第43話 狩りの準備
雪が解け、春の花々が咲き誇り、カイラス山に香しい芳香が溢れるようになってしばらく獣臭が立ち込め始めた。ペレスヴェータやガンジーンとヴォーリャの偵察によりバントシェンナ男爵領が占領された事は掴めたが、それ以降の蛮族の動きは鈍重だった。
「妙だな。どんどん内陸に侵攻していくと思ったが」
オルス達は首をひねる。
会議に出席していたテネスが自論を述べた。
「重量級の魔獣が環状山脈を踏破出来なかったんじゃないか?」
ヴォーリャやヴァイスラの故郷は北方圏の高地地方ネヴァにあり、険しい山や断崖絶壁に囲まれて進入路も少ない。フォーンコルヌ皇国を囲む地形と少し似ている。
「どう動くかな?」
「女たちを攫って繁殖してからになるだろう」
カイラス山は東海岸とバントシェンナ男爵領を結ぶ山道から少し離れているので蛮族の注意は引いていなかったが、それがいつまで続くかわからない。
敵が足を止めて侵攻準備をしており、いつまでも近隣に居座られると危険になる。。
「また偵察を送るか?」
「いや、追跡されたら不味い」
じっと鉱山に閉じこもってやり過ごす予定だったが、不安に駆られて若干の偵察はしていた。さらに偵察を続けるかどうかで紛糾していたが、結局、彼らの悩みはファノが解決した。
「敵の数は数十体。重量級は無し。追い払えないほどの数じゃない。しかしちょっと妙なところがある」
「というと?」
「ファノの鼻が確かなら蛮族は複数種で分散して近づいてきている。通常はあり得ない事だ」
蛮族戦線の経験があるオルス、テネス、ヴァイスラ、ヴォーリャがファノがもたらした情報を不思議がった。
「捕食者と被捕食者が行動を共にすることはない。だが、鹿や狼などの食系と肉食系が行動を共にしているようだ。他にも何種かいる。蛮族戦線じゃ連中は種族ごとに交代で攻めてきていた。同士討ちになっちまうからな」
「かなり統率力に優れた奴が率いているんだろうか」
「わからん。それにしては数が少ない。マリアはどう思う?」
マリアは蛮族戦線の経験は無いが、軍人教育は受けている。
「今回は威力偵察といった所でしょう。反目しあいかねない混成部隊を送るということはあまり重要視されていないという事だと解釈できます。皆さんから学んだ知識では蛮族にとってこの国は攻める利益の少ない土地、しかし放置も出来ず、ひとまず適当な軍団を送ってきたのはでないでしょうか」
サリバンが遠征して見て来た範囲でも蛮族は薄く広く散らばっていた。
そのうち縄張りを巡って蛮族同士で争い合うかもしれない。
「希望的観測は危険だが百万以上の軍団が壊滅してしまった以上、俺らにはその可能性に賭けるしかない。敵が危険なところまで近づいてきたら迎撃に出る。向こうの戦意が低いなら追い払えば、こちらは放置してシャモア平野や少しでも肥沃な土地に流れていくだろう」
オルスはマリアと話し合い基本方針を固め、サリバンやガンジーン達が迎撃に適した場所を選出し、エレンガッセンら学者達は冬の間に生産した火器を準備した。
「西の谷には毒ガスが渦巻いているから敵が来る恐れはない。主な敵はバントシェンナ男爵領がある北側から来る。東側に迂回してくる連中もいるからそちらの対処も必要だ。鉱山内まで攻め込まれたら非戦闘員も盾になって子供らを南から逃がす」
子供達はアルケロとドムンの二班に分かれて行動させる。
「戦闘員は本当に三十人だけでいいのか?」
「敵も同じくらいしかいない。十分だ。罠をしかけ、上から撃ちおろし、接近戦は徹底的に避ける。敵が引いても持ち場から動くな。敵を追うのは厳禁だ」
サリバン達は頷いたが、エレンガッセンは疑問を呈した。
「追撃は無しですか?蛮族の生命力はかなり強靭と聞きます。回復される前に徹底的に叩きトドメを刺すべきでは?」
「普通の戦争ならそうなんだろうな。だが、これは縄張りを守るための戦いだ。俺達が連中が憎む帝国とは違うという所をみせる必要がある。帝国軍の悪癖だが子供を攫って親をおびき寄せて安全な所から火力を叩きつけて皆殺しにする作戦が頻繁に行われた。俺達はああいう真似はしない。敵を全滅させる気は無いし、縄張りを広げる気もない。連中にそれを理解して貰う為の戦いだ」
◇◆◇
カイラス山にはヴァイスラが蛮族除けに強烈な香気を発する薬草を多数植えている。
敵はそこを避けながら徐々に鉱山出入口に近づいてきていた。
出入り口でくんくんと鼻をきかせていたファノとジーンはくちゃいくちゃいと引っ込んだ。
「このままだといずれ特定される。その前に打って出る。北側には罠を準備し、落石とヴォーリャとヴァイスラの魔術で敵を迂回させる。敵が一度足を止めそうな水場に伏兵を敷き、一撃した後逃げる。追ってくる奴は崖の上からエレンガッセン達が散弾銃と炸裂弾で足止めする。おとり役はテネスに任せる」
「わかった」
最も危険な役割なので蛮族との実戦経験があるテネスでなくては務まらない。
ヴォーリャとヴァイスラは魔術を使った後そのまま念の為北側の警備につくし、オルスは最後の砦として出入り口を守備する。
「ガンジーンもサリバンも今回が初めての蛮族との戦いだ。テネスの指揮下に入り命令を厳守してくれ」
「ああ」「了解」
テネスと共に馬術の巧みな者達がおとりを務める。
「敵の身体能力は壁を真横に走ってくるくらい異常だ。魔力の高い奴はマリア以外では相手にならない。テネスに従って逃げろと言われたら逃げる事に専念してくれ。俺は今日の戦いでは戦死者を出す気はない」
逃走経路にも罠を設置してあるので回り込まれる心配はしていなかったが、それでも異常な身体能力で想定外の行動を取られる可能性はある。
「竜の骨の矢じりでも駄目か?」
ウカミ村から魔力の壁を突破しうる骨を出来るだけ持ってきてそれを矢じりにしていた。
サリバンはそれで射貫けるかを試したかった。
「狙撃に使うのはいいが、向こうは麦粒くらいの大きさにしか見えない距離から瞬きする間に目の前まで詰めてくる。弓や普通の銃で倒すのは難しい。だから散弾銃を作って貰った」
冬の間に製鉄所や精錬所を稼働させるか議論したが、大量の木材と水が必要になるので魔術師、錬金術師が手作業で加工し銃と火薬を少し生産した。
「私が作った麻痺毒の矢を渡しておきます。効果が出るまでの間逃げ続けてください」
時間が無く大量には作れなかったのでヴァイスラは狙撃役の数名にだけ毒を渡した。
他にも科学者達が毒ガス手榴弾を制作して今回の戦いに間に合わせた。
「致死性のガスではありません。運動機能を低下させるだけですから過信しないでください」
「ファノちゃんとジーンで試しましたが、これを食らうと嗅覚などの感覚器官に頼っている獣達は視界を失ったも同然の状態で身動きが取れなくなるでしょう。そこを狙撃してください」
一応科学者たちは両親とファノの了解を貰って実験したが、ジーンの感覚がフィードバックされたファノはそこまで強烈とは思っておらず大泣きし、学者達を嫌うようになった。目と鼻の粘膜にガスが吸着され数日間、涙と鼻水が止まらず酷い事になる。
オルスはこうして徹底的に接近戦を避け、遠距離射撃を生かす作戦を立てた。
「追いつかれた時はマリアが救援に入る。以降はマリアの援護に専念しろ」
「了解」
皆、作戦内容を理解し頷いた。
そしてオルスは非常事態の事も想定して後任も決めた。
「もし俺が死んだ場合はマリアを次の族長に指名する。いいな」
「えっ?私ですか?」
山の各所に分散して行動するので指揮系統を決めておくのは重要だが、まさか自分が次の最高司令官になるとは思っておらずマリアは驚いた。
「そうだ。まっとうな戦い方じゃお前が一番強い」
「しかし私には知識も経験も不十分です。ただの騎士崩れですよ」
「だが、お前は100人もの人間を生きてここまで導いた。知識や経験がある人間が指導者になれるわけじゃない。人々を率いる責任感と意思がなくちゃな」
他の代表者達も頷いた。
「お前には実績がある。心配するな、俺は今回の戦いは楽観している。お前に足りない経験と自信がつけばそれでいい」
オルスが事前に相談した時、ケイナンは嫌がったが判断を支持してくれる約束だと押し切って同意させた。
「分かりました。見込み違いだったと言われないよう努力しましょう」
「ああ。テネス、次期族長を死なせるなよ」
「任せろ」
「よし、では皆持ち場へ移動しろ。狩りの始まりだ」




