第33話 マルーン女公爵グランディ②
父達がクールアッハ公に従って帝都防衛に赴き戦死した後、しばらくグランディはどうしたらいいのかわからず呆然としていた。当主不在の間に家臣達は勝手に金目の物を盗んで逃亡してしまった。
蛮族に襲われたバントシェンナ領からは救援を求める使者が来たが、当主がまだ定まっていないと知ると、使者はすぐに別の領主の所へ行った。
しばらくするとバントシェンナ男爵が戦死し後継ぎのニキアスが降伏したとの情報が入った。蛮族の占領下にある人々の暮らし振りも難民から徐々に伝わってくる。
何千年もの鬱憤を晴らすかのように蛮族たちは人々をいたぶって遊んでいた。
女は犯され男達は闘技場で殺し合わされていた。
人間の食文化に興味を持って死体をミンチにして料理を作らされる者もいた。
グランディはずっと屋敷に籠って怯えつつ助けを待っていた。
だが、誰も来なかった。
蛮族がバントシェンナ領で享楽の宴を繰り広げて前進が止まったのをいいことに、各地で王を名乗る者が出始めた。皇王も大公達も死亡、行方不明となり諸侯は後釜を狙って争い、その状況にグランディは嫌気がさした。
残酷な宴が終わったバントシェンナ領では何やら建設作業が始まっているらしく、領地の近いマルーン公領には噂が伝わってくる。
父も兄もおらず、怯えて助けを求める妹の為についにグランディは自分がマルーン公家を継ぐと決めた。
出戻り娘のグランディには後見人がいなかったが、叔父のメンガラ伯は非嫡子にも関わらず家を乗っ取っていた。シャモア州、ヴェニメロメス州、アリアケス州の三州を任されたマルーン公爵としてメンガラ伯スウェインに爵位継承を承認し改めて臣従を要求した。
スウェインの方も統治の正統性を得て家臣を掌握することが出来たので両者にとって有益な取引だった。
グランディの手持ちの駒はマルーン公爵という肩書きだけだったが、旧友のエンマに連絡を取り、クールアッハ大公家に連なるエクルベージュ宮中伯に来訪してもらう事が出来た。南北両総督からも来援を得た。
戦争という手段を用いずに圧力と肩書だけでシャモア州、アリアケス州の二州を取り戻した。
だが、ヴェニメロメス州はバントシェンナ男爵に統一されてしまった。
ニキアスは王を名乗っており獣人の手を借りずシャモア州に橋頭保を築き始めていた。アンクスにそれを蹴散らして貰い、獣人がニキアスに皇国制圧を任せて高みの見物を決め込んでいると知ると決戦の気運が高まった。
蛮族が出てこず、人間が敵であることに諸侯は戸惑ったが停滞は許されない。
グランディも蛮族打倒の為に、諸勢力を取りまとめた以上今さら弱気になるのは許されなかった。
◇◆◇
「アンクス殿、諸侯の反応はどうでしたか?」
レナートとの会見後、グランディは腹心だけを集めて反応を訊ねた。
「多くはブレスト伯の勢いに呑まれていますが、数人は動揺しているようです。ニキアスの甥と北方候の血縁者がこの時期に訪問してきた意味を測りかねています」
「スタンはどう思う?」
幼馴染でもある護衛の騎士にも話を振る。レナートと面識があるのはここではアンクスとスタンしかいない。
「意味があるとは思えません、お嬢様」
「意味も無く使節など送ってくるわけなかろうが!」
叔父のスウェインが怒鳴る。
「叔父様、大声を出さないで。妹が怯えてしまう」
腹心だけの会議なので私室と近く、妹も近くにいる。三州の支配者とはいえ、マルーン公家はあまり裕福ではなく大きな城は構えていない。決戦が近いので妹も屋敷から城へと移していた。
「それでスタン。意味がないというのはどういうこと?」
「正確にはこちらに正式に訪問させたという事実自体に意味があるのであって、訪問内容には意味がないということです」
実際書状には外交的な要求は無かった。
グランディも諸侯の疑いを打ち消す為に回覧させねばならなかった。
「では偵察が目的か。城構えや戦の準備状況を確認させているのだな」
「いいえ、ニキアスはこの城の事は十分よく知っているでしょう。諸侯の事も」
「では、なんだというのだ」
「諸侯を集結させた時に何の用もない『使者』を送ってきたという事は揺さぶりをかける為です。恐らく諸侯の中には内応を求められた者がいる筈。弱気な者はニキアスにはまだこちらが把握できていない増援がいると思い込んでしまったかもしれません」
「負ければ獣人の餌となるのだぞ!?誰が内応などするか!」
スウェインはまたも吠えた。
「何も叔父様が応じるなどと誰も思っていません」
「当然だ」
「しかし早い段階で降伏した者は優遇され、蛮族に領地を荒らされていないのも事実らしく、百の諸侯のうち数人は前進を拒否するか参戦しても積極的に戦おうとしないかもしれません」
「アンクス殿はどう思いますか?」
「スタンのいう通りでしょう。これまでの経緯から積極性に欠ける者・・・特にフィメロス伯などは裏切りようもない最前線の陣地に配置させた方がよろしいかと」
「そういえば彼の神器捜索はまだ終わらないの?」
「いまだめぼしい成果は無いようですね。もう全軍を強制的に集結させ、拒否すれば首を挿げ替えた方が良いかと存じます」
敵と戦う前に味方を切るのか、とグランディは憂鬱になる。
「レナートの言葉通り獣人が繁殖し始めているのなら、この秋までにどうしてもシャモア州を奪わなければならない筈です」
食糧を手に入れない限り、バントシェンナ領では蛮族が領民を襲って以前のように食い始めてしまうだろう。だが、マルーン公側も決戦を急がなければ敵戦力が増えてしまいかねない危ういバランスである。
「そうね・・・ではとうとう戦わなければならないのね。ニキアスと・・・」
グランディは蛮族と戦うつもりで公爵家を継いだのであって幼馴染と戦争をしたくて兵を募ったわけではない。辛そうなグランディを慮ってスタンが提案をした。
「お嬢様。前線指揮はアンクス殿にお任せし、お嬢様はカートリー様とこの城で吉報をお待ちなされては?」
「それはダメ。私が指揮しなければ諸侯が集う名目を失う。エンマが『マルーン公』に従うように号令を出してくれたからこそ皆が協力してくれているの。クールアッハ大公家の家臣であるアンクス殿が旗頭ではルシフージュ家もダカリス家も引いてしまう。シャモア州とアリアケス州の諸侯もマルーン公家には従ってもよその家には従わない」
グランディはきっぱりとスタンの勧めを拒否した。
「ではこの私が率いればどうだ?」
スウェインは旗揚げ当時からの腹心で信頼も厚い。マルーン公家の血も少しは混じっている。
「叔父様には有力な将軍として活躍して頂くつもりですが、他家にはまだ名が通っておりません」
「むう、だがお前に戦場で怯えられると指揮が混乱する」
スウェインはグランディが決定的局面で情けを出して出すべき指示を出さなかったり、目の前で起きるであろう殺戮劇に怯えて逃げられたりすると総司令官を失って勝てる戦も勝てなくなると危惧していた。
「分かっています。実際の総指揮はアンクスに任せて私は砦に籠り吉報を待ちます」
「そこからも逃げないと?」
「私が一番恐れているのはカートリーの安全です。もし私が逃げたせいでこの連合軍が総崩れになるのなら私がもっとも恐れている事が起きるんです。私はどうなってもいい、一度は嫁入りして出戻った娘です。でもカートリーだけは蛮族にいいようにはさせません」
「よかろう。我が軍は十万、敵は一万。アンクスが誘因に成功さえすれば負ける筈がない。砦まで敵が近づくことも無い。大船に乗ったつもりで待っていろ」
グランディの気がかりであるカートリーと城の守りはスタンに任され、前線ではグランディの護衛はアンクスの部下達を請け負う事になった。




