第32話 マルーン女公爵グランディ
マルーン公位継承を宣言したグランディだったが、家臣達がそれにあっさり従ったわけでもない。この戦乱で父も兄も戦死した。家中をまとめなおし、各地へ書状を送り、かつての婚約者に秋波を送って資金援助をして貰い、非嫡出子でありながら家を乗っ取っていた叔父の継承を認める代わりにマルーン公家に家臣として帰参させた。
そうして力を付けている間に、バントシェンナ男爵は一州を占拠してグランディに対抗してきた。
そこから一人の使者がやってきた。
既に城内に入り、待機させているが先触れに来たアンクスに事情を聞いた。
「バントシェンナ男爵とは一切の交渉を打ち切るという決定でしたが、使者が閣下の封臣の領民である為、判断に困り連れてくる事になりました。どうかお許しください」
「アンクス殿。勿論、連れて来て頂いて良かったのです。顔をお上げください」
アンクスはそれから使者の従者を数人打ち取ってしまった事を報告し、ようやくレナートが使者であることを告げた。
「まさかレンが生きていたなんて。で、どうなのかしら。個人的に会うべきだと思う?それとも謁見すべき?」
「私はただの騎士です。口を挟むべきとは思えません」
「違うわ。貴方はただの騎士ではなく、私がもっとも頼りとする将軍です」
アンクスはもともとクールアッハ家の騎士だったが、主君らが帝都で戦死したという情報を聞くと次に本家を継ぐべき者の指示を待とうとした。
さんざん頼んでもエンマは嫁ぎ先から実家に戻らず、クールアッハ家の血に連なる者達は後継者を巡って争うだけ。
蛮族に降伏して人類の敵となったバントシェンナ男爵に立ち向かおうとしているのはマルーンン公グランディだけだったのでエンマの頼みもありアンクスは彼女に与力した。
もともと帝国正規軍での軍歴もあり、ただの一騎士では無かった彼にグランディは一軍を任せた。
「レナートはバントシェンナ男爵から書状を預かっています。そして我々は護衛を殺害してしまいました。礼儀としては一度公式に会い、それから個人的に旧交を温めるべきかと存じます」
「そうね・・・。明日皆の前で会いましょう。今日はゆっくり休むよう伝えて」
「承知しました」
グランディはレナートと個人的に会う時間を作るのを楽しみにしていたが、アンクスが退室してから叔父のスウェインが待ったをかけた。
「いかん、いかんぞグランディ。バントシェンナ王の使いと個人的に会えば諸侯から密談していると勘ぐられる。皆の忠誠心が揺らぐことになりかねん」
「使者と言っても昔、私の侍女を務めてくれた子なのです」
「昔は昔だ。今は決戦直前なのだぞ?奴が降伏を申し出てくるならともかくそうでないのならこの気運を盛り下げるような事をしては駄目だ」
「・・・はい、叔父様」
実力でメンガラ伯家を乗っ取っていたスウェインに抗いきれずグランディはその指示に従った。
◇◆◇
翌日、グランディは家臣達を謁見の間に勢ぞろいさせた。
フィメロス伯、メンガラ伯、ブレスト伯、キャメル子爵、バフ男爵、特別に招かれたエクルベージュ宮中伯らがバントシェンナ男爵の使者とやらを待ち構えた。
「最後の北方選帝侯にしてネヴァ地方の正当な支配者、スヴェン族大族長アヴローラの孫、パヴェータ族のヴァイスラの娘、レン・ペレスヴェータ様のご入来」
名を呼ばれて三人の従者と共にグランディの古い馴染みが謁見の間に入ってきた。
居並ぶ貴族達に吃驚し、一度足を止めた後、アンクスに促されゆっくりと歩み始め、正面にグランディの顔を見つけるとほっとした顔を見せた。
貴族達は最初、男爵風情の使いが何を御大層な名乗りをと馬鹿にしていたが実際に彼女が入室してくると、明らかにこの地方の者ではなく北方人の血筋とわかる麗しい少女が入ってきたので目を見張った。
発散される魔力の強さも群を抜いており、この場の誰よりも強い。
その異常な魔力が引き起こす冷気に皆が襟を立てる。
グランディはここで会ったのは失敗だったかと少し後悔した。
多くの家臣がバントシェンナ男爵にこんな隠し種があったのかと動揺してしまっていた。
所詮は男爵で譜代の家臣は少なく、王などと名乗る思いあがった男を簡単に叩き潰せると考えていた。
レナート自体は幼いころ母に手ほどきを受けなかった為、魔力に目覚めていなかった。
いま魔力を発散しているのはペレスヴェータがレナートが舐められないよう気を使ってしゃしゃり出てきているせいだ。グランディにはそこまで分かっても、他の家臣達には事情など分からない。
「お久しぶりです。グランディ様」
その玲瓏たる声に居並ぶ者達は聞き惚れた。
昔はグランディにお姉ちゃーんと甘えた声を出していたものだが、今は冬の夜空に輝く月のように寒々しさを感じる。
「ええ。レン。これまでどうしていたの?」
「どうしてって・・・そこのフィメロス伯に襲われて以来ずっと隠れていました」
レナートと二人の従者がフィメロス伯を睨みつつ答えた。
「その件については残念に思います。手配犯だったアイガイオンが身分を偽って伯に取り入り暴走したようですね」
知人の村が襲われて大虐殺が行われたと知り、グランディも憤慨したがアイガイオンの遺体が発見された事でおおよその事情は察しがついた。
想定外の事態でフィメロス伯にはさほど非が無かったように思える。フィメロス伯も任務に失敗して逃亡した生き残りから事情を把握したのは随分後の事であり、有力な家臣を彼女は咎める事を避けた。彼の力がどうしても必要だった。
「そのことはアンクスさんからも聞きました。でも、他の同胞が虐殺されたのはどういうことですか」
ああ、そっちで怒っているのか、とグランディは心の中で嘆息する。
帝国が崩壊しつつあるあの状況で民族の自治だなんだと騒ぐ遊牧民の独立闘争に対して貴族達は徹底的な弾圧を行った。グランディは家中を取りまとめる事で忙しかったし、辺境で行われている行為に介入する余裕もなく、そして領主達の自治権への干渉も出来なかった。
遊牧民達にはオルスのような強力な戦士、指導者はおらず簡単に鎮圧されていた。
「誰も好きで虐殺するものなどいません。戦う者がいて負ける者がいた。それだけです。レン、貴女はバントシェンナ男爵から書状を預かっていると聞きました。他に用件が無ければ、書状を受け取りましょう」
「ボ・・・私の護衛にとつけてくれたバントシェンナ王の騎士達は問答無用で殺されました。残ったのは御者をしてくれた幼馴染達だけです」
(バントシェンナ王、バントシェンナ王か・・・)
より強い権威に弱い貴族達は、北方選帝侯の血縁者がニキアスを王と認めている事に動揺していた。それを感じたグランディはあまり良い傾向ではない。早く謁見を終わらせて下がらせる必要があると判断した。
苦情を無視してアンクスがレナートから書状を受け取り、グランディに献上した。
封印の蝋は破られておらず、皆の前でそれを破り中身を読んだ。
◇◆◇
「なんですか、これは?」
「?」
グランディの問いにレナートは昔のように可愛らしく首を傾げた。
何でグランディに問いかけられているのかわからないようだった。
「この書状には何の用件もありません。単に貴女の道中の保護を頼む、とそれだけです」
「?」
レナートはもう一度首を傾げた。反対側に。
「バントシェンナ男爵は特に政治的用件はないのに書状を出したのですか?」
「とても親切ですよね」
書状を預かってきたというから公式に謁見を行ったのに、内容は何もなかった。
自分の家臣でも領民でもない女性を保護したが、もともとはそちらの領民の筈、好きに旅をさせてやり、こちらに戻るのを希望した場合には迎えに行くから護衛に引き渡してくれ、とそれだけだった。アンクスの部下が攻撃してしまったカーバイドはもともとシャモア大橋で引き渡した後に別れる予定だったらしい。
「特に用もなく、私の顔を見に来ただけなのかしら。レン」
ウカミ村と遊牧民の虐殺が許せず今さら詰りに来たのだろうか。
「いえ、ボクらは世の中がどうなっているのか。安全な所があるのか知りたくて旅してきただけです。グランディ様なら色々知っているだろうと思って」
「本当にバントシェンナ男爵に従っているわけではないのね?この謁見の場では嘘はつけませんよ」
アウラとエミス所縁の神器があり、嘘は簡単に暴くことが出来る。
重要な裁判で偽証が行えないように使われるものだった。
「違います。たまたま縁あってバントシェンナ王の所にも立ち寄っただけで、別に関係はありません」
「その遊牧民らしからぬ衣装は?私の知るレン・ペレスヴェータはそういった服を好みませんでした」
レナートは昔から可愛い物好きでパーシアに貰った兎耳のついたパーカーがお気に入りだった。
だが、皇都の市民らしいメンドクサイ服は苦手だったのでグランディやブラヴァッキー伯爵夫人が着せてやっていた。ペレスヴェータやヴォーリャらと普段着の好みは似ていた。
「たまにはいいでしょ?せっかく好意で貰ったんだし」
グランディは宮廷魔術師の方に目をやったが、彼の判断では嘘はついていないということだった。普通に綺麗なものを貰って喜んでいる。
ドレスには高価な宝飾品もジャラジャラとついていた。
今のご時世では何の価値もない。
蛮族の中にはきらきらしたものを喜んで収集する者もいて献上品にはなるらしい。
「すっかり女の子らしくなってしまったのね。レン」
昔はアルメシオンに物干しざおをもって突っかかっていくほど剛毅な面もあったのに。
「そちらの子はドムンね。ニキアスの甥の」
レナートの後ろに控えている青年に一瞥したグランディの言葉に諸侯が動揺する。ただの従者ではなかったのだ。
「彼はただの幼馴染です。世の中が物騒だから用心棒代わりについてきてもらってるだけでバントシェンナ王に仕えているわけじゃありません」
「男爵ね。随分親しいようだけど・・・」
北方の大君主である北方候の血縁者がニキアスを王と呼ぶと諸侯が動揺してしまう。
グランディは訂正した。
「本当にただの幼馴染でおともだちですよ?」
頬を紅潮させながらいうレナートにグランディは嘆息する。
諸侯も親しい仲だと思っただろう。
「さて、せっかく来たのです。バントシェンナ男爵領の様子を教えてくれませんか?」
レナートにもドムンがついてきた事にも他意はないと仮定し、単に素朴な彼らがこちらの結束を乱す為に利用されたのならこちらも素朴に質問してみようとグランディは切り替えた。
「ニキアスさんの本来のお城は獣人に奪われちゃったみたいで山の中のお城に引っ越してました」
「人々の暮らしぶりは?生贄にされていると聞きましたが」
「毎月何十人かシェンスクに送られているらしいです。でも基本的に死刑囚だけだって聞いています」
「言葉遊びね。自分に従わなかった人間を『死刑囚』にしているだけの恐怖政治です」
「でもグランディ様の家臣は犯罪者でもないただの村人の家や畑を焼いてます。途中でたくさん見て来ました」
兵糧攻めを行う以上、田畑を焼き、家を焼き、人々を都市部に追い込むのは常套手段だ。軍事顧問たちの進言通り、グランディはそれを許している。顧問たちもグランディには詳細な手段は伝えずあいまいな報告に終始してきたのではっきり聞いたことは無い。
ただ、虐殺はしていないとは報告を受けた。
「これが戦争なのよ、レン」
「・・・帝国は獣人殲滅を国是にしていると聞きました。お姉ちゃんの軍もそうなんですか?バントシェンナ王の領地にはもう獣人と人の間に出来た子供がどんどん大きく成長しています。彼らを皆殺しにしてしまうんですか?」
「人は保護します。敗者を奴隷にするニキアスの真似はしません」
グランディは答えを逸らした。
「昔、皇帝は獣人の子を身ごもったかもしれない女も含めて皆殺しを命令したことがある。それはどうするの?」
レナートの表情がこれまでと打って変わり厳しくなった。誰のセリフかはすぐに分かった。
今は彼女と揉めたくはない。
「先の皇帝が何をお考えになっていたのか。どんな事情があったのかまで私の知るところではありません」
「アンクス。貴方なら知っているでしょう。『マッサリアの災厄』で何が行われたか」
レナートは傍らに控えている騎士に水を向けた。
「答えなさい、アンクス」
グランディはアンクスに発言を許した。
「確かに皇帝陛下のご命令によって獣人が侵入し繁殖した地域で大規模な殺害行為が行われたと聞きます。しかし私が軍に入るよりずっと前の事です」
北方圏西部マッサリア地方の人々は何百万人も皇帝によって棄民されており、北方軍で勤務していたアンクスが知らない筈はない。しかし答えを濁したことにペレスヴェータは鼻を慣らし軽蔑の視線を送った。
「マルーン公はどうなさるおつもり?帝国の伝統に従って獣人と思わしき者は皆殺しにするの?もしそうならバントシェンナ王に降った貴族も領民の為に必死の抵抗をするでしょう」
「もうそんなに繁殖は広がっているの?」
「私を護衛してくれた騎士の住む都市住民の半分にはもう獣人の血が混じっている」
繁殖力旺盛な獣人によってあっという間に人口は回復しつつある。まだ成人前だが、マルーン公が勝てば今度はバントシェンナ領で大虐殺が行われることになる、それを危ぶまれていた。
「獣人の血が混じった子供は隔離することになるでしょうが、殺したりはしません」
「隔離所で繁殖したら?」
「男女別にします。それはありえません」
「監視する人間はだいたい男でしょう。生まれつき魔術に達者な者もいるし、誘惑されたらどうするのかしら」
帝国兵もしばしば魅了の魔術にかかっているので完全に隔離するのは難しい。
グランディは言葉に詰まった。代わりに諸侯の中から老いた貴族が歩み出て発言する。
「公爵閣下はお優しいからはっきりおっしゃられないが、蛮族殲滅は帝国の国是だ。それは揺るがん。獣人の身体能力と人間の知恵を兼ね備えた半獣人が増えれば我ら人類に未来は無い」
「その帝国を滅ぼした獣人に勝てると思うの?」
「我々は蛮族についての情報を十分に収集している。連中は帝都を占領し帝国政府を滅ぼして満足して分裂して各地へ散った。東方王との同盟も切れ、連中に団結力は無い。我々は地の利を生かして敵を一部族ずつ殲滅していくだけのことだ」
ブレスト伯は諸侯を牽制するかのようにはっきりと方針を述べた。グランディに対しても甘えは許さなかった。蛮族に対し徹底抗戦する名目でダカリス女王やルシフージュ王の支援も受けている。派遣された騎士らもブレスト伯に同意して頷いた。
遅れて頷いたグランディは別の話題に切り替えた。
「さてレン。世の中の事が知りたいのなら今ここで告げます。コルヌ地方からは大量の亡者が大地峡帯に押し寄せているらしく、マッカム・ドンワルドは各総督、特にクールアッハ公家に対し争いを止めて早く正当な後継者を定め、涸れ谷城に救援に来るよう求めています。ツィリア・ダンヴィッチ・ダークアリスはマッカムの救援要請を無視して静観を決め込んでいます。ショゴス・フロリア・ルシフージュはマッカムに助勢し、彼がフォーン地方の総督になるよう求めています。私達はそういった動きとは無関係に皆に蛮族との戦いに集中するよう各地の貴族に要請しています」
「亡者?亡者ってなんです?」
「動く死体のことです。昔帝都にも現れたという話を聞いたでしょう。今度は数百体どころではなく何十万もの亡者だそうです」
グランディも直接は見ていないが、マッカムからの知らせを受けて部下を派遣し、確認させた。
「そういえば前にも聞いた気がしますけど、まだ鎮圧されてなかったんですか?」
「一時は地平線を埋め尽くさん勢いだったそうだけれども、押し寄せてきてそのまま崖下に転落してしまったそうよ。死体で谷が埋め尽くされるか危惧していたけれど、上から油と火を撒いて焼き尽くしたから今は危険はないようね」
東からは蛮族、西からは亡者、一時はどうなるかと思ったが、今は落ち着いている。
だが、大地峡帯は北から南まで完全に封鎖し、橋も落していた。過去に現れた亡者と違い、感染して増殖するらしく西部は完全隔離することでダークアリス家もルシフージュ家も合意している。
「私達は人類の裏切者バントシェンナ男爵を倒し蛮族への抵抗を続けます。レン、もし貴女がここに留まりたいのであれば私が責任を持って保護します。でも彼のもとへ帰るのなら道中の安全は保証しますが、その先は知りません」
どうか、私のもとに留まるといって、幼いころのように侍女を務めて、個人的に会っていればグランディはそう申し出ていた。しかし、大勢の家臣の前で特別扱いは出来なかった。
「約束なのでバントシェンナ王の元に戻ります。それにボクらは家族や友人達を殺したフィメロス伯や他の貴族に味方出来ません」
「あちらは蛮族側なのよ。人類の敵だっていうことが分かっているの?」
「約束なので一度帰るだけです、そのあとはまた荒野で暮らします」
”何の罪も無い人々の家を焼いて、獣人の子供を身ごもったというだけで殺すのなら、グランディも人類の敵ではないの?”
ペレスヴェータが直接心に話しかけてきた。
”ユランにはヴォーリャが獣人との間に産んだ子もいたわ。もう獣人殲滅なんて無理なのよ”
だが、グランディはその声を無視した。
「では、本当にバントシェンナ男爵に味方しないのね?」
「ええ、勿論」
ならばよし。
謁見はそれで終わった。




