第15話 涸れ谷の城『神の拳』
一行は複数の谷の合流地点にまでやってきた。
この大地峡帯がフォーンコルヌ皇国を四つに分割している。
四つの谷の合流地点には周囲を睥睨するかのように小高い岩山があり、東部と西部はここで完全に分断されている。この山城の支配地域を通過せずに東部と西部を通過するには各地に掛けられた吊り橋を渡り、南部か北部を経由する必要があった。
東部に比べると西部の高度は大分低くなり、涸れ谷城周辺も大分過ごしやすい。
ここまで道中の貴族の城を無視して進んできたエンマだが、ここの城主には表敬訪問に行った。城主の名をマクダフ・ドンワルドといい、皇王が直接任命したこの将軍がこの要衝を抑えている。
谷間にぽっかりと浮かぶ特徴的な形状から”神の拳”と名付けられた城は皇国の四方を睨める要衝であり、各地の街道の合流地点でもある。皇国を四つの地域に分断する涸れ谷の断崖に架けられた橋を管理している為、国家の生命線となっている。
”神の拳”といわれる所以はまさに突き上げた拳のような形をした巨大な岩をくり抜いて城としているからである。それゆえ別名を奇岩城ともいう。
フォーンコルヌ皇国に伝わる神話では世界樹さえ切断した白色金剛神イラートゥスの神剣をこの奇岩城が防いだという。しかしながらこの大地は四つに分割されてしまった。その名残が大地峡帯である。
アンクスの従者を先触れの使者として送っていたので一行が近づくとラッパがなり、城門の跳ね橋が降ろされ、守将のマクダフ自ら出迎えた。
「殿下」
「将軍」
マクダフは貴婦人に対して跪いて礼を取り、エンマも軽く頷いて返礼した。
「随分と大仰ですね。貴方を無視して通り過ぎるのも失礼かと思いましたがお仕事の邪魔になっていなければ良いのですけれど」
「ご心配なく。いたって平和なものです」
「それは重畳、今後も何があってもこの地を保持し続けることを望みます」
完全に軍事目的の城塞の為、エンマのような大貴族の令嬢が逗留するのには不向きであったがマクダフは可能な限り過ごしやすいよう部屋を整えてくれていた。
皇都まではあと一週間ほどの道のりだが、ここで二日ほど休養を取った。
◇◆◇
丸二日休養を取ることになるとそれなりに暇も出来る。
オルスはアンクス、スタンと共に城の修練場へ行き、レナートは皿洗いなどを手伝った。
その洗い場にエンマとグランディがやってきた。
「レン、ついてらっしゃい。お父様達の訓練場へ連れて行ってあげる」
「いいの?危ないからダメって言われてたけど」
「観覧席でわたくしたちと一緒なら構わないわ」
エンマがレナートを修練場へ連れていくのは魔術以外で貴族と平民の差を見せてやろうとしたからだった。
修練場では兵士達が真剣を持って剣士と戦っていた。
五人の兵士に囲まれて剣士は時々、斬りつけられているがまったく意に介していない。
「御覧なさい。たとえ真剣でも貴族の剣士に平民はまったく傷を与えられる事が出来ないの」
「どうして?」
「わたくしたちの体には自然とマナを体の周りに発散させて覆っているの。一種の結界ね。彼のような剣士はその力をさらに増幅させる鎧を身にまとうことで神の如き力を備える事が出来るの」
たまたま優しい貴族に会ったからといって距離感を誤ってはならない、絶対に勝てない相手なのだからというエンマの忠告にレナートはむくれた。
「そんなことないもん。パパは世界で一番強いもん!」
レナートはへそをまげてぷいっと踵を返した。
「あ、こら。一人でうろうろしてはいけません!」
エンマは走るのに向いていないドレス姿だったのでグランディが「私が」と言って追いかけていった。
「はぁ・・・余計なお世話だったかしら・・・・・・」
「いえ、いまのうちに平民と貴族では絶対的な格差があると教えておく事は悪いことではありません。理解せずに暴発すればいずれ西方で起きたような市民革命とその大失敗の悲劇を繰り返す事になるでしょう」
「ご経験がおありですか?ブラヴァッキー伯爵夫人」
「いえ、私は直接には。親しい友人はその悲劇に直面しましたが」
「貴方は確か・・・」
道中の雑談で出身を聞いた覚えがあったが、エンマの頭にはもやがかかったようで思い出せなかった。
「ええ、私の出身地は今は無きスパーニア王国」
「そう、そうでしたわ!何故そんな大切な事を忘れてしまっていたのでしょう」
「レナートをあやしながらだったからでしょう。よそ事をしながらでは記憶に残らないのも無理はありません」
◇◆◇
「グランディったらどこまで追いかけたのかしら」
なかなか戻ってこない二人にエンマが首を傾げる。
「そのまま、遊びにでも行ったのでしょう。私達も戻りますか?」
「そうですね。わたくしが見ても仕方ないし・・・」
エンマも帰ろうとした時、オルスとアンクス、ヴォーリャそれにマクダフ将軍がやってきた。
「おや、見学ですかい?」
「ええ、でも帰るところ。レンにも見せてやったんですが、貴方に任せれば良かったですわね」
「何か?」
エンマはレナートに貴族と平民の力の差を見せてやるつもりで連れてきたあらましを語った。
「ははぁ、なるほど。確かに俺じゃあ魔導騎士を倒すのは骨ですな」
「よくいう。お前は何人も倒してきただろうに」
アンクスは若干呆れた口調だった。
「え!?貴方、そんなにお強いんですの?」
先ほど貴族と平民には絶対的な力の差があると語ったばかりのエンマは少々驚いた。
彼女はもちろん貴族の淑女で、戦士ではないから自分の知識だけで語ってしまったのだが、間違いだったのだろうか。
「いやいや、こいつはちょっと盛ってるだけですよ」
「でも倒したって・・・」
「俺が倒したことがあるのはひよっこばかり。正々堂々の一騎打ちじゃあきついですよ」
「手段を選ばなければ倒せるの?」
「そりゃもちろん。同じ人間ですから。方法は秘密ですよ」
レナートに嘘を教えてしまったかしら・・・とエンマはちょっと考え込んだ。
「気にせんでください。お嬢さんのおっしゃる通り。俺と貴族じゃ力の差はあります。昔の戦争でも俺がヴォーリャ達を助けに行っている間にたった一人で蛮族の猛攻を防ぎ切った帝国騎士がいました。俺にはどうしたってあんな真似はできない」
「世の中上には上がいるものね・・・是非その騎士物語をお聞かせ願いたいわ」
言葉づかいと違って割と気さくなエンマには知己も多く、世情にも詳しかったがさすがに騎士達の具体的な軍談には疎かった。
「オスニングの戦いは私も聞いたことがあるが、現場にいた人間から話を聞くのは初めてだ。是非、今晩食事の席にでも詳しい話を聞きたい」
「おやおや将軍まで、やめてくださいよ」
「いいじゃないか。息子にも聞かせてないんだろう?せっかくだからお前が奥さんやヴォーリャさんを助け出した武勇伝を語ってやれよ」
アンクスもにやけ顔のままオルスに話を促した。
「いやだよ。今さら自分で自分の若いころを話すなんて」
平民の自分が貴族達の周りで活躍を語るなんておこがましい、とオルスは辞退した。
「ふむ、ではアンクスに語ってもらおう。お嬢さん方も明日には発ってしまうし今宵は宴を開き若い騎士達や見習いにかの戦いのあらましについて話してやってくれ」
「えっ?私がでありますか?」
「そうね。主人として私も命じます。先達として責任を果たしなさい」
戦は悲劇である。
可能な限り避けねばならないが、永遠に避け続ける事は出来ず、それでも逃れようとするものはただの臆病者。彼らの生きる時代、臆病者の末路は隷属あるのみというのが武人の教えである。
アンクスも見習い時代には先輩の騎士達から戦いの心構えを聞いた。
今度は彼の番が巡ってきた。




