第22話 北方候女
姿を偽っていたのか、と詰問されたレナートは慌てて弁解する。
「そ、そんなことしてませんよ。なんなんですか、この鏡」
レナートは両手を上げ、敵意は無いことを示した。
シュランナは鏡とレナートを見比べて、ふむ、と頷き杖を下した。
「どうやら嘘ではないようですが・・・あぁなるほど。そういうことですか」
「そういうことってどういうことです?」
勝手に納得され、何が何やらわからないレナートは説明を求めた。
「この鏡は嘘を見抜き、真実の姿を暴く神器です。この状況です、うら若い女性が旅をするのは危険でしょう。王の前で姿を偽った事は許せませんが、同性の誼で今回だけは見逃しましょう」
訳知り顔で勝手に納得してくれたシュランナだが、レナートの方はまだ納得していなかった。
「ボクの真実の姿がコレだっていうんですか?」
「何か不満があるのですか?詐欺師の神ナルヴェッラの嘘も見抜くアウラの鏡です。一体どのような魔術を使っていたのかは知りませんが、神の力を前にこれ以上嘘をつくことはできませんよ」
熟練の魔術師の断言でレナートは自分の記憶が信じられなくなってきた。
戸惑ってレナートはペレスヴェータに問う。
(ボクって男だったよね?)
男の子として生を受けたことに間違いはない。
だからこそこうなったのだ。
自明の理であるのに自分が信じられないレナートに対してペレスヴェータは慎重に言葉を選んだ。
”私と長く居過ぎたせいかもしれないわね”
(どういうこと?)
”現象界を捨てた神々の視点は魂に向いている。私達の魂が強く結びついた結果、あなたの魂も女性に傾いてしまったということよ。一対一ならともかく氷の女神グラキエースの力を降ろした事でそれがさらに加速してしまったのね”
(どうすればいいと思う?)
”さあ・・・。私と完全にお別れして二度とグラキエースの力を使わず、男らしい事をたくさんしたら魂がまた変容するかも”
(そんなのやだ)
”やだって・・・”
(ヴェータは家族だもん。お別れするなんてやだ!)
レナートにとってペレスヴェータは母であり、友人であり、魂の救済者でもある。
今さら別れるなど考えられない。
「おい、レン。どうかしたのか?気持ちはわかるがぼっとしてる場合じゃないぞ」
ドムンに肩を突かれてレナートは二人の対話を中断した。
情報収集の為にやってきた訪問先の魔術師宅で個人的な問題について検討していられる状況ではなかった。
「ああ、済みません。シュランナさん」
「構いませんよ。自分でまた男の姿になる事は出来ないのですか?」
「ダナランシュヴァラ神の力を借りないと無理じゃないかと・・・」
「では、帰りには体を覆い隠せるような外套を授けましょう。麗しい女性を狙う獣の民は少なくありません。気を付けて帰りなさい」
「そうなんですか?」
「降伏した人間は基本的に無暗に襲わず、生贄で満足する協定を結びましたが、獣人にも上の命令に従わない凶悪犯罪者がいます。シェンスクに住まず、勝手気ままに行動し、犯し、食らいます」
やっぱり獣人との共存は無理だな、とドムンやレナートは思う。
「王が交渉でその犯罪者の始末をシェンスクに依頼しました。あちらも犯罪者に殺された分、生贄を減らすなどそれなりに誠意のある対応をして貰っています。犯罪者が出るのは我々も獣人も同じこと。それを忘れずに」
表情から察してシュランナが釘をさす。
「陛下は完全に獣人のしもべなんですね」
「少しでも多くの人間が生き延びる為です。もし片方の耳に傷がある虎の獣人を見たら耳を塞ぎ意思を強く持ちなさい。出合い頭の咆哮で皆、怯えて体が硬直してしまいその間に叩きのめされてしまう。女性を犯しながら食い殺していく凶悪な快楽殺人鬼で手が付けられません」
次々と村が襲われて、王も兵士や騎士を派遣したが手に負えずシェンスクからはぐれ者を狩りだす為に獣人の派遣を依頼している。
「それでも獣人に従ってマルーン公と戦うんですか?」
相手が王ではないのでドムンも率直に話した。
「それが命令です。少なくとも従えば身近な者は殺されません」
「抵抗しようと考えたことは?」
「陛下は三年前、諸侯に救援を求めましたがすげなく断られました。抵抗し、多くの犠牲を出した結果が今の安定なのです。抵抗し続けた者が生きたまま食い殺され、家族が次々と死んでいけば、皆心が折れます。ドムン君、君ももし彼女が捕えられ、目の前で生きたままかぶりつかれた時、命乞いをしませんか?でもそこまで追い込まれてから命乞いをしても遅いのですよ」
「・・・それで代わりの人間を差し出す為に他の貴族の領地を襲って人を攫うんですか?」
「ここの者達は今となっては獣人より、助けに来なかった他の貴族たちの方を憎んでいます。皇王や大公が亡くなった後の混乱中に獣人達と孤独に戦い、時間を稼いだのは私達なのですよ?それなのに今度は私達を人類の裏切者だと非難するんですか?」
バントシェンナ王は確かに人々を生贄として利用しているが、それは他の地域の人々が彼らを同じように使ったからだとシュランナは反論した。
「ドムン、もうこの辺にしておこう。状況はわかりました、有難うございます。シュランナさん」
「構いませんよ。ところであなた方はどこに潜伏しているのですか?そこは安全ですか?」
「済みませんが、それはちょっと教えられないんです」
「・・・そうですか。この状況では誰も信用できませんからね。しかし陛下を人でなしなどと詰る事はおやめください。陛下は何万もの民衆を抱えて逃げる事は出来ないのです」
「・・・そうですよね」
「これからどうするつもりです?もうあなた方の潜伏先に戻りますか?」
ドムンはレナートに目くばせをして、お前に任せると伝えた。
「マルーン公位はグランディ様が継いだというのは本当ですか?」
「ええ、それすらも知らなかったのですか」
「ボクはグランディ様とは古い知り合いなので一度お会いしてみたいのですが、会いに行くことは可能でしょうか?敵対していらっしゃるんですよね?」
「ええ。しかしマルーン公は危険です、あまりお勧めできません」
「危険?グランディ様が?」
「シャモア河で我々と境界を接していますが、流域の村々は頻繁に略奪に遭っています。住民を守る為に私達は止む無く村を放棄させて市壁内に保護しなければなりませんでした」
「そんな馬鹿な・・・あの優しいグランディ様がそんなことをするとは思えません」
幼いころ、女子寮でグランディに保護され、毎日甘やかして貰っていたレナートには信じられない状況だった。
「いや、あいつは俺達の故郷を襲ったフィメロス伯の主だぞ。やりかねない」
母を殺されて恨んでいるスリクは会った事も無いグランディを非難した。
「マルーン公は女性です。家臣達に逆らえないのでしょう。気の毒に思いますが私達は彼女と戦って打ち負かさなければなりません。そうしなければ私達の友人や家族は獣達の腹の中に収まります」
シュランナはニキアスがシェンスクの獣人のさらに上位の獣人に旧皇国領を制圧するよう命令されていることを伝えた。
「正義の為の戦いとかそういうのはないんですね」
ドムンが嘆息する。
「家族と故郷の平和を一日でも長く保つ以上の正義はありません。私は故郷を失いましたが、陛下に救われました。御恩を返す為に陛下と家臣の皆さんに命がけで協力するつもりです」
「わかりました。ボクらみたいに隠れ潜んでる人間がとやかくいうことじゃないですね。でも、グランディ様には一度お会いしたいと思います。出来れば陛下の領内での道中の保護をお願いします」
「いいでしょう。陛下にお願いして来ますからしばらくお待ちください。どうせなら彼女宛の書状も準備します」
シュランナはバントシェンナ王にレナートが女性だったことを報告しなければならず、レナート達はマルーン公領へ向かう事を許してもらう為にもう一度面会することになった。
◇◆◇
「そうか。グランディの侍女を務めていた娘か」
「姿を偽ってごめんなさい」
「よいよい」
バントシェンナ王はレナートが姿を偽っていた事を無理もないと笑って許してくれた。
「シュランナに貸していた神器に見破られるとはな。随分変わった魔術を使えるようだ。北の出身だったか」
「父はウカミ村のオルス、母はパヴェータ族のヴァイスラ。母の家系を辿るとスヴェン族のアヴローラがいます」
「最後の北方候だな。なるほど大精霊と言われる獣人の最上位の存在を苦しめたと聞いた事がある。その家系なら魔術も達者な訳だ。ドムンよ、彼女は貴重な存在だ。よく守ってやれ」
「そのつもりです」
ドムンは短く頷いた。
「で、グランディに会いに行きたいだと?」
「駄目でしょうか?」
「お前達は我が民ではない。禁止する事は出来ないが何をしに行く?」
「出来れば両方の事情を知りたいのと、故郷を襲ったフィメロス伯とかいう人をとっちめて貰いたいのと出来れば人間同士で戦争するなんて止めて欲しいなあと」
「・・・本気か?」
「え?はい」
しばらく値踏みをするような目でみてからバントシェンナ王は頷いた。
「よかろう。俺も出来れば戦いたくはない。よろしく伝えてくれ」
そして書状や旅の準備の為に一日、城に滞在させてくれた。見返りとして帰る際にもう一度立ち寄って質問に答える事を要求されたが、寛容にも話せる事だけでよいという許しを貰った。
はぐれ獣人に警戒する必要があり、騎士に護衛を勤めて貰い、マルーン公への書状で彼らがニキアスとは無関係な民間人であることを保証してもらった。
◇◆◇
その夜、ドムンとスリクはレナート用に用意された寝室を訪問した。
「ああスリク、使いは送った?」
レナートは城で湯あみをさせて貰い、貴人らしい恰好に整えさせて貰っていた。
「ああ・・・ってうわ、何その恰好?」
スリクは神鷹の足に手紙を付けて待機しているサリバン達に送っている。回収の必要はなくなったのでいったんカイラス山に戻るよう連絡した。
「騎士が道中を保護するのに相応しい格好の人がいないとマルーン公の家臣達が通してくれないかもって」
お互い小競り合いをしていて、通常は誰であろうと通してはもらえない。
バントシェンナ王は密輸商人達に将来、征服された時の見返りとして第二市民階級の地位を保障してやる事で抜け道を探らせていたが今回それは使えない。
レナート達は正面からグランディに直接会うつもりなので、辺境の村人の格好では関所を通る説得力が弱かった。立ちふさがるであろう敵兵に手出しできないようシュランナはレナートを貴人のお姫様らしく仕立て上げる事にしてくれたのだった。
「明日は輿まで用意してくれるんだってさ。・・・なんか世の中って結構難しいね」
人間を生贄として獣の民に差し出しているバントシェンナ王は彼らの倫理観からすれば間違いなく邪悪な所業の筈だったが、何事も親切で隠し事もされなかった。
厳しい人物という印象はあったが彼らは好感を持ってしまった。
「俺達はどうすればいいんだ?」「一緒に輿に載せて貰っていいのか?」
「お姫様と同席出来るわけないじゃん。君らは外。御者でもやってて」
「お姫様ぁ?ついさっきまで男だったのに?」
「うっさいなあ。ボクとしても本意じゃないんだよ。せいぜい気張って守ってね」
レナートは文句をいうような口調と裏腹に割とご機嫌な様子だった。
パヴェータ族のみならず近隣部族の多くに熱狂的な信奉者がいたペレスヴェータはこれこそが私に相応しい待遇よ、と喜んでいた。
バントシェンナ王の召使は徹夜でレナートの為にドレスのサイズ調整をしてくれている。
今着ているガウンも帝国末期の流行りで艶やかな紫色の光沢を放ち手触りも柔らかく気持ちよかった。
道中に輿の中で着るものに加えて、マルーン公の宮廷で恥をかかないように天鵞絨のマントに豪華なドレスも用意してくれていた。
レナートはさすがに申し訳なく思ったが、獣人に支配されている世の中ではどうせ誰も着るものはいないので、むなしく虫に食われるままにするより美女に貰って貰いたいと言われて気を悪くしないわけもなかった。
「で、どこのお姫様って名乗るつもりなんだ?」
「王様の前で言ったでしょ。最後の北方候アヴローラ様の孫娘。パヴェータ族のレン・ペレスヴェータ」
アヴローラは二百年近く生きた魔女で、厳密にいうと孫娘よりもうちょっと縁は遠いのだが、スヴェン族とパヴェータ族の関係、彼らの奔放な暮らしぶりまで生活するのは面倒なので孫娘という設定にした。どうせマルーン公の家臣にそんなことを知る者はいない。




