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(1)彼女と幼馴染の関係

 寒さは日ごとに和らいで、もうマフラーもダウンコートもいらなくなった。

 冷たさを残しつつも爽やかになった風は、枝に僅かに残った薄桃色の花びらを舞わせている。

 

 そんなある日の朝のこと。

 緒峨市おがし立東坂高校、2年C組の教室にいる生徒たちは皆思い思いに過ごしていた。ヘッドフォンで音楽を聴くもの、読書にふけるもの、そして友人と話すもの。新しい学期が始まって数週間、すっかり打ち解けているのか、誰かの遠慮のない物言いに複数の笑い声が弾けていた。


 その近くで一人、自分の机に頭をぺったりと付けている少女がいた。

 目を閉じて眠っているようだ。あどけなさが残るものの、10人いれば埋もれてしまうような、あまり特徴のない顔だった。ただ、彼女の髪だけは、後頭部でくくられているのに机からはみ出して床につきそうなほどに長い。

 相当疲れているのか、顔色が悪く、呼吸は苦しそうだった。


 実際彼女は寝不足で、今日は走ってなんとか予鈴に間に合っていた。寝坊した理由は、最近遅くまで勉強しているせいだ。本当はごまかすため、いつものように本を読みたかったが、そんな気力さえないほど。

 

「ゆす、大丈夫? しんどいの?」

 そんな彼女に、ショートカットで目の大きな少女が近寄り、眉を寄せて覗き込んできた。

 ゆす、と呼ばれた彼女は、顔を上げて小さく微笑む。綺麗な形の釣り目を僅かに細めて。


「ん、平気、昨日遅くまで本読んじゃって……寝坊して走ってきたから」

「ねぇ、そんなに面白い本ってあるの? クマ、ずっと消えてないよ?」

 鋭く聞かれ、彼女は一瞬躊躇ったそぶりを見せた。


「うん、すごく面白くて……でも、もう読み終わったから……」

 人に心配されるなんて不甲斐ない。自己管理なんて基本中の基本だ。今日は睡眠薬を買って無理矢理でも眠ろう。

 申し訳なさそうに嘘を並べつつも、ゆすこと、倉本梅桃くらもとゆすらは内心でため息を吐いていた。

 明日は土曜日だ。勉強の遅れは心配だが、こんな状態では、そもそも頭に入ってこない。


「大丈夫、明日はちゃんと寝るから」

「ほんとにぃ? 相沢あいざわ君じゃないけど、私だってさすがに1週間もそんな調子じゃ気になるんだけど……」

 首をかしげながら疑わしそうだ。言っていることは別にして、梅桃と同じ16歳なのに少し幼い印象を受ける。

 一方で、梅桃は挙げられた名前に大きく目を開いた。そして次の瞬間には嫌悪感を丸出しにする。


「平気だってば、ほんとに……あいつが心配しすぎなだけ」

 梅桃だってこのままではいけないとわかってはいる。だから、昨日だって早めに風呂に入ってパジャマを着て、ちゃんと寝ようとしたけれど、結局体は疲れているのに頭が冴えて眠れなくて、机に向かって漸く倒れこむように眠ったのだ。恐らく、2時間ほど。


「はぁ、分りました。……じゃあ明日と言わずに、今日ちゃんと寝ること。あ、昼休み一緒にお昼寝してもいいよ」

「いいって、そこまでしなくても、今日ちゃんと寝るから。ありがと、あや

 彼女、元村もとむら綾とは小学生からの付き合いだった。そう思ってくれているなら、本当はホームルームと授業が始まる間のこの十数分でさえ寝たかったのだが、本来寝れるときに寝なかったのは自分なので、潔く諦めた。


「わかった。じゃあ、後でね」

 綾が手を振ったその時丁度授業を始めるチャイムが鳴った。梅桃は気合を入れなおし、机から起き上がった。

 その、五分後。


「……で、Xを求める公式は先週の――」

 数学教師の声が反響する教室で、早くも梅桃の意識は落ちようとしていた。

 夜寝なかったくせに、今寝るなんて絶対に許されないと思いながらも、心地よい室温で、数学は聞いても考えてもいつだって呪文に思える。結局梅桃の意識が飛び始めるのに10分もいらなかった。


「じゃ、次の問題を倉本さん、倉本さん!」

「は、はい!」

 肩が跳ねる。立ち上がって慌てて教科書をめくり始めるが、そもそも今何ページをやっているかさえわからなかった。


「何やってるの。さっきからうつらうつらして。集中しなさい」

「……はい、すみません」

「もういいわ。じゃ、悪いけど平松さん、この問題といてくれる?」

 数学教師は梅桃の後ろの女子を指名する。


 その生徒は通り抜け様に思いっきり梅桃を睨んで黒板の前まで歩いていった。

 完全にとばっちりなのだから仕方がない。

 罪悪感に苛まれながら、1時間目が終わった。


 2時間目は体育だ。

 まだ頭が重たいが、体を動かせば少しは気が晴れる。

 そう思い、着替えようと体操着に手を伸ばすと、その手を強く掴まれた。痛いほどの力に顔をしかめながら、腕の先を見上げる。


「やめとけよ」

 彼女を見下ろしていた男子生徒から発せられたのは、唸るような低い声だった。一目でさぞ女受けがいいだろうと思われる整った顔立ちは無表情で、それを完璧なものにしている二重の切れ長の目は、今はすがめられて冷たい印象を与えている。


 それでも梅桃はひるまなかった。むしろさらにムキになって手に力を籠める。


「自分のことぐらい自分で分かるから……」

 強引に手を動かそうとした途端だった。

「ふざけんな!」

 同じ少年から出たとは思えないほどの、爆発のような叫び声が、梅桃の鼓膜だけではなくクラス中に反響した。

 むしろ、先ほどの無表情こそが、抑えに抑えた限界からくるものだと、悟れるほどの勢いだった。


「なん――」

「だったらこのままぶっ倒れるまでほっとけってのか!?」

「へ、平気、だってば……」

 力なく答えるが、彼は絶対に引く気がないらしく、さらに声を張る。

「どこが!!? さっきのあれがか!?」

「な、何よ。ちょっと寝ちゃっただけでしょ……あんなこと位誰にだって――」


「ちょっとぉ!? 朝来た瞬間からふらふらしてだるそうだっただろうが!」

 やはり彼は教室に入った瞬間から見ていたらしい。けれど梅桃はひるまない。

「あれは、ただお腹が痛かっただけで……」

「あーもういい!」

 彼は思いっきり梅桃の腕を引っ張って立たせると、そのまま梅桃を教室の端まで引っ張っていった。


けん! 俺体育休むから、こいつも! 大北にそう伝えとけ!」

「あーはいはい、いってらっしゃい」

「け、健二けんじ君っ」

「ごめんよー。さすがの俺もここまでなったこいつは止めらんねー」

 唯一何とかなりそうな人物に助けを求めたのに、まったく相手にしてもらえなかった。

 その彼、本堂ほんどう健二は茶髪の跳ねた髪同様にひらひらと手を振って、梅桃に向かって苦笑している。


 他にあてはないかと探したが、教室の四方八方から呆れた、あるいは冷たい視線が自分に集中しているだけだった。

 梅桃に見えたのはそこまでだった。視界が遮られるように扉が閉まったから。


 勿論、梅桃は廊下に出る前に強引に手を離させようとしたが、彼の握る力は強い。結局引っ張られながら、何事かと教室から出てくる生徒達のいる廊下を、心を無にして黙々と歩き続けた。


 階段を2階分降りて、職員室や保健室のある1階の廊下に足がついた。

 そこまできて梅桃は足を踏ん張ると、無言で突き進んでいた背中に向かい深く息を吸い込んだ。


「ねぇこう、離して、自分で歩けるから」

「っ離した瞬間に、更衣室行くくせに……」

「体操着も持ってないのに着替えられるわけないでしょ!」

 梅桃が小さめに叫ぶと、漸く彼は手を放す。


「あのね、お願いだから、そんな大げさにしないでよ……大丈夫だって言ってるじゃない……」

 梅桃の声は今にも消え入りそうだった。しかし彼は意に介さない。


「お前最近ずっとそんな調子だろ。こうでもしなきゃ、絶対体育でぶっ倒れてただろ」

「だからって、なんでクラスの真ん中で――」

「それがなんだってんだよ」

 怒鳴ることもなく、断言された。まっすぐな一点の曇りもない目だった。


「もう、いい……」

 梅桃は、彼から顔を逸らして、それ以上何も言葉にできなかった。


 彼は、綾の話にも出て来た、相沢功樹あいざわこうき。倉本家の隣の隣に住んでいる。いわゆる幼馴染で、生まれた時からお互いのことを知っている。

 ちなみ、梅桃が功と呼ぶのは、相沢君と呼ばれるのを彼が極端に嫌がるからだった。


 相沢一家は父親がすでに亡くなっていて、姉と弟の功樹、そして母親の三人暮らし。

 今までも隣人として何かと心配されていたが、数週間前に姉が出て行ったことで始まった梅桃の一人暮らしを全員それはそれは気にかけてくれていた。一緒に暮らそうと言い出しかねないほどに。


 特に功樹にいたっては、大丈夫かとあまりに頻繁に聞いてくるので、自分のことは自分で出来る、しばらく話しかけてくるなと言い放ったのが先週の事。


 なのにこの様だ。自分でも呆れてしまう。

 せっかく自立しようと、転学を考えていたのに。


 この手を延ばせば、助けを求めれば、相沢家に居候レベルで一緒にいられる。一人の夜を過ごさずに済む。

 そう分かっているから、あえて離れることを選んだ。


 それでなくても、高校生になってからは、彼だけではなく誰とも離れて、一人で生きていきたい思いが日に日に強くなっていた。

 

 だから、今こうやって彼の手を煩わせているなんて、とんでもない。

 だったら言うべきことがあるはずだ。また引っ張られる前に。


「ごめん、やっぱり離して」

「は?」

 振り返った功樹の顔には、何言ってんだコイツ、とはっきり書いてあった。それでも梅桃はその顔を見据える。


「言われたとおりに休むから、ちゃんと。何もあんたまで体育休む必要ないでしょう」

「なぁもも、おま――」

「やめて!」

 考える前に飛び出したのは、廊下の空気を切り裂くような叫び声だった。職員室から何事かと教師が数人顔を出したが、梅桃には見えていない。音量のせいで苦しくなった息の間から、それでも言わずにはいられなくて、無理矢理声を出していく。


「その呼び方、やめてって、前から言ってる、じゃない。あんたなんか、嫌い、……嫌い、大っ嫌いっ」

「ああ……分かった。悪かったよ。じゃあな、保健室、絶対行けよ」

 淡々と告げた彼が背を向けて歩き出すのを確認してから、梅桃は職員室の先の保健室に向かった。


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