第13話 大公令嬢エンマ
「わたくしの名はエンマ・ミーヤ・クールアッハ!」
翌日、オルスが総督府を訪れるとそこにアンクスと皇都への旅に行動する公爵令嬢がいた。
「お前がオルス?道中の護衛を任せます」
今にも「ほほほ」と笑いそうなお上品な娘だ。
東部フォーン人なのでやや茶色がかった金髪で健康的な美人である。
「はぁ、そいつは構いませんがあんま目立たないで下さいよ」
「承知しているわ」
市の門で他の者達と待ち合わせ、レナートの馬を一座に貸し、オルスがレナートを抱き上げて自分の膝にのせたところエンマが口を出してきた。
「それでは大変でしょう。ブラヴァッキー伯爵夫人とやらとその子もわたくしの馬車へ」
「・・・夫人はともかくこいつは平民ですよ?」
「わたくしの侍女も平民よ。無駄に足が遅くなるだけで非効率的です」
オルスはありがたく申し出を受ける事になり、一座とはここで分かれる事になった。
「すまないな、皇都まで同行するつもりだったが」
「構いませんよ。どうせ目的地は同じです。夫人には占い師として活躍してもらいましたが、もともとはなりゆきですからね」
夫人の従者のタッチストーンがレナートの馬に乗り、レナートと夫人は馬車に入りこれで一行は一座と別れ、騎乗しているものと馬車だけになり皇都への道を急いだ。
岩だらけのフォーン地方から西部のコルヌ地方への道中で少しづつ高度も下がり、緑も増え、次第に畑も増えてきた。これまではテントで野宿することも多かったが、今はさすがに道中の宿場町で宿を取っている。主要街道ということもあり、貴族や富裕層向けの大きな旅籠があるのでそこに逗留し、宿代も出して貰っていた。
◇◆◇
ある日、エンマは途中、何度かレナートが宿を抜け出している事に気づいた。
「レン、何処へ行くの?」
エンマがホテルのエントランスに併設されている喫茶室でお茶を楽しんでいた所、レナートが一人で出かけようとしているのに気が付いて呼び止めた。
「知り合いのお姉ちゃんが遊びにおいでって」
「あら、お父さんの許可は貰ったの?一人で大丈夫?」
「貰ってるよー」
「でも心配だからこのわたくしがついて行ってさしあげます」
エンマが出かけるならアンクスも護衛につかざるをえず、結局大所帯になってしまった。
基本的に旅の道中は朝早く出発し、昼過ぎには宿を取るのでまだ夕方にもなっていない。
工程の都合上、夕方に宿に入る日もあるが長旅では不慮の事態を想定して早朝に出て、早めに宿を取るのが基本だ。
エンマはこういった長旅が稀で毎日馬車の中に引きこもるのが退屈な事もあり、見知らぬ土地で少し気晴らしがしたかった。レナートについていくといったのはその口実だった。
徒歩で散策しながらその『お姉ちゃん』の事を尋ねた。
「へえ、その子もフラリンガムへ行くのね。あなたのような田舎の平民が何処で知り合ったの?」
「お姉ちゃんに会う前の日」
出発地で目的地が同じなので同じ宿場町に滞在する機会が多く、レナートが旅の道中で度々会いに行くのも納得だった。
「ふぅん、そう。それにしてもまだ小さいのに一人でお出かけ出来るなんて凄いのね」
「お姉ちゃんは出来なかったの?」
「ええ、今でも」
エンマは常に傍にいる侍女をみやって言った。
侍女とは良くも悪くもない関係だった。
向こうは仕事でエンマから目を離す事は出来ず世話をやかざるをえない。
侍女は最初レナートが馬車に同乗することも、行儀作法に疎い事にも嫌な顔をしていたが、さすがに何日も一緒に狭い馬車の室内にいるとそれにも慣れ、主人の意向に従いあまりとやかくは言わなくなっている。
「ちょっとレン。道をふらふら歩かないの。迷惑でしょう」
「はーい」
返事はいいのだが、レナートは相変わらずこころここにあらずといった体で大きな建物が並ぶ街の空に視線をやりながら歩いている。
エンマは仕方なく手を繋いでやった。
「有難うお姉ちゃん。結婚する?」
「どういたしましてって・・・なんですって!?」
こんな小さい子に結婚しようかと持ちかけられてエンマは「なぬっ?」と目を大きくした。
少し後ろを黙って護衛についてきていたアンクスが口を挟む。
「姫、その子はすぐに求婚する癖があるそうです。ちなみに男の子ですよ」
「さ、さすがにもうわかっています!」
道中では大きな旅籠がない時、女性だけの部屋を借りる事もあってその時ブラヴァッキー伯爵夫人が教えている。教えるまではずっと女の子だと思っていたので、お風呂に入れてあげましょうかと言った時に夫人が念のためですが・・・と教えた。侍女が少しばかり嫌そうな顔をしたので寝るときは一緒の場合もあるが、風呂はさすがに別々に入る事となった。
「それにしても罪な子ね。あんまり誰にでも求婚してはいけませんよ?」
「はーい」
「返事はいいのにねえ・・・」
レナートは村で手当たり次第求婚していたのを叱られたので、相手の方から嫁ぎに来るか意向を尋ねるようになった。彼としては十分配慮しているつもりだったのだ。
◇◆◇
「んまっ、貴方、グランディじゃありませんの!」
「あら、ごきげんよう。エンマ。相変わらずのキンキン声ね。お父様がクールアッハの声は降魔荒野の隅々まで届くと嘆くわけだわ」
レナートが会いに行った娘の名をマルーン公女グランディと言った。
「なに、そのみすぼらしい恰好は。それでも貴族?」
「服装を見なければ貴族か平民かわからないの?その『眼』はとんだ節穴ね」
「ほーっほっほ。それでやりかえしたおつもり?貴族が貴族らしからぬ恰好をしていてはその節穴の目を持った者がよからぬことを考えるでしょう。平民が身分を偽れば違法だというのに、貴族が逆の事をしてどうなさいますの?それが人の上に立つ者のやることですか」
「身分を偽っているわけではないわ。旅に相応しい恰好をしているだけ。だいたい貴方のそのドレスは何?それが旅をする者の服装?どうせあなたも皇都に御用があるのでしょうけど、道中でどれほどの無用な贅をつくしているというの?」
エンマも別に夜会用の意匠を凝らした服装ではないのだが、平民からすればそれなりに高価な服装をしている。
「昨今は外国の安価な宝飾品が入るようになって、地元の職人たちが困っているのよ。総督の娘たるこのわたくしが買って宣伝してやらなくてどうしてフォーン地方の経済が回るというの?しょせんマルーン公には経済というものがわかっていないのね。だからずっと赤字財政なのだわ」
「まあ、言うに事欠いてお父様の事を侮辱するなんて!」
富める物が金を使い経済を回さなくてはというエンマの言ももっともであり、その点グランディも認めないでは無かったが、父を侮辱されたグランディは憤り二人の口論は激しくなった。
グランディは一般向けの宿に止まっていたので居合わせた者も多く、貴族の娘たちの口論が激しくなるにつれて周囲の人だかりも増えていった。
「姫、もうその辺で・・・」
グランディには護衛の若い従者がおり、その男も身分を隠していたがさすがに周囲の目が恥ずかしくなって止めに入った。
「スタン!主人の名誉が汚されているのですよ?この女に思い知らせてやりなさい!」
「え・・・」
「私の命令が聞けないというの?将来は私の騎士になりたいのでしょう?」
スタンという従者はさすがにどうしたものか、と悩みつつも拳を握りしめた。
「おい、やめておけ」
本気とは思えなかったが、アンクスがスタンに警告を発した。
「ほーほっほっ。おわかり?マルーン公は我が封臣、身の程を弁える事ね」
「姫も」
アンクスは目立つような真似はしないという約束をしたはず、と思い出させようとする。
メンツを重んじる貴族の娘たちはなかなか引き下がれずしばらくにらみ合いが続き、そこへレナートが口を挟んだ。
「ねえねえ、エンマさま。うちの村は貧しいからってまるーん公?が口添えしてくれてほとんど税を取られてないんだって」
「んまっ・・・・・・そうなの?」
「うん。だからパパがお姉ちゃんのパパにもお手紙持って行ったの」
「そういうことなら仕方ありませんね。貧しいものに施しをしてやるのも貴族の義務というもの」
レナートが事情を説明したことでエンマの気も済んで拳を降り下ろすことにしたようだ。
貧しい者扱いされたグランディはまだ少しばかり憤慨していたが、東部諸侯の実質的な王であるクールアッハの娘とは上下関係があり、これ以上は強気に出れず引き下がった。
◇◆◇
「で、何の御用かしら」
「貴方に用など御座いませんわ。レンが一人で出かけるから心配になってついてきただけ」
「ではもう用はお済ですね、どうぞお帰りになって。レンちゃんは私が宿まで送り返しますから」
「その必要はありません。わたくしが一緒に連れ帰れば済む事ですから」
今度はグランディとエンマの間でレナートの取り合いが始まった。
「レンちゃんはこの後、私と公衆浴場に行くのよ。大貴族のお嬢様には無理じゃないかしら」
グランディ達が泊まっている宿には専用の風呂が無いので、いつも公衆浴場に通っていた。
浴場は地域の領主や富豪が無料で提供しているので、貧しい人々も多く利用している。
専用のサービスや貸し切り浴場、マッサージ室なども併設されているので喧噪を嫌がる人は有料のそういったサービスを使う。
「か、構いませんわ。下々の現状を査察して改善してやるのも貴族の務めというもの」
「貴方のご領地ではありませんよ」
「ああいえば、こういう娘ね!」
二人はプンプンと喧嘩しながら結局一緒に浴場へ向かった。
もともとその準備をしていなかったこともあり、エンマの主張で有料サービスの人が少ない方に入った。レナートは当然のように女湯に一緒に入ったが、もうエンマも侍女も何も言わなかった。
護衛のアンクスはレナートに二人が喧嘩したらまたうまいこと間に入って止めてくれるよう頼みこんだ。




