第14話 レナートの家庭教師たち
エンマはグランディも自分の馬車に乗せてやった。
「いくら幼馴染とはいえ、男女一緒に駅馬車に乗り継ぐ旅などいけません」
グランディと従者のスタンのことだ。
「あれは私が拾ってやった平民です。私に手を出すなどありえませんよ」
「平民と二人きりだなんてなおさらいけません。いいから乗りなさい」
旅費は全て大公家から出す事になり、グランディもエンマの押しの強さに抗えず仕方なく同乗することになった。レナートは女性たちに挟まれながら読書を続けているがさすがに狭い。
「それにしても何故二人で旅を?恋人関係ではないというのならなおさらです」
「皇都の学院に三年間留学する前に、無理やり婚約者をあてがわれ・・・その先の事まで進められそうになったので半ば家出の形で出てきたのです」
グランディは少々レナートの目を気にしながら、ありのままを伝えブラヴァッキー伯爵夫人が同情して慰めた。
「そんな無体な事を本当に?帝国貴族の子女にはもう少し自由があるかと思っておりました」
「裕福な諸侯と結びつく必要があるのは事実で仕方ないのですが突然の事だったので逃げ出してしまったのです。皇都の学院に入ってしまえば寮生活ですから父や婚約者に無理に連れ出される事もないと思いスタンに頼んで連れ出して貰ったのです」
「ふ、もしどうしても嫌な相手ならわたくしが口添えをしてやってもいいのよ?」
エンマも同情したのかマルーン公に文句を言おうか?と申し出たがグランディは拒絶した。
「貴女のお世話にはならないわ。自分の義務から逃げ出したりはしません。学院に入るのは予定通りの事です。その間に相手の頭が冷えていることを願います」
「そう、ならいいのよ。・・・ところで伯爵夫人。貴女にももし政略結婚の経験がおありならわたくし達に何か人生の教訓を教えて頂けません?」
強気なエンマも自分の将来については少し不安があるようだ。
「・・・そうですね。愛した男もいつかは変わるもの。愛情は夫にではなく子供達に注ぐことですね。夫はいつか容色の衰えた妻を顧みなくなりますが、子供達を味方につければ家庭内、親族の中でも強い力を保てるでしょう」
夫が老いて後継者を定めて権力を移譲していくと、家中の者達も実権を持った次期君主に忠誠を尽くし、夫の居場所はなくなる。そうならなければそうなるように息子を躾ける。
「打算的ですのね」
「貴族に生まれたからには家庭内の事も政治のひとつ」
「確かに」
エンマもグランディ―も車内で年長の貴族から、この時代の女としての心構えを教わった。
◇◆◇
「ところでレンちゃん。馬車の中でそんなに本ばかり読んでいたら目を悪くしますよ」
グランディがそういって本を取り上げたのでレナートはあっ、と悲し気な声をあげた。
宙に上げられた本を取り返そうと手を伸ばしてくるのでグランディは自分が意地悪をしているような気になってしまった。
「返してあげるけど、ここで読むのはおよしなさい。お勉強なら私達が教えてあげる。いいですよね?」
「ええ、もちろん」
エンマも夫人も同意した。
「で、どういう本を読んでいたのかしら・・・」
レナートが持たされていたのは算術や地理についてだった。
「今時は平民でもこういった本を持てるのねえ・・・」
グランディが少しページをめくって感心した。
「確かに本は随分手に入りやすくなりましたが、この子の家は少し特殊なようです。この髪の色の通り」
夫人がレナートの母親が北方圏出身でそれなりに有力な部族の族長の家柄だと教えてやった。彼女も最初は知らなかったが道中、親しくなる過程でオルスから教えて貰っている。
「なるほど。月の女神所縁の土地から来たのね」
「?」
グランディは納得顔だったが、当の本人のレナートが理解できていなかった。
「髪の色で何かわかるの?」
「そこに住む人は、土地の守護神の影響を受けるのよ。世代が進めばいつかあなたの子もわたくし達のようになるわ」
「へー」
「まだあまり土地の事を理解していないようね。辺境の村で生まれ育ったのですから無理もないけれど」
国という概念すらまだまだ理解していないようなのでエンマが簡単に説明してやった。
「レンが生まれたウカミ村の領主がフィメロス伯爵。彼に土地を分け与えたのがマルーン公。そしてマルーン公や諸侯を従えフォーン地方全体を支配しているのがこのクールアッハ。
フォーンコルヌ皇国の東部を支配している大総督よ、敬うがいいわ!」
「ふぉーんこるぬ皇国?」
「神話の時代、法の神エミスによって『法』という概念を与えられた英雄とそのエミスの子孫が支配する国よ。こういった神々と英雄の子孫達が統治する国が30ほど合わさって出来たのが新ヴェーナ人類帝国。旧帝国時代から五千年間蛮族に立ち向かい人類全体の平和と安全を守ってきたの」
帝国には三十ほどの帝位継承権を持った皇国があり、選挙でそれらの長たる皇帝を決めている。
皇帝直轄領は帝国政府に統治を委任されているが、皇国についてはほぼ自治が行われ国際法に反しない限りは裁量の自由がある。
人類には他に二百ばかりの国があり、大半の国は一度帝国に征服された後、独立を許される代わりに帝国を盟主とする同盟に加わり、遥か北の大河を挟んで暮らす蛮族との戦争に駆り出されている。
「じゃあ、お姉ちゃんより皇王様の方が偉そうにしてる?」
ナチュラルに偉そうな人扱いされていることにエンマは絶句し、グランディ―は吹き出した。
「え、偉そうにしてるかどうかは存じませんが、我がクールアッハ家もエミスの血を引くもの。いざとなれば皇国の王位を継ぐ権利があるのですわ!」
「他にも同じくらい偉そうな人がいるの?」
「え、偉そうではなく、実際に偉いのですわ!」
くすくす笑いながらグランディが間に入って少し軌道修正に入ってやった。
「レンちゃん。エンマはこれでも気さくでなかなか話の分かる女ですけれど、他の大貴族にそんな口を聞いちゃ駄目よ。お父様やお母様にもご迷惑がかかるわ」
「そうなの?パパは誰よりも強いのに」
「パパにだって限界はあるのよ」
むー、とむくれるレナートに女性陣は微笑んであやしてやったが、身分にうるさい貴族に出くわすと面倒な事になりかねないという危惧も抱いた。なまじエンマやグランディ、ブラヴァッキー伯爵夫人のようなあまり身分差にうるさくない大貴族に会ったせいで貴族との接し方を間違えてしまうかもしれない。
「いい、レン。貴族と平民には絶対的な力の差があるの。さっきもいったようにわたくし達貴族は皆神の血を引いているから」
「でもパパとアンクスさん。いつも稽古してるけどほとんど五分みたいだよ?あの人も貴族でしょう?」
「ええ、そうね。技量はそうなんでしょうけど、力の差っていうのはそういうことじゃないのよ」
エンマはどうやって説明したらいいものか少し悩んだ。
魔力は貴族特有の力だが、平民には魔術によって引き起こされた結果しか見えないのであまり説得力がない。馬車の中で少しばかり風を起こしたり灯りをつけて見せても「ふーん」くらいの感想しか帰って来なさそうだ。
「では、私が少し披露しましょう」
そういってブラヴァッキー伯爵夫人がレナートの額に自分のそれを合わせるとレナートの目がくるんとひっくり返り、右手が勝手に動き始めた。
「うわっ、何!?」
レナートはすぐに意識を取り戻して自分の右手を抑えようとしたがうまくいかず正面にいたグランディ―の方へ手が伸びてしまう。
「このように魔術によって相手の心の中に入り、操る事も出来ます」
「凄いんですね。そんな魔術初めて聞きました」
「わたくしも」
エンマもグランディも人の体を操る魔術というのは初めて見たのでレナートとは別の意味で驚いている。
「帝国では精神操作の類は禁呪に指定されましたからね。誰でも使えるようになれば、意図に反して他人を犯罪へと駆り立てることも出来てしまいますから」
そんな事件が頻発すれば証拠も証人もあったものではない。
社会は疑心暗鬼になり法による統治が出来なくなる。
「確かに」
「・・・ところでもう止めてあげてくれませんか」
レナートに抱きつかれているグランディがちょっと困ったように言った。
「それがどうも中途半端にかかってしまったようでうまく制御出来ないの。御免なさいね」
子供の力であるし、レナート自身も抑え込もうとしているのでグランディが本気になればどうにか抑え込めたが、十数分は魔術が解けずグランディが膝の上に乗せて後ろから抱え込むことになった。レナートは力があってもこのように利用されてはどうにもならないというのを理解したが、魔術に抵抗したせいで疲れてへとへとになり、グランディに抱かれたまま眠ってしまった。
「この子は将来、女癖が悪くなりそうねえ・・・」
少しばかりブラヴァッキー伯爵夫人は呆れていた。




