第37話 空に浮かぶもの
「なんだありゃあ・・・」
「さあ、見た事ないが人工物に見えるな」
ガンジーンは望遠鏡を覗き込みながら呆然としていた。ヴォーリャも望遠鏡を見て生物では無さそうだと判断する。その物体は東の空を南へとゆっくり進んでいるように見えた。
「指揮所に連絡を取ってみるか。レナートも来てくれたことだし」
”止めなさいレナート。魔力を使った通信は盗聴されるかもしれない”
ペレスヴェータがレナートに囁き、それを伝えて止めさせた。
「スリクの鷹で竜顕洞の入口の見張り番に伝えて貰った方がいいかも」
「おう、それがあったか」
スリクが急いで手紙を書いて送り、しばらくしてオルスが知識人達を連れてやってきて望遠鏡を使いその物体を確認した。
エレンガッセンは確かに人工物であると断言した。
時の神の神官シュロスがあれは飛行船だろうと推測を述べた。
「飛行船?」
オルスが尋ねる。
「私が若いころは帝都の近くでも魔術と科学技術を利用した実験飛行が行われていたものです」
魔術は基本的に長時間連続使用は出来ないものだが、移動し続ける船ならば土地のマナを使い切ることは無いので可能となる。
「40年前くらいにスパーニアとフランデアンの間で戦争に利用され皇帝陛下が世界中で運用を全面禁止されました」
「皇帝が?」
「彼は天文学者でもあり、空に人工物が浮いているのを好まなかったとか」
40年前となるとオルスでもまだ幼児だったころであり、大半の人間が知らないのも無理は無かった。
「スパーニアといえば・・・あの飛行船にその紋章があるように見える」
望遠鏡を受け取って観察していたボポイスがオルスに告げた。
「スパーニアの紋章?既に滅亡した筈だが」
「しかし太陽神の紋章を掲げるのはあの国くらいだ。色は違うが確かにスパーニア紋に見える」
その紋章はスパーニアの象徴だった赤では無く黒だった。
「マリアの話では蛮族と組んだ東方軍に旧スパーニアの連中がいるという話だったな。ちっ遠征隊にマリアを入れるんじゃなかった」
オルスは最近マリアを遠征隊に参加させた。カイラス山の守りに必要なので長距離遠征には参加させづらいが次期族長として指名している彼女に多くの経験を積ませたかった。
◇◆◇
数日して遠征隊が戻ってきたが、彼らは上空の浮遊物に気が付いていなかった。
サリバンは今後上空にも気を付けようと行動計画を修正した。
「ひとまず我々の報告を先にしよう。俺達はとうとう帝都の北西部、マリアの故郷にまで到達した。残念ながら彼女の故郷は完全に破壊されていた。帝都を見下ろせる位置にまで行ってみたが、やはり廃墟だった。人の姿は無く蛮族や魔獣の姿もまばらでそれほどの数はいない。しかし、その北のラムダオール平原に怪物がいた」
遠征隊のメンバーはそれを発見した時、何かの冗談かと思った。
毛むくじゃらで巨大な牙を何本も生やした象の姿をしていた。あまりにも巨大すぎて山が動いているかのようであり、その背からは羽の生えた蛮族が飛び立っていた。つまりその生物の背中を棲み処にしているのだ。全長10クビト《5000m》はあろうかという巨体だった。
霧と共に移動しており、現実感が希薄だったという。
「おそらく神獣でしょう」
シュロスの推測に幾人かが同意する。神代に神々から離反して獣人と共に北に去った神獣が戻ってきたのだ。
「四十年ほど前に神獣と思われる怪物と蛮族の群れがアル・アシオン辺境伯領を襲いました。帝国最強の軍事力を持つ辺境伯でも撃退するまでに約10万の死傷者を出しています。そして神獣の死体は腐り果て、その地に呪いを振り撒き不毛の大地となりました。あれと同等の強さであればもう中央政府が崩壊した帝国では・・・どの皇国にも勝ち目はないでしょう」
「俺は蛮族とも神獣とも戦う気はないよ。シュロス殿。で、サリバン。お前から見て帝都の北部を抜けてサウカンペリオンにまでは行けそうか?」
「無理だ。突然世界が森で覆われでもしない限りあの戦車ではラムダオール平原の手前までしか行けない。そしてそこにはあの神獣がいる」
「となると中央大陸を北から脱出するのは無理か。東海岸の様子はどうだった?」
「今回は帝都までしか観察していない。しかしヴェーナの外港は昔マリアから報告があったように砲撃で破壊されたままだった」
「わかった。じゃあ次からは東海岸を南へ進んで調査を行ってくれ。飛行船の目的地が気になる」
「了解した」
オルスは学者たちに今後飛行船の建造が出来ないか検討を依頼したが、その分野の専門家はいなかった。いちおう検討だけはして貰うが、皆、発掘された神器の解明に全力を注ぐことを望んでいた。
◇◆◇
その後、ガンジーンやサリバン、ケイナン、シュロスらといった主要メンバーだけを集めてマリアにスパーニア絡みの事で何か知らないか尋ねた。
もし飛行船に自分達を知らせれば回収してここから東方圏に避難させて貰えるのではないかと期待している。
「残念ながらサウカンペリオン要塞攻略において旧スパーニア王国にいた人々が内側から東方軍に協力したらしいとしか知りません。私はマズバーン大神殿に立て籠もりしばらくしてからそこを出てシュロス殿らと合流して人々をこちらに誘導してきました」
「マズバーン大神殿ってのは?」
「エイラシルヴァ天爵様所縁の神殿です。何故かそこには蛮族は攻めてきませんでした。なので人々をここに誘導しようと神殿を出たのですが、帝都の東部が完全に蛮族の制圧下となり大神殿には戻れなくなりました」
「連中にも聖域を汚してはならないとか、そういうのがあるのかな?」
「さあ、どうでしょうか」
マリアにはわからなかったが、シュロスがちょっとよいかな?と口を挟んで来た。
「なにか?」
「聖騎士の知り合いから天爵殿が蛮族に囚われていた頃、向こうでスパーニア所縁の人間に会った事があると聞きました」
「そうなんですか?」
マリアは記憶を辿るが一時期仕えていた天爵からそこまで詳しく聞いたことは無かった。
蛮族に捕えられた女性は大抵悲惨な目に遭っているので聞くのも恐ろしかった。
「最後のスパーニア王が帝国追放刑にあった話を聞いたことがありますか?」
オルスは知らなかったが学者のケイナンはさすがに知っていた。
「唯一信教を信仰していた罪で人類圏を追放されたと聞いた事がある」
「そう。通常帝国追放刑にあったものはあらゆる国家で法の保護下から外される事になります。獣の皮を着せられ財産を奪われ、人間扱いされない刑罰です。すぐに賊や恨みを持つ者に襲われて死ぬことになるのですが、彼の場合慕う人間が多く、蛮族領に逃げ込んで生存していたと考えられました」
「では天爵が会ったというのは?」
「おそらくスパーニア王と彼の忠実な臣下でしょう。蛮族が妙に技術を持ち始め、稀だが銃器すら使いこなす者がいるというのは彼らが教えたに違いありません。実際帝国追放刑は、その後使われておらず人類圏を追放された者が蛮族に協力するのを防ぐ為なのだとか」
「なるほど。・・・結局帝国の身から出た錆か。東方のお姫様達を売春婦のように利用し、東方最大の国家だったスパーニアを解体した報復を果たされた、と」
「そういうことになりますね」
マリアを除き権力からほど遠い人々の集まりだったので、皆お貴族様のせいでとんでもないことになったと嘆く。
「スパーニアといえば確かブラヴァッキー伯爵夫人がスパーニア出身だとか言ってたな。何処かで会えればいいんだが」
「会ってどうするんです?」
「なんとかスパーニア王に渡りをつけて貰って保護してもらうのさ。ひょっとしたらあの飛行船は帝国在住のスパーニア人を回収しているのかもしれない」
「おお、なるほど!」
東方諸国が帝国に宣戦布告する以前、関係悪化した時にはもう東方系住民に帰国指示が出ていた。だが蛮族を使って帝国を滅亡させるつもりだとは思わず、無視した者も多かった。
結局、帝国各地に東方人も多数取り残されている。
「しかしどうやって交渉する。我々帝国人は連中に嫌われてる」
ケイナンが疑問を呈した。
フォーンコルヌ皇王の弟が天爵を騙し打ちにしたこと、その義妹である東方圏の姫を手籠めにしていた事などが東方諸国の怒りを買ったので天爵の知人でもあるスパーニア王がいい感情を持っている筈がない。
スパーニア人を宥めて貰うのにはブラヴァッキー伯爵夫人の仲介が欲しかったが、現状では夫人に会える可能性はゼロだ。レナートがバントシェンナ領で会った獣医ノエムから話は出たが、伯爵夫人自身が近隣に来たという話はない。
「発掘した神器を全て譲渡してもいい」
オルスもさすがにもう一度人をやって伯爵夫人を探す気にはなれなかった。その為、手持ち資産で最も価値のあるものを対価にしようと考えた。
「なるほど、研究用にいくつかは残したいが」
「すべては安全を確保してからだ。飛行船なら長老達だって移動できる」
「確かに」
ケイナンもそれ以上未練は言わなかった。
「で、これからどうする」
サリバンが話の詰めに入った。
「サリバンは明日以降食糧の積み込みが終わったらすぐに南に向かって飛行船を追跡してくれ。人員は任せる。レナートも連れて行っていい」
「いいのか?いつ帰って来れるかわからないぞ」
「いい、沿岸部まで降りて行って使える船を探すより最近飛んできた飛行船の方が確実だ。それにかけたい」
オルスは正直、未来に希望はないように感じていたが飛行船は天の助けに思えた。
うまくいけば全員が助かる。また文明的な暮らしを送る事も出来る。
「はっきり見た目で帝国系じゃない人種だとわかるのはレンとヴァイスラ、ヴォーリャだけだ。東方人と接触する機会があればレンとヴォーリャを使え」
ヴァイスラは貴重な薬草師でもあるので遠征に参加はさせられない。
ヴォーリャも女一人で遠征隊に加わるのは可哀そうだったのでもう一人は欲しい。先日の旅をみてもレナートはしっかり任務をこなせそうだった。他にも理由はあるが直感的にレナートが適任だと感じた。
「ここに残る人間はまた飛んでくるかもしれないから上空の監視を増やそう。太陽神のデカい旗を作ってみるのもいいかもしれない」
「いっそ狼煙でも上げるか?」
「いや、狼煙は注意を集めすぎる。次に出てきたらスリクに渡した神鷹を使って連絡が取れないか試してみよう。蛮族にはまだここの入口を突き止められてないし、バントシェンナ王やフィメロス伯も俺達がここにいることまでは特定出来てない」
孤児たちを山の中で拾ったし、世の中オルス達のように争いを避けて山中に逃げ込む人もいる。荒野にも山々にも洞窟は何百とあり、わざわざカイラス族を狙う理由も無いと考えていた。
「了解した。今のうちに安全な場所を探そう」




