である。
彼女の従者として育ち、家出した際にもついてきて生活費を稼ぎ、剣の才能を見込まれて騎士修行を経てとうとう彼女の騎士となった。
「スタンが裏切る訳がありません」
「お前の為なら別だ。愛しいグランディ」
ニキアスは再びグランディをの背中に手を這わせて引き寄せる。
「どうしても嫌なら無理強いはしない。拒否されても意趣返しにお前を晒しものにしたり、無意味にいたぶったりはしない。ただの女としてこれまでの敗戦者達と同様に扱うと約束する」
「・・・どうせ裏があるんでしょう?そういう事をいう男を信用しません」
「いや、言葉通りだ。裏などない。特別扱いはしない。自分でいうのも何だが、裏があった方がマシだ。お前を特別扱いをしてやりたいとさえ思っている」
「どういうこと?」
グランディは本当に分かっていないのか、ニキアスに問いかけた。
「愚かなグランディ、お前は我々の市民階級制度を調べた筈だ。最後まで抵抗したものはもっとも下の階級におかれる」
すなわち蛮族の生贄候補だ。
「お前を殺したくない。お前が食われる所を見たくない。本心からお前を助けたい。だが、獣の民はお前が思っているより遥かに知性が高いし、こちらの状況をよく知っている。お前が何の役にも立たないと知れば、俺がお前を特別扱いしていると知れば俺を脅す為にお前を俺の前でむごたらしく殺すだろう」
「私は・・・死を恐れません」
言っている事は勇ましいが声に力は無く、ニキアスにされるがままだった。
「俺は恐れる。父が戦死し、弟や妹達が捕えられた。しかし、俺はこの城に籠城してなおも戦った」
「それで・・・?」
「城門の前で幼い弟達は一本一本腕をもがれて食われた。泣き叫んで俺に助けを求める姿を見て俺は後悔した。もっと早く降伏していれば、と。お前も後悔する。カートリーがお前の目の前でバリバリと貪り食われ始めれば。どうして意地を張ってしまったのか、と。俺はお前に俺と同じ後悔をして欲しくない」
膝の上に乗せたグランディと暗い目をしたニキアスは目を合わせた。
「・・・・・・」
「お前に考える時間をやってもいい。だが、そう長くはない。俺も恨まれて寝込みを襲うような女を側に置きたくない。お前に命じられずとも勝手に降伏してくる諸侯が増えれば増えるほど、お前の利用価値は無くなっていく。我々の市民階級制度は諸侯に既に告知した。早めに降伏した者は身近に少しばかり猛獣が増えるだけで済む」
「人を狙って食らう凶悪な隣人です」
「付き合ってみれば分かるがそんなのは全体の一部でしかない。平民達にとって貴族が隣人であるようなものさ。気まぐれでタチの悪い貴族の横暴で殺される。それだけだ。慣れればどうってことは無い」
逞しい事にバントシェンナ領の民衆は慣れてしまったようだ。
グランディの体から力は抜け、もはや抵抗しようともしていなかった。
「本当にもう一度よく考えてみてくれ。妹の為に」
ニキアスはそれ以上何もせず、彼女に部屋を与えて監禁した。
その後、カートリーが到着し、フィメロス伯、キャメル子爵家でクーデターが起き、当主が捕えられヴェニメロメス城へ送られると、グランディもとうとうニキアスの妻となる事に同意し、諸侯に降伏を呼びかけた。




