第12話
正月が過ぎ去った、一月中旬のある日。
その日は由弦と愛理沙……というよりは、高校二年生にとっては非常に重要な日であった。
「どうでしたか? 由弦さん……」
少し不安そうな表情で愛理沙は由弦にそう尋ねた。
由弦は苦笑しながら答える。
「……思ったよりは、できなかったかな?」
「そ、そうですか」
由弦の回答に愛理沙はホッとした表情を浮かべた。
「……ところで見せてもらっても?」
愛理沙は遠慮がちに聞いてきた。
隠すような物でもないし、由弦も愛理沙の物を確認したかったため、頷いた。
「いいよ。代わりに君のも見せてくれ」
「はい」
二人は手元の紙を……先ほど解いたばかりの、共通試験の問題を交換した。
愛理沙の点数と、そして間違えた問題などを確認する。
得意不得意科目によって点数のバラつきはあったものの、合計点数は由弦と愛理沙の間に大きな差はなかった。
「わぁ……由弦さん。英語は完璧じゃないですか?」
「そういう君も世界史とか、かなり解けてるじゃないか。……俺は思ったよりも分からないところが多かったよ」
「日頃から復習してましたから。……個人的には数学と国語の時間配分が心配です。今回は最後まで解き切れませんでした……もしこれが本番だと思うと……」
愛理沙はブルっと体を震わせた。
由弦と愛理沙はまだ高校二年生であり、本番の受験を迎えていない。
今回解いたのは今年、公開されたばかりの問題だ。
受験まで一年を迎えたこのタイミングで、自分の実力がどの程度の物か測るため、やってみよう……と、そういう意図である。
由弦も愛理沙も勉強にはそれなりに自信があり、校外模試の成績も悪くはないのだが……
思ったよりも解けなかった、という結果に終わった。
「時間配分については回数を熟して慣れていくしかないかなぁ。……こういうのはやっぱり、模試をたくさん受けるのがいいのかな?」
「解き方も工夫しないとダメかもですね。順番とか……やっぱりコツとかあるのでしょうか? ……塾とか、通った方がいいんでしょうかね?」
「春期講習に行くのはアリかもなぁ……」
すでに来年の試験まで、一年を切ったのだ。
由弦も愛理沙も本格的に試験対策に取り組まなければならない時期である。
「そう言えば愛理沙は志望校とか、あるのか?」
ふと疑問に思った由弦は愛理沙にそう尋ねた。
もちろん、由弦も愛理沙とは長い付き合いであり、模試結果を見せてもらったこともあるため、おおよそ把握はしてはいるが……
本人から直接、志望校について聞いたことはない。
「特にないですね」
「あぁ、やっぱり?」
愛理沙が志望校として書いていた大学には、あまり統一感はなかった。
もし共通点があるとするならば、一つだけ。
「目指せるだけ上を目指したいとは思ってますよ。あと、一応国立大学を目標にするつもりです。……受験科目は増やすのは難しいですが、減らすのは簡単ですから」
一般的には私立大学の方が、使用する受験科目の数は少ない。
もちろん、国立大学と私立大学では問題傾向が異なるため、単純に受験科目が少ないから後者の方が対策は簡単ということにはならないが……
途中で受験科目を増やすよりは、減らすような方向転換の方がしやすい。
選択肢は多い方が良い。
もっとも、二兎を追う者は一兎をも得ずということは往々にしてあるので、目標があるのであればそれに絞った方が良いのだが。
「由弦さんも……同じですよね?」
「まあね」
由弦も愛理沙と似たようなものだ。
特別に行きたい大学はないが、目指せるだけ上を目指したいという気持ちはある。
「志望学部はどこですか?」
「学部? ……法律系か、経済系かな?」
「へぇ……ちょっと意外ですね」
「そうかな?」
由弦は思わず首を傾げた。
由弦は一応、文系だ。
文系の志望先としては法学部や経済学部はメジャーだろう。
「いえ……商学部とかじゃなくていいのかなと」
「あぁ……なるほどね」
将来的に由弦が家を継ぐことを考えれば、商学部は最適解のように見える。
「そういうのは父さんに教わるつもりだから」
実際、由弦の父親は由弦に対して好きなところに行けば良いとだけ言っている。
大学の知名度などについても気にしていない様子だ。
最低限、学位さえ身に着けてくれればいい……と、そんな雰囲気だった。
「あぁ……でも、留学はしろって言われてるから。途中で海外の大学に一年か、二年くらいは通うと思うよ」
「なるほど……私もした方が良いのでしょうか?」
「うーん、まあ、しないよりはする方が人生経験にはなるんじゃないか? ……無理にしなくてもいいと思うけどね」
自分が行く分は怖くもなんともないが、愛理沙が行くとなると少しだけ心配な気持ちになる。
一方で愛理沙は首を左右に振った。
「躊躇しない気持ちがないわけではないですが……どちらかといえば行ってみたい気持ちが強いです」
「そうか。……じゃあ、その時は一緒に行こうか」
「そうですね。由弦さんとなら安心です」
由弦の言葉に愛理沙はそう言って微笑んだ。
そんな愛理沙に対して、今度は由弦が尋ねた。
「ちなみに愛理沙はあるのか? 志望学部」
「特にないですが……そうですね。将来の役に立つような学問を修めたいなと思っています」
「となると……具体的には?」
「そこが問題でして……その、何が良いでしょうか?」
「……ふむ?」
由弦は思わず首を傾げた。
婚約者とはいえ、愛理沙の人生は愛理沙の物なのだから、由弦が決めるようなことではない。
とはいえ、なりたい職業があるならばそんな聞き方はしないだろう。
将来の門戸を広げるためにはどんな学部がいいのか……そんな相談だと捉えた由弦は少し考えてから答える。
「法学部とかは比較的、実学寄りじゃないか?」
「法学部ですか……やはり法律の知識はあった方が良いのでしょうか?」
「……ないよりはあった方がいいんじゃないか?」
もっとも、生きている上で最低限の知識は自然と身についていくものだ。
そもそも、一定の社会常識があれば法を犯してしまうこともない。
必要不可欠かと言われれば微妙なところだ。
「学部よりも資格とか、英語試験のスコアの方が役に立つかもなぁ」
「英語試験はともかく、資格ですか。……例えばどんなものでしょうか?」
「それは職業に寄るとしか……」
由弦の言葉に愛理沙は怪訝そうな表情を浮かべた。
「……由弦さんのお役に立てるとしたら、どんな資格で、どんな職業でしょうか?」
「え!?」
愛理沙の言葉に由弦は思わず驚きの声を上げた。
すると愛理沙は不満そうな表情を浮かべた。
「おかしい……ですか? その……将来の由弦さんの妻として、由弦さんのお役に立てるような勉強をしたいなと思っているのですが」
「いや、おかしくない。……気持ちは凄く嬉しいよ」
「……気持ちは?」
「……俺自身も、将来のために役立つ学問とか言われても、分からないからさ」
由弦自身も将来に何を勉強すればいいのか、分からないのだ。
自分の妻がどんな学問を修めていて、どんな資格を持っていて欲しいかなど、具体的なことを言えるはずもない。
そして愛理沙の人生に対して無責任な助言をすることもできない。
「せっかくの大学生活だし、好きなことを勉強すればいいんじゃないかな? お互い」
「そうですか? うーん……好きなことと言われても、難しいですね……」
「好きな物はないのか? それに携わることは……」
由弦の問いに対し、愛理沙は由弦の腕に自分の腕を絡めさせてきた。
そして少し恥ずかしそうな表情で囁いた。
「好きな物というか……好きな人は、由弦さんです」
「それは嬉しいけど……俺を研究する学問はないからなぁ」
由弦はそう言いながら愛理沙の肩を抱き寄せた。
「じゃあ……一緒の大学を受けないか? 一緒のキャンパスに通って、一緒に暮らそう」
由弦は愛理沙の耳元でそう囁いた。
すると愛理沙は小さく体を見悶えさせた。
「それは名案です。……そうしましょう」
「そのためには……勉強、頑張らないとね」
「はい」
二人は唇と唇を合わせた。




