第4話 婚約者のバイト訪問
レストランでは、由弦は主に平日のディナータイムの時間に働いている。
十七時から二十二時の間、三、四時間程度に仕事を割り振って貰っている。
さてその日は十七時から二十時までの勤務だった。
着替えを終えた由弦が控室から出て、ホールに向かおうとすると……
中性的な容姿の男性に呼び止められた。
「ねぇねぇ、彼女さんとはその後、どうなの? 上手く行ってる?」
長谷川広海。
このレストランの店長だ。
彼には日頃からお世話になっており、またシフトもいろいろと融通を利かせてくれた恩があったため、ホワイトデーの告白が上手く行ったことはすでに伝えている。
……さすがに婚約者にプロポーズしたということは、伏せているが。
「えぇ、良好ですよ」
「そうなの。それは良かった」
ニコニコと笑みを浮かべる広海。
そして……由弦に耳打ちをする。
「ところで、どこまで進んだの?」
「……どこまで、とは?」
「そんなの、決まっているじゃない。ABCのどこまで行ったの?」
「随分とおじさん臭い表現ですね」
「私はおじさんよ」
見た目は若いが、広海は由弦の母親と同年代だ。
ちなみにこう見えて妻子持ちだったりする。
二児のパパだ。
それなりに繁盛している飲食店の店主なので、家庭を持っているのはそうおかしな話ではないが。
「……Aって唇までですか?」
「まあ、そうじゃない?」
「それならAは達成しましたね」
「……Bは?」
「Bってのは……どのくらいですか?」
「アレが入らないくらいのエッチ」
「それはさすがにまだですね」
由弦がそう答えると広海は大きく目を見開いた。
意外! と言いたそうに口に手を当てる。
「最近の若い子はいろいろ進んでいるから、てっきりBくらいまでは行っているのかと」
「節度ある交友を心掛けています」
「それもいいけど、あまり心掛けすぎると嫌われるよ」
「……いや、別に俺が奥手というわけではない、とは言い切れませんけどね」
由弦も男子高校生。
家庭事情や恋人関係は少し、否、かなり特殊かもしれないが欲求に関しては並にある。
恋人とあんなことやこんなことをしたいという気持ちは当然ある。
しかし……
「彼女さんの方が奥手なの?」
「まあ……そんな感じですかね」
由弦がそう答えると、なるほどと広海は頷いた。
「確かに。考えてみると由弦君の彼女さんだし、やっぱりそこそこ良い家柄の子? それなら奥手なのも納得できるわ」
愛理沙が世間一般的には良い家柄であることは否定しない。
しかし良い家柄だから奥手なのかと言われると、由弦は首を傾げざるを得ない。
単純に愛理沙の性格・気質が占める割合が大きいだろう。
彼女は少し臆病なところがある。
「そうねぇー、無理に押し倒せとも言えないし。焦らずじっくり、でもチャンスは逃さないようにね。ムードが大切よ。ムード」
「心得ました」
ムードって、具体的にどうやって作るんだ?
と由弦は思いながらも、ホールへ向かった。
さて働き始めてから二時間が経過した十九時頃。
「いらっしゃいませ……げぇ!」
営業用のにこやかな笑顔を由弦は引き攣らせた。
というのもよく見知った人物が店に入ってきたからだ。
「関羽に出くわした曹操みたいな声を出すのって、ウェイターとしてどうなの?」
「お客様ですよ!」
亜夜香と千春。
冷やかし目的なのは間違いなかった。
「……前にも言っただろう。別に来るのは構わないが、冷やかしは店にも迷惑だから……」
勿論、亜夜香と千春は節度を弁えているタイプなので店の迷惑になるようなことはしない。
が、自分が働いている姿を友人に見られるのは、少し恥ずかしい。
そういう個人的な理由から、もっともらしい“正論”で追い返そうとする由弦だが……
「由弦さん……来ちゃいました」
えへぺろ。
という感じに婚約者が顔を出した途端、由弦はその“正論”を引っ込めた。
「驚いた。……事前に言ってくれたら、いろいろ用意したのに」
「びっくりさせたくて。……ご迷惑でしたか?」
「まさか! そんなことはないよ。……それに今日は空いているからね。大歓迎だ……三名様のご来店です!!」
どうぞ、どうぞ。
と由弦は愛理沙とその他二人を店の中へと招いた。
「なんか、この店員、人によって態度変えてない?」
「最低ですね」
おまけからのクレームは勿論無視する。
さて三人をテーブルへと案内し終えると、由弦は一度キッチンへと向かった。
そして広海に対し、軽く頭を下げる。
「すみません。友人が来てしまったようで……」
「以前、来てくれた子たちよね? 大歓迎だわ。高い料理を頼んでくれたし」
亜夜香と千春は宗一郎と共に、以前このレストランに来たことがある。
三人は由弦の誘導に従い、大変高価な料理を食べてくれたのだ。
育ちがいいこともありマナーは良いので、広海としては大歓迎だ。
しかし彼にも気になることが一つ。
「あの茶髪……金髪? の子は初めてね。……もしかして、あの子?」
「はい、そうです。僕の恋人の……雪城愛理沙です」
由弦は少し声が上擦るのを感じた。
誇らしい気持ちと、少し恥ずかしいと思う気持ちが混ぜこぜになる。
「やだ、美人じゃない! 由弦君がゾッコンになるのも分かるわ」
一方、広海は少し興奮した様子で由弦の背中をバシバシと叩いた。
広海のテンションに由弦は思わず苦笑する。
……が、困った様子はあくまで外面だけ。
やはり恋人を褒められるのは誇らしい気持ちになる。
「今度、時間がある時で良いから、あらためて紹介してね」
「はい、分かりました」
そんな約束を交わしたタイミングで、オーダーの音が鳴った。
由弦は愛理沙たちのテーブルへと向かう。
「ご注文はお決まりですか? お客様」
由弦は笑みを浮かべて愛理沙に尋ねる。
一方愛理沙は僅かに赤らんだ顔で首を左右に振り、メニューを由弦に広げて見せた。
「店員さんのおすすめのメニューを教えてください」
「そうですね。本日のおすすめは……」
お客様の問いに対して、丁寧に対応する由弦。
一方、その他二人は不満そうな表情を浮かべている。
「ちょっと、特定の一人に対して、贔屓してない?」
「私は神ですよ、神! 現人神ですよ!! お客様は神様! 私は神の中の神ですよ!」
「早くご注文を決めてください」
その他二人の注文を聞き終えてから、由弦はメニューの確認をする。
内容に間違いはなし。
ということで由弦はキッチンへ向かおうとし……
「……どうした?」
愛理沙に服を引っ張られた。
突然のことだったので、思わず素で聞き返してしまう。
一方愛理沙は瞳を潤ませ、頬を薔薇色に染め……
上目遣いで呟くように言った。
「その……制服……カッコいいと思います……」
由弦は一瞬、呆気にとられた。
そして遅れて……少し顔が熱くなる。
「……ありがとうございます。お客様」
由弦は笑顔を浮かべ、愛理沙に対して一礼してから立ち去る。
一方、愛理沙は恥ずかしそうに顔を俯かせながら、立ち去る由弦に小さく手を振る。
……そんな彼女の左手の薬指には、指輪が光っていた。
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