第31話 騎士アンクス
アンクスはマルーン公領とバントシェンナ男爵領の境界線であるシャモア河を監視する砦の建設工事を監督していた。
彼は本来クールアッハ公の家臣なのだが、主家が次期当主を巡って分裂し骨肉の争いを始めた為、嫁いで家を出ていたエンマの下に主家に戻るよう説得しに言った。
が、断られてしまい代わりにマルーン公に協力するよう依頼された。
そんな経緯で彼は今、バントシェンナ男爵との戦いの最前線にいた。
近くの渡し守の船を全て徴発して管理下に置き、小さな橋や浅瀬の近くには砦を建設した。
一番大きなシャモア大橋の近くには最も大きな砦を建設中だったが、やや遅れが出ている。
その日は雲がどんよりと重苦しく広がって、黒く染まる空が降りてきそうな勢いだった。
冬はまだまだ遠いのに肌寒く、休憩中の作業員は上着を羽織り、アンクスは雨を警戒していた。これ以上作業の進捗が遅れると困る。
そして雷鳴のような音の後に一際冷たい風が吹き思わずぶるっと震えてしまう。従者にマントを持ってこさせるかと考えていたところ、鎧に白い結晶が付着した事に気が付いた。
「まさか」
空を見上げると雪が舞い降りてきているわけでもない。
だが、空気中の水分が結晶化して光り輝いている。
こういう現象は何十年も前に見た事はあるが、この地で、しかも夏に起きたことは無い。
工事の作業員達も動揺し始めていた。
「静まれ!ただの自然現象だ。こういった事はよくある。今日の作業は中止して皆、宿舎に戻り暖かくして酒でも飲んでいろ」
アンクスの指示で作業員は平静を取り戻し、喜んで簡易宿舎に帰っていった。
一方、適当に誤魔化したアンクスはただならぬ事態だと思い、斥候を手配すべく騎兵を集めようとした所、彼のところに敵襲の知らせがやってきた。
詳しく聞くと敵は数名とのことで、何を慌てるかと叱咤して自ら従者を率いて敵襲のあった地点へと向かった。
◇◆◇
「おお、すげえ!」「やった!」
アンクスが現場に到着すると、そこの地面は白く凍って広がっていた。
矢に貫かれたり斬られたりして倒された騎士や従者が数名。それに最近部下に加えた男達が凍り付いていた。動いているのは二人の男達だけで上空に視線を送って拍手喝采している。
アンクスも上空を見上げればそこには女性が一人浮かんでいた。
薔薇のように赤い唇、雪よりも白い肌、月光のように美しく光る銀の髪、柳のようにしなやかな腰、アンクスも見惚れるのような美女だった。
服のサイズが合わなかったのか、少しばかり破れて肌が露わになっている。吹き荒れる凍気の中心は彼女であり、高貴な血筋に生まれた魔術師であることがアンクスには分かる。
「なにが『やった』だ!役立たずのすけべ共!」
女性は男達・・・近づいてみればまだかなり若い、少年だ。
彼らを口汚く罵った。
高価そうなドレスを着ている割には、口が悪い。
「強盗の仲間が来たじゃないか・・・ってあれ?アンクスさん?」
女性はアンクスに視線をやった後、首を傾げつつ地表に降りて来た。
「君は・・・どこかで見かけたような気はするが誰だ?」
アンクスの従者達は警戒して武器に手をかけ、相手方の少年らも武器を手に取った。
「ボクです。レナートですよ。忘れてしまいましたか?オルスとヴァイスラの・・・ええと娘です」
「うん?・・・そういえば確かに面影は無くも無いが、女の子だったかな?」
アンクスはとりあえず部下に警戒を解かせた。
「いったいどういうことだ。私の部下を凍らせたのは君か?」
アンクスの部下たちは体の表面が凍り付いただけで命は無事だった。
「それよりこの人を助けられる人はいませんか?」
倒れていた男の中に河向こうの見知った騎士がいた。
「その男は手配中の騎士だ。助ける理由がない」
「彼らは俺達の護衛についてきてくれただけだ。武器も構えていなかったのに突然あんたの部下が襲ってきた!」
体格のいい青年がくってかかる。
目つきの鋭い少年はいつでも矢を番える用意をしていた。
そしてグレイブを持った女性・・・ヴォーリャもいた。
「君もか」
「昔の誼で頼む。彼はあんたらにとっては憎むべき敵かもしれないがまっとうな男だ」
「カーバイドの剣は血に濡れている」
「いきなり刺された後、その槍を掴んで返り討ちにしただけだ。レンはあたしらを守るためにあんたの部下を氷漬けにした。カーバイドを助けてくれるならあんたの部下も助けよう。いいな、レン」
「うん、それでいいよ」
シャモア大橋を守らせていた魔導騎士は三名。
うち一人はカーバイドと相打ち。残る二人は凍っている。
「分かった。解いてくれ」
決戦が近い中で二人の魔導騎士を失うわけにはいかなかった。
レナートが先ほどまでの姿よりいくらか幼い姿に戻ると周囲の異常気象も元に戻り、あたたかな日差しが戻ってきた。それと共に氷漬けになっていた部下達も息を吹き返す。
アンクスは部下に医者と担架の用意を命じた。
「この人たち、本当にアンクスさんの部下なの?」
「ああ、そうだ」
「強盗を部下にしてるのか」
アンクスを見る目つきの鋭い少年の眼には憎しみがあった。
「強盗?」
「ボクらはただの民間人でマルーン公に会いたいと言っただけなのに、この連中はいきなり襲ってきて護衛の騎士達を不意打ちで殺したんだ。どういうことなの?なんでこんな酷い事するの?」
「こいつらは輿の中を改めるとか言ってレンを引きずり出して、高そうな服だとかいっていきなり脱がそうとしたり装飾品を奪おうとした。だからカーバイドが割って入ってくれたのに!」
「何故カーバイドが護衛についている?君らはバントシェンナ男爵に仕えているのか?」
「違うよ。ただの民間人だって言ったでしょ。バントシェンナ王はボクがグランディ様に会いたいと言ったら道中は危険だからって親切に騎士を付けてくれたのに、いくら敵対してるからって問答無用で話し合おうとした人達を殺すなんて酷すぎる!」
アンクスが野盗上がりを雇ったことが裏目に出た。
野盗の罪を免除して傭兵として雇う事で治安対策兼敵への嫌がらせ攻撃に使う事は一石二鳥、三鳥にもなっていた。敵の村々を焼き討ちして敵軍を挑発することは戦の常套手段ではあるが、騎士達は好き好んでやるわけでもない。部下にやらせても不満が出るし、軍の士気統率にも悪影響がでる。なので傭兵に汚れ仕事を押し付けた。
魔導騎士もここ数年の戦で主を失って野盗化していた者を再雇用した。中にはバントシェンナ王に敗れた貴族の騎士もいたので使い捨てるには好都合だった。
「耳に痛いがこれも戦争だ。しかし外交の使者を傷つける事は許していない。君達を襲ったのは彼らの暴走であって私やグランディ様の意思ではない。申し訳ないと思う」
「俺達に謝られたって関係ない。好意で護衛を出してくれたバントシェンナ王と死んだ人の家族に詫びるべきだ」
「まさしくその通り。恥ずかしく思う」
レナートに付き従っている男の一人の指摘にアンクスも恥じ入る。
恥じた所で今後も続けるくらいには冷徹だったが。
◇◆◇
「さて、レナート。バントシェンナ男爵と我々はもはや交渉の余地は無いが、友人の子であり、我が主君の古い馴染みの君に危害を加えるつもりはない。グランディ様にお会いしたいのなら私が連れて行こう」
彼らの怒りは買ってしまったが、アンクスに敵意はない事が分かって貰えたので警戒を解き、建設中の砦までついてきて貰った。
作業員達が何事かと宿舎から出て来るとそこに美女がいたので口笛をひゅーひゅーと吹いて囃し立てた。アンクスが叱り飛ばしても女に飢えた彼らはなかなか宿舎に戻らない。
いつの間にかレナートの体は先ほどより幾分小さくなっているので先ほど裂けてしまっていた箇所から肌の露出が増えていた。
「レナート、済まないが私の天幕で一度着替えを」
「う・・・そうですね。そうさせてください」
一度着替えて貰ってから、許しを得て天幕に入った。
「しかし、驚いた。改めて見ると確かにヴァイスラ殿やペレスヴェータ殿の面影がある。大きくなったな」
「ああ、そういえばアンクスさんは母や母のお・・・お姉さんに会ったことがあるんでしたね」
「うむ。では話を聞かせて貰えるだろうか」
レナート達はウカミ村が襲撃にあったあと隠れ潜んでいたが、三年が経ち世の中の状況が知りたくなって思い切ってドムンの親戚のバントシェンナ男爵に会った後、次に古い知人のグランディの所を目指していると語った。
「そうか。ウカミ村の件ではグランディ様も心を痛めていた。お前達が生きていると知れば喜ぶだろう」
アンクスの発言が気に入らなかったのかスリクと名乗った男が二人の会話に口を挟んできた。
「本当ですか?彼女の部下がうちらを襲撃したのに?」
「公爵様は三州の主なのだ。何から何まで目を配れるわけでもない。フィメロス伯にしろ傭兵の暴走であって彼に責任はない」
「ああ、そうですね。さっきも俺らは襲われて親切な騎士達が追剥に殺されたけど、誰にも責任なんかないですよね」
「やめて、スリク」
「なんだよ。レン、こいつの肩持つのか?」
レナートが宥めてもスリクは怒りを抑えきれずにいた。
「君達は生き残った数少ない友人達なのだろう?喧嘩は止めてくれ。我々が悪かった。カーバイドは助かるが、他の者達は助からなかった」
カーバイドは命を取り留めたが、しばらく治療と静養が必要だった。カーバイドの従者は助からなかった。アンクスはカーバイドを助けてもバントシェンナ王の元に帰すつもりはなく、魔石を抉り出し、幽閉することを命じている。
「スリク、僕たちの任務は世の中の調査であって復讐じゃない。アンクスさんはお父さんの友人で立派な騎士だし、彼を詰っても不毛だよ」
スリクは不満そうだったが、彼が怒ったところでアンクスに傷一つつける事は出来ない。
不貞腐れたまま押し黙った。
「で、世の中の状況が知りたいなら私が教えてやってもいいがどうする?」
「あ、一応バントシェンナの王様から書状を預かってきたし、せっかくここまで来たのでグランディ様にもお会いしたいです」
「わかった。私が手配する。道中は私が責任持って送ろう。そして君達をここまで護衛してきた者達の遺体は部下に命じてバントシェンナ男爵に返還する」
「よろしくお願いします」
レナートは自分が介入するのが遅れて従者が殺されてしまったことに罪悪感を感じていて、アンクスの返事に感謝した。




